「拙者、親方と申すはお立会いのうちにご存じのお方もござりましょうが
お江戸を立って二十里上方相州小田原一色町をお過ぎなされて、
青物長を上りにお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、
只今は剃髪いたして圓斎と名乗りまする。」
から始まるこのセリフは歌舞伎の外郎売りのそれです。
早口で流ちょうに売人の言葉が面白おかしく薬の宣伝をして売るわけです。
二代目団十郎が歌舞伎十八番の中で早口セリフでとりいれたものといわれております。
この口上は早口言葉の練習用としてアナウンサーや舞台役者の滑舌の
練習に使われてるそうですが。
昔、声のボランティアで盲人用の図書の朗読をしておりました時、
講習内容にはこの外郎売のセリフが入っておりました。
私が薬のういろうを知るきっかけがこのセリフの口上を暗唱したからですが、
のちにこの薬屋さんの商品にお世話になるとは・・・。
下の画像は我が家にある薬です。
ういろうの効き目は「胃心肺肝が健やかになり、薫風喉を潤す!」
が口上のセリフ。仁丹ってご存じですか?
それを少し大きくしたみたいな銀色の玉。味も似ています。
私は何年か前からめまいが起きるようになって
(自律神経失調症らしいのですが)
此処の本舗で売られてる薬を頼りにするようになりました。
妙香散といいます。
化学薬品は身体に良くないという潜在意識のせいでしょうか、
お医者様で処方される薬はなんか体に合うのは少なくて
この江戸時代から続いている漢方薬局に通うようになりました。
と言っても一年に数回、東京から車で小田原まで買いに行くのです。
ここは直接買いに来た人以外には売ってくれないのです。送料不可
ところが去年からコロナ禍のせいで、
県外外出禁止とか言われて行けずにいました。
夫も糖尿病と老齢で車の運転も自粛気味です。
私は運転はしますが近場の買い物ぐらいのすので、
とても小田原まで行けるとは思わない・・。
ここの所、体調を崩してめまいの頻度が多くなってきて、薬もなくなってきて
これはもう買いに行くしか手はないと思うようになりました。
二重マスクをして混雑の時間帯を外して小田急線で小田原まで行ってきました!
電車の中は間隔をあけて座れるくらいすいてましたね。✌
「お上りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、表が三つ棟
玉堂造り、破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。」
セリフの口上通り、江戸から行けばおのぼりになるわけですね。
昔は京が上りでしたわ。
小田原の駅から小田原城のお堀の横を歩いてたどっていきました。
お堀があるとないとでは街の雰囲気が違いますね。
しっとりとした気持ちになります。
城下町らしく昔の名残を残して落ち着いた街でした。
魅力的なレストランがあってお食事をしたいと思いましたが
やはり飲食は控えようと
持参のお茶でのどを潤してお薬をゲットして家路につきました。3時でした。
ちょっとかわいい鉢物は購入ましたが、外での飲食はなし!良き市民です(笑)
Ж Ж Ж Ж Ж
歌舞伎で若くして亡くなった尾上辰之助の長男が跡を継いで
おじいさんの尾上松緑を名乗ったのですが松緑になる前だったかしら?
外郎売に出た時がありました。十代後半の年ぐらいでした。今は40代後半ですね。
確か亡くなった団十郎が「助六」をやった幕前だった気がします。
若者だから無いものねだりかもしれないですが、
はっきり聞き取れないところも多かった気がしました。
色気もなくスっーと終わってしまい無難に切り抜けたようでした。
やりようによってはもっと面白くできたのではと思いました。
滑舌の点でいえば今の海老蔵のほうがいいと思います。
その海老蔵のお父さんで亡くなった十二代団十郎の声音は若い時はくぐもり声で
もう少し発声を鼻から頭へ通じればと何とかならないものかと思いましたが、
年を経るにしたがって役どころの精神性が伝わってきてうまい役者になりましたね。
声音(こわね)も良くなってきたようにも思いました。
ひと時うまい役者が次々と亡くなり「後の人たちでだいじょうぶ?」
と危ぶんでいました。歌舞伎座が新しくなっても行きたくありませんでした。
先代の勘三郎や歌右衛門、二代目松緑、仁左衛門はうまかったですね。
でもこの頃ハンサムな若手の歌舞伎役者がTVやラジオで出てそれを見聞きすると
見識もあったり修行を感じさせる口ぶり目つきで「この子はうまいかな?」
「見に行こうかな?」と思ったりする。コロナ明けに行ってみましょうか。