"見よ、わたしは新しいことをする。
今、もうそれが起ころうとしている。” イザヤ43:19
20日(木)
曇り空とニラメッコしながら、
雲間を縫うように、30日オープンチャーチデイのチラシ配布に行く。
場所は、時津金森団地。
降っては止み、降っては止みで、なんだか雨と鬼ごっこをしている様で、
楽しい。
結局は、ずぶ濡れで私の大負け??
けれど、気持ちは随分快い。
庭先で出会った方に、「韓国フェアを致しますが、興味ございませんか?」と、声をかけると、
笑いながら、「ありません」と返事が返ってきた。
70才ぐらいのお父さんでしたが、笑いながらの返答が、とてもGoo!
21日(金)
今日のトラクト配布は昨日とは反対側の長与は吉無田郷。
昨日も今日も、徒歩で、めぐみ教会に来れる地域を狙いとしている。
今日もまた、雨との競争!
降るのが先か、配るが早いか、、、
🌸
チラシ配布を終えて、
近くのじげもん(地産のお店)で買い物をしたら、
なぜか、”あすなろ”の人がパンを一つおまけしてくれた。
神さまからのご褒美カナ?
22日(土)
「わたしは福音を恥としない」
なんとか、パウロ先生のスピリットの与りたいと、
ねじり鉢巻きで、礼拝メッセージの準備。
☟
日本が、戦争へ戦争へと向かっていた頃、
耶蘇嫌いの教官が、「この中に、キリストを信じている者はいないだろうな?」とクラス全体を睨むように声をかける中、
一人の学生が、真っすぐに手をあげて、「私はイエス・キリストを信じています」と返答したという。
その姿を見ていた、羽鳥明という年端もいかない学生は、
やがてクリスチャンとなり、全家をキリストに導いただけでなく、
全国津々浦々まで、電波を通して福音を宣べ伝えつつ一生を終えられた。
🌸
羽鳥明先生ご自身が、この証をされているのをネットで発見し、
しばし聞き込み、涙ぐんでしまった。
古の聖徒は、実質的に福音のために、命をかけられていたのだ、と。
夜、
上海からS姉が帰ってきた。
約一年ぶりに見るS姉は、美しく成長していた。
23日(日)
礼拝後、出席者全員が次週の案内チラシを手にして、近隣配布に出かけた。
ナント、2人の高校生も、「私も行きます」と、チラシを手にして出かける姿に、
心が震えた。
☟
夕方が近づくにつれて、
教区のNGP(次世代)の担当の先生や学生、青年が次々と到着された。
鍵のかからないめぐみの家のドアの不具合が気になっていたが、
油山シャロームのE先生は、
ドア全体を観察されたかと思うと、
一緒にこられたI兄と共に、
アッと言う間にドアを取り外し、不具合を調整してくださった。
その腕は、プロ級!
これは、スゴイ!!
E先生は、ヤッパリ良い(いい)先生だったんだ!
24日(月)
教区のNGPカンファレンス。
比較的若い先生の若き魂への情熱に、高3+青年が飲み込まれていく。
中国からの青年(元長崎外国語大学の留学生)3名も加わって、小さなめぐみ教会から
賛美が近隣に行き届く。
こういうことも、時にはなければならない。
地にある主の教会は。
25日(火)
少々、バテ気味。
チョット休息の時を頂いた。
26日(水)
役員奨励はN姉
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N姉は、3?年間、忠実にこの長崎の地で、信仰生活を送っられてきた。
N姉の夫は、様々な形でN姉の教会生活を応援してきてくださったが、
クリスチャンになる気配はなかった。
ところが、最近、
身近なところで、他界される方々があり、
特に会社関連にもそのような方がおられて、社葬の窓口になられたご主人は、
気遣いに疲弊されたようだ。
ご夫婦の話題も自ずと自分たちの葬儀のことになっていき、
N姉は以前からも「私は教会で葬儀を」という願いを伝えていたが、
いつも二人で行動しているカップルなので、
二人一緒にもしものことがあれば、葬儀をどうするかということに話は進んだ。
その時、ご主人が、「その時には、私も教会で一緒にしていただこう」
と、言われたと言う。
🌸
ついつい聞いている私まで、涙ぐんでしまった。
姉妹は、いつかはご主人もイエス・キリストを受け入れて欲しいと、祈ってはいたが、
まだまだその時は訪れる様子はない、と常々仰られてもいたが、
この時以来、グンとその時が近づいていることが自然に信じられるようになってきている
と、話されていた。
イザヤ書43章のみことばは、
「もう、すでに、そのことは起こっている」とも訳せるが、
今、確かにその時だということが信じられるのが、私も信じれていて、
感謝の他ない。
今、教会全体に流れるこの主の平安は、いったいどこから来ているのだろうか。
27日(木)
「人は愛することで愛を知る」
先ほどドラマで聞いたことば。
忘れないうちに書き留めておこう。
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