葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

新車を購入。

2020-08-16 14:40:20 | 雑感

 8月13日に、自転車を買った。
 
 消費税・保険込で18、900円なり。

 私にとって自転車は、主に食糧買い出しの際の移動手段である。
 それなのにカゴや荷台が無いのは、荷物はボストンバッグやナップサックに詰めて担いでしまうからである。

 いや、つい先日まで乗っていた自転車には前カゴがついていたのだが、カゴの中で荷物が跳ねるのが気になって、自分で担ぐようになったのだ。
 その古い方の自転車は四年前に購入したもので、もうタイヤがツルツルだったりリヤブレーキが派手に音鳴りしたりチェーンの動きが妙に重かったりと不具合が目立ちはじめていたのだが、各種保障期間はとうに過ぎており、修理となると結構な金額になるので、気分一新という意味も含めて新車の購入に踏み切ったのである。

 ちなみに気分一新の部分は、カゴや荷台が無いのもだが、ついでに変速機も無い。
 恐らく高校生ぐらいの頃から、自転車といえば変速機付きのモノに乗っていたと思う。
 …中学生の時はどうだったか。成人してからも、時々は変速機無しの自転車に乗っていたこともあったかもしれないが、覚えていないものだ。

 理論上、変速機が無いと上り坂はキツイし、平坦な場所では加速し辛いわけだが、何だかそういう「理論」に飽きてしまったのである。
 まあ、重いギア比でペタルを踏みつけて加速するより、速いピッチで脚を回転させる意識を練りたいと思った、というのもある。

 が、実際に変速機無しで走ってみると、案外坂も登れるし、スピードも十分に出る。
 というか、今までが「適正なギヤ比で走っているか」ということに囚われ過ぎだったともいえる。
 変速機が無ければ、ギヤ比を気にするストレスも無い。
 なるほど、人間は道具を使っているつもりで調子に乗っていると、いとも容易く道具に使われてしまうものだ。

 そういえば以前の自転車はリヤブレーキの音鳴りが派手だったので、ついついフロントブレーキを主軸にしていたのだが、新しい自転車でも、気が付くとフロントブレーキから握っていたりするのだから、ちょっとした癖になっているのだろう。
 これも「道具に使われている」ようなものか。

 もっとも、道具を長く使っていれば、自分の体に馴染んでより使いやすくなるということもある。
 道具が体により馴染んでいけば、道具は体の一部のようになり、どちらがどちらを使っているともいえなくなる。

 以前の自転車と私はそういう関係を持てたかというと、正直そうでもない。
 それは私の不徳のいたすところである。

 新しい自転車は、とても乗り心地がいい。
 それは以前の自転車が、それだけ古く傷んだということでもある。
 そこまで働いてくれた自転車に、合掌。

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