重ちゃんのお城

おもに趣味でお城や神社・寺等の名所を訪ねたことを書くブログです。

久保田城跡

2022-10-04 21:03:07 | 日記

7月にいきました 佐竹氏は 常陸国(現在の茨城県)を拠点とした大名で 清和源氏の流れをくむ名門
関ヶ原の戦いで 佐竹義宣は 徳川家康から上杉景勝討伐の命が下されたものの 従わず 西軍石田三成の味方にもならず
中立的な立場をとりました 戦いは東軍徳川の勝利 義宣は徳川家康に会って謝罪すると共に 佐竹氏の存続を懇願しました
父の佐竹義重は隠居したとはいえ影響力が強く 徳川家康と親交がありました 佐竹義宣は 石田三成と親交があり 父子の対立があり結果として どっちつかずの対応となってしまいました 1602年 徳川家康から出羽国秋田郡に国替えの命を受けました      関ヶ原の戦いでの義宣の対応は徳川家康を怒らせました 石高決まらず(確定したのは 1664年)石高決まらないのは佐竹氏だけ
入国した義宣は 神明山に 久保田城を築き 城下町を建設しました 1604年に久保田城に入り 湊城は破棄されました
徳川幕府への配慮 国替えによる財政事情・幕府への軍役奉仕等が原因で 久保田城は 石垣がほとんどなく掘と土塁を巡らせて 天守閣を造らなかったと考えられます。 義宣は 実力本位の人材登用して 領地の経営を安定させました
1614年 大坂冬の陣では 武勲をあげ 幕府の感状を受けた12名のうち 5名が佐竹氏の者で 高く評価されました
明治時代をむかえるまで 佐竹氏が藩主をつとめてきました 銅像は 佐竹義堯公