葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

甘く儚く。

2020-01-12 13:11:33 | 家族

 

 ↑この干し龍眼は、チーコさんが神戸で買ってきたものである。
 素朴な甘みと香りが楽しめるが、殻を剥くのが地味に面倒で、食べられる部分も少なく、どこまでが実でどこからが種なのか分かりづらくて、ああもう種っぽいけど食べてしまえみたいなことも結構あって、まあスローフードとはこういうものであろう。

 明日は成人の日である。
 チーコさんも今年は二十歳になるので、時々カミさんと来年の成人式に何を着るとか着ないとかいった話をしているが、本人にはあまり実感が無いかもしれない。

 ちなみに今朝のチーコさんは休日仕様で、我が家で最後に起きて悠々と髪の手入れをしてから、独り優雅に朝食を摂っていて、カミさんから「冷めるから早く食べればいいのに」と言われていた。
 が、まあこれはカミさんからちょくちょく「髪がバサバサだ」と言われる故の行動とも考えられる。
 上の者から優先順位が定まらないような指示をされると、下の者は無駄に混乱するというのは勤め先でも時々感じることなので要注意である。

 それにしても休日にのんびり動いていたら、邪魔だの片付かないだのといった扱いを受けるとは、チーコさんは社会的にはオヤジに近い存在なのだろうか?
 …という疑問を呟いたら、チーコさん本人から「そんな気もする」と、成人になる前にオヤジ化しているらしい発言が出た。
 もっとも、件の龍眼は飽きてしまって食べる気にならないらしいチーコさんの感性(とか味覚とか嗜好)は、やはり若者のものだとも思う。

 で、紛うことなきオヤジである私は、チマチマと龍眼を楽しみつつ、残りの実の減少と共に正月気分も薄れていくのである。

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