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人生はボートを漕ぐが如し

2019-12-03 03:48:14 | ひつじかい日記(2)

2019年12月3日(火)

昨日、市内のミッションスクールのk学園の創立140周年の記念式典に出席させていただいた。
k学園は、140年前に、アメリカのメソジスト系の団体から派遣されたラッセルという方によって創立された。
第一期生は1人の生徒で始まった学園ではあるが、
ラッセル師の建学精神は今もしっかりと受け継可がれて、
今もこの長崎の地にしっかりと根を降ろしている。


この長崎の地に於いては、かつて迫害の風が吹き荒れた時代を通過している故、
偽物は通用しないのだそうで、
ラッセル師は、本物を育てるべく、
全人格教育に力を入れたそうだ。

ここで受けた活ける水を他の人に与えていく、
と、言うスピリットは、ヨハネ福音書4:10-14から、学校の名前にもなり、
さながら、神学校のようである。

中高大と一貫してこの精神は貫かれ、
卒業式なども、非常に厳粛な空気の中で行われる。

創立者ラッセル師は、様々な事柄に遭遇して行く中に、
神に全てを委ねられたそうだが、
その信仰の実を豊かに実らせている様に、
心が躍る。


140周年記念式典は、
大学生クワイアの「主の祈り」で始まり、
ブラスバンド、ハンドベル、など、派手さを抑えて、
静かな中に、諸師のメッセージ、スピーチと共に、
礼拝の空気を損なうことなく、
程よくアレンジされていた。



数名の方のスピーチの中で、理事長氏が話された言葉が特に私の心に残った。
それは、
人生は、ボートを漕いでいるようなものである、と云うのである。
ボートは後ろ向きに漕ぐものだから、
前の景色は見えない。
だから、漕ぎつつも目の前に現れてくる景色を観てこれからのことを判断しなければならない。
前を見ようとして、身体の方向を変えようとすると、
バランスを崩してしまうだろう。
だから、漕ぎながら目の前に現れてくる景色をしかかりと観る必要がある。

というのだ。



更に、

ヨハネ4章にでてきた女性は、お昼に水を汲まなければならない事情のある女性だった。
けれどもイエスに出会ったことによって、人間としての尊厳を取り戻した。
ここで使われている「汲む」という言葉には、
「舟底の水を汲む」という意味も含まれていて、
舟底にある女性に、「私の与える水は渇かない」と言われた活けるまことの水を、
この学園で得た人たちの手によって、他者に与えていく使命があるが、
このことは未だ達成されていない。
と、言うのは、現代社会において、この日本に於いてもまた、
女性の社会的立場は、まだまだ改善されなければならない課題が多く残っていることを、
具体的に話された。

そういえば、この学校は卒業生がたを中心に、今も「矯風会」の働きを担っていたが、
それでだったんだ!!



今年3月の卒業式では、校長先生方から活ける水メッセージが成されていたが
ラッセル師の建学精神が140年経っても、
生き生きと受け継がれていっている様にも、
驚かされる。
「先祖の地境を移してはならない」との聖書の言葉に
沿っているのだ。



この素晴らしい感動に包まれながら、
久しぶりに、長崎の街を歩いてみた。







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