
一昨年、半藤一利氏が亡くなったとき、昭和史を書き継ぐことを使命とする物書きとして、並び称されていた。
恥ずかしながら、私が保阪正康氏について興味を持ったきっかけとなった。
両氏に共通することを単純化して謂うなら、「愚かな歴史を繰り返さぬようにしたい」というモチーフと、それに起因したライフワークということだろうか。
戦争を知らぬ世代が政治・経済界の中心に立つにつれ、「愚かな」ことを忘れつつあり、想像力も失われてきたこと。それは実感せざるを得ない。
肌感覚は、時とともに滅亡していく。埋め合わせるのは想像力でしかない。著者らは、そこに期待して書き続けたのだろう。われわれは、真摯に、歴史を学ばねばならないと思う。(皮肉にも、経済成長の衰えを埋め合わせるようにして、日本は(防衛力を含めた意味での)外交力を強化しようとしてきたのだから、想像力は意図的にも弱められようとしているのかもしれない)
本書はちょっと軽めのエッセイ的な人物伝という体裁をとるが、読みやすさはイコール低俗、低次元ではないことを、深く納得させてくれる読書となった。
示唆。発見。そのことが新たな疑問や課題へのガイドになる。
思わず引用して、教え子らに紹介した一節もあった。
例えば、著者は、「日中戦争や太平洋戦争、そして日本型ファシズムの仕組みを実感をともなって理解」するため、3000人近い当事者たちにインタビューしたといい、そのことでの気づきの一つを、こう書いている。
「真実を語る時はどういった態度、話し方をするのか、それがある程度わかるようになった。真実を語っているか、嘘を語っているか、あるいは記憶を操作しているか、などについて私は、「一対一対八」の法則が成り立つような気がする。真実を語る人が一割、虚言を弄する人が一割、残りの八割は私たちの大半である。」
記憶は改竄される。そのことには二十代で気づいた。私が日記を継続する所以の一つである。
ファクトチェックできるように、学習も継続していこうと思う。いまや虚言を弄する割合に関して、「一割」と見るのは、お人好しといっていいくらいだろう。
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