三月にいきました。日本地図をつくるのに、貴重な器具や資料・苦労話等みることができました。
伊能忠敬は、酒造家の伊能家に1762年婿養子となり、忠敬の才覚で、佐原で有名な名主として知れ渡るようになりました。飢饉の時も困難に直面した人々に手を差し伸ばした。49才で隠居して息子に仕事をゆずり、天文・暦学を学びに、高橋至時に弟子入り、師匠の高橋至時は30才。 謙虚さと勉学意欲の向上心 素直に感心します。
測量先で 地元の藩ともめたときに、高橋至時が幕府に働きかけ、測量できるようになったこと
援助や助言をしてくれて、忠敬の支えになっていた高橋至時や息子の死
17年に及ぶ年月を経て作られた日本地図 現在と比べても誤差が約1,000分の1という驚異の正確さ
地道な努力と諦めないことが、偉業を達成することができたのだとおもいました。