“ロリコン”の語源としてよく知られた作品ながら、読む機会がなかった。先入観がなかったとはいえない。今回やっと手にしたのは、よく飲みにいく店で知り合った哲学の先生に勧められてだ。その淫靡で美しい文体を誉めちぎっていたのである。
いまならそれほどセンセーショナルな内容ではない。『チャタレイ夫人の恋人』よりも性的描写は少ない。しかし性的倒錯者による独白という体裁のこの作品は、“芸術”の際どい立ち位置を考えさせる。
後半、著者の意図によるものか、主人公の被害妄想に作品の世界が霧に包まれていくようだった。どこまでが妄想なのかわからず、伏線もぼやけていく気がした。
著者は本作品を喜劇と称している。確かにこれは喜劇と言わざるを得ないのかもしれない。
冒頭の一節は美しい喜劇の幕開けを飾って印象深い。
『ロリータ、わが生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。』
忘れ得ぬ作品ではある。
