さて、按摩は「按」、マッサージは「揉」がそれぞれの中心となる手技です。
衣服や手拭いの上から擦らないように圧を加える按摩を「静」とするなら、オイルやパウダーなどの滑りを生かして揉むマッサージは、さしずめ「動」でしょうか。
こう書くと、按摩とマッサージは根本的に違う手技のようにも見えてきますが、少し見方を変えると、急に近しい関係になってきます。
まぁ両方とも徒手の手技療法に違いはないのですから、「徒手での身体への物理的刺激による異常の改善、もしくは健康の維持」という目的のために技術を体系化していった事に変わりはない訳です。
つまり、「滑るか滑らないか」「按ずるか揉むか」といった違いは、あくまでも「手段の違い」なのです。
例えば按摩の中心手技は「按」ですが、これは「押さえつける」事とは違います。身体をガッチリと固めてはマズイのです。波のような、震えるような、響きを含んだ「按」でなければ治療には使えません。例えるなら按摩の「静」は、パッと見には止まっているようでも、実は勢いよく回転している独楽のような、「動」を含んだ「静」なのです。
また、滑りを生かして縦横無尽に動くマッサージの手技も、加える圧のリズムや方向性がバラバラでは治療になりません。例えるならマッサージの「動」は、水を激しくかき回すと、中心に一本の渦、軸が出来るように、「静」を含んだ「動」でなければ・・・ただバチャバチャかき混ぜても効き目はありません。第一気持ちよくない。
静中に動を求め、動中に静を求める。按摩もマッサージも、最終的にたどり着くのは「如何にして身体が良質のリズムを刻むように誘導するか」という事だと思うのです。
・・・えーと、そうそう。で、何で日本では按摩を治療の中心にしている人が多いのかって話ですね。はい、また次回に。
衣服や手拭いの上から擦らないように圧を加える按摩を「静」とするなら、オイルやパウダーなどの滑りを生かして揉むマッサージは、さしずめ「動」でしょうか。
こう書くと、按摩とマッサージは根本的に違う手技のようにも見えてきますが、少し見方を変えると、急に近しい関係になってきます。
まぁ両方とも徒手の手技療法に違いはないのですから、「徒手での身体への物理的刺激による異常の改善、もしくは健康の維持」という目的のために技術を体系化していった事に変わりはない訳です。
つまり、「滑るか滑らないか」「按ずるか揉むか」といった違いは、あくまでも「手段の違い」なのです。
例えば按摩の中心手技は「按」ですが、これは「押さえつける」事とは違います。身体をガッチリと固めてはマズイのです。波のような、震えるような、響きを含んだ「按」でなければ治療には使えません。例えるなら按摩の「静」は、パッと見には止まっているようでも、実は勢いよく回転している独楽のような、「動」を含んだ「静」なのです。
また、滑りを生かして縦横無尽に動くマッサージの手技も、加える圧のリズムや方向性がバラバラでは治療になりません。例えるならマッサージの「動」は、水を激しくかき回すと、中心に一本の渦、軸が出来るように、「静」を含んだ「動」でなければ・・・ただバチャバチャかき混ぜても効き目はありません。第一気持ちよくない。
静中に動を求め、動中に静を求める。按摩もマッサージも、最終的にたどり着くのは「如何にして身体が良質のリズムを刻むように誘導するか」という事だと思うのです。
・・・えーと、そうそう。で、何で日本では按摩を治療の中心にしている人が多いのかって話ですね。はい、また次回に。
按摩とマッサージは「静と動」ですか。。。
実は、子供の頃は「あんま」という看板を町で見かけた気がするのですが、最近見なくなり言い方が「マッサージ」に変化したのだと勝手に思い込んでいたんです(苦笑)