諏訪氏一族の高遠氏の居城でしたが、戦国時代武田氏に滅ぼされる。
武田氏の支城として、武田氏が滅亡するまで重要な役割を果たします。
1582年、織田信忠が攻め込んでくると武田信玄の息子盛信は、高遠城に籠城。
武田氏の家臣が次々と織田氏に寝返るなか、孤軍奮闘したと伝えられています。
信忠と信玄の娘、松姫との悲恋の話も伝えられています。
江戸時代、絵島生島事件の絵島が遠流(おんる)の罪で、囲み屋敷で余生を過ごした地です。
高遠湖
明治時代になると、城はとりこわされます。城が、とりこわされたあとは、荒れ果てたままでした。
これを見かねた旧藩士達は、桜を植樹し、公園として整備しました。
1500本のコヒガンサクラは、天然記念物に指定されています。
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