ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。現在囲む会のメンバーは6人にまで増えています。15人にまで増えると夢庵の座敷を借り切れますから、ぜひあと9人増やしましょう。夢庵によると決まった料金は無いそうです。
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萩原君と言えば三崎町では伝説を作った男である。26歳の時に最初のキャバクラを作り、スナック、ギャルズバーと三軒の店のオーナーになった。
私は萩原君と親しかったので「俺は萩原銀行に2千万は預金したよな?」と聞くと「先生、それは計算違いですよ。最低3千万は預金して頂きました」と答えた。また私は変化球は嫌いなので「萩原君の店のホステスさん3人には本当にお世話になったよ。アッチのほうで」というと「先生、直球は止めて下さい。せめて変化球でお願いします。一応、風紀に触れることですから」と答えた。
萩原君は私を慕ってくれて、彼のお母さんが上京すると必ず飲み会を開くのだが、彼の店に勤めているスタッフと一緒に私を飲み会に誘ってくれた。彼のお母さんの話では、上京して彼の部屋で寝るときも母親と手を繋いでいたという。また、新しい企画を考えたときも、「これこれこういう企画を考えたんだけど、お母さんはどう思う?」と尋ねたらしい。
また私は南町にあるライブハウス・シネマクラブの常連だったが、彼も真似をして常連になり、ライトマンが入る一番いい場所からライブ演奏を聞いていた。
ところで最初に彼が作ったキャバクラには雇われ店長のSという人間がいた。彼はキャバ嬢に嫌われていて、私は何度も彼の悪口を利かされた。彼は表面上はニコニコしているが、内心は非常に冷たい男だったので、私は「笑い仮面」というあだ名をつけていた。一時独立して別のキャバクラを作った時に私も顔見知りの縁で訪ねて行ったが、ホステスの質も店の雰囲気も最悪だったので、これは倒産するだろう、と予想していたら、案の定倒産して、また萩原君が作ったキャバクラの雇われ店長になって帰ってきた。
普通のキャバクラはでもそうだが、ハロウィンなどという日本の文化にない特別な日を選んで、ビンゴカードを一枚千円するのに何枚も買わせた上、入場料も普段より高く設定する。そこで私はその雇われ店長のSによく説教したものだ。
私はそこのキャバ嬢の一人と付き合っていたので、生まれて初めてアフターをしようと彼女に言ったところ彼女もOKしたために、店の下で待っていたが、いつまでたっても店から出てこないので私は彼女の携帯に電話を掛けた。すると突然団体客が入ったために彼女は店から出れないと言う。そこで副店長のこれもSという男に電話を替わってもらい、下に降りるように言った。
私は副店長にそこで優しく説教をした(私が優しく説教をする、という時は一番怖い時です)。「これは労働基準法じゃないの?」と言ったあとで(酒を飲んでいたので記憶は定かではないが)、「この店をぶっ潰すぞ!」ぐらいのことは平気で言ったと思う。
それ以来、私はその店を出禁になった。
数年後、雇われ店長と道でバッタリ会った時に「おい、S、いい加減に出禁を解けよ」と言ったらSは走って逃げてしまった。
また近所のスナックの店長にその話をしたところわざわざ携帯を掛けてくれ、私の出禁から解くように説得したが「当時のことを覚えているホステスがいるから」という理由で彼の説得も通じなかった。当時と言っても5年も前のことだから、ホステスが覚えている訳がない。彼と副店長だけが覚えていたのだろう。
話は戻って伝説を作った萩原君はスナックだけはまだ経営しているらしい。一時期、羽振りが良かったものだから、過剰投資をして様々な苦労をしたと聞く。私は一度彼のスナックに遊びに行こうと思いながら長年遊びに行っていない。あの店は客が入れば朝まで営業しているので、今度、経済的にまた同時に体力的に余裕があるときに遊びに行きたいと思っている。
今はおとなしく飲んでいるが、そういう怖い時代もあった。これも私にとっては懐かしい思い出である。
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萩原君からコメントが入ったので紹介します。
訂正文の御配慮有り難う御座いました。因みにではありますが、共同経営という形で、23才から独立しております。当時は最年少かと自負しております。お話の約8割は合っていると思います。Sくんは、私に謀反を企てた上に、ヤミ金などから、そうとうつまんでいたらしく、今や山中で土の中でこの世には、居ないと大変良く耳に致します。追伸プレゼントの折り畳み式警棒は、今でもバックに常備しております