

10年間、礼拝堂兼牧師館の雑居生活だったが、
礼拝堂専用棟が備えられたので、
荷物の整理を始めた。
すると、
あまりにも無用なものが多いことに呆れている。
宝物のように奥深いところに仕舞い込んでいたものは、
使い古したゴミでしかなかったり、
何年も使わないうちに、
色あせて使用不可になっていたり、
・・・
それらを奥深くに仕舞った時には、
いつか使う時もあるだろうからと、
大切にとっておいたに違いない。
けれど、
いつの間にか置いていたことさえ忘れてしまい、
色あせてしまって仕えない。
大切そうなものの中にも、
そうしたものが、あまりに多いのだ。
それら一つ一つを手にして、
残すものと、
新しい礼拝堂専用錬に引っ越すものと、
思い切って処分するものとに分ける。
「中途半端に取り置いていたものたち」を整理しながら
まるで、私の人生の整理をしている様な気持ちになっていく。
奥底に仕舞い込んでいたものが、
明るみに出され、処理されてゆく快さは、
丁度、不可解な私の過去が、
神さまの光の中に差し出され、
不必要な古き自分が一つ一つ処分されてゆくようで、
身体は疲れていながらも、
内側はとても軽やかで心地良い。
そろそろ、
私の人生の総決算もしなければ、、
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