昨年、10月浅井氏の居城だった小谷城跡へ
1523年、京極氏の家臣浅井亮政は、跡目争いに乗じて頭角を現し、小谷城を築城。北近江の盟主的地位に立つ。
二代 久政は、六角氏の傘下に入ることで融和路線をとり、内政の掌握に努めます。
三代 長政は、織田信長の妹・市と結婚して、同盟を結ぶ。しかし、信長が朝倉氏を攻めたため反旗を翻す。
1573年、織田氏によって、攻め落とされる。
虎御前山 織田信長が本陣をおいたといわれる。
浅井氏滅亡後、豊臣秀吉が城主となる。数年後、秀吉は、長浜城を居城とし、小谷城は廃城となる。
小谷城の一部を、長浜城を築城するとき、リサイクルして使ったといわれています。