

あれから10年という年月が経ちました。
息子はまだ小学3年生でした。
私は前勤務先でちょうど仕事が終わり
休憩中で水筒のお茶を飲んでいた最中でし
た。。。
長野市内はそれほど揺れを感じなかったの
ですが、
水筒のお茶を飲む際、上を向いた為
めまいでもしたのかな??と思ったくら
い。
すると、敷地内の工場のビル内から悲鳴が
聞こえ、
やっと、地震が来たんだ❗と感じました。
自宅に戻り、テレビをつけると
津波で何もかも流され
東北の町が海の中に沈み、
めちゃくちゃな光景が、、、
映画でも観ているような錯覚さえ覚え、
「えー‼」としか言葉に出ませんでした。
そしてその後、原発事故。
今は少しずつキレイにはなってきました
が、
海が見えないほどの堤防の高さ。
津波から住民を守る為ということですが、
ちょっと不気味さが感じられます。
仕方ないことなんだろうな。
介護ヘルパーの受講中、福島県の方もいら
していて、
「もう福島には帰るつもりはない。故郷は
捨てた。」と話していました。
原発の近くだったという。
「帰りたくても帰れない。」寂しい悔しい
気持ちが
こちらまで伝わり、泣けてきました。。。
震災を受けた方々は、新たな土地で
一生懸命頑張っておりますが、
懐かしい昔のような生活はもう、、、。
未だに、
2500人余りの行方不明者がいるという。
東北、まだまだ頑張るしかないんですね。
そして、
明日は『長野県北部地震』も10年を迎えま
す。
