葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

甘いだけではなく。

2021-06-06 10:30:33 | 家族

 
 ↑6月2日の晩に、カミさんの実家から玉葱等々と共に送られてきた枇杷である。
 カミさんの実家の庭に大きな枇杷の樹があって、これがたくさん実をつけるので、毎年山のように我が家に届くのだ。

 写真を見れば分かるように、大きさにも品質にもかなりバラつきがあるのは、樹の手入れがされてないことも一因だろうから、今度訪問することがあったら少し枝を払ってみたいなあと思ってから何年経ったろうか。

 ちなみにカミさん曰く、母上は実が付いている枝の部分から刃物で切って採るのだが、父上はプチッと千切ってしまうそうである。
 母上が「枝の部分を残しておかないと傷みやすいから、枝から切るように」と言っても面倒くさがって聞かないらしく、これも品質、特に鮮度のバラつきにつながっているのだろうが、いや、何だか昭和の夫婦だなあと思ったりして。

 しかし実際、腕を上げて実をつかんで固定して枝を刃物で適切な長さに切断するという行為は、面倒というかそれなりに疲れるであろう。
 ああ、そんな時にカランビットナイフは便利なのかもしれない。

 で、食べてみればやはり鮮度は味に影響するわけで、「いや、こういう酸味は寧ろ熟成というべき」「しかし甘味とのバランスを考えると、その真価を発揮する機会を失った実もある。それは不公平であろう」などと矛盾した思いと共に噛みしめる枇杷は、やはり市販品とは違う味わいに満ちているのだ。

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