葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

雑念は、無視する?

2012-08-14 07:30:56 | 雑感
 仕事の合間などに、ちょこちょこと瞑想をしています。
 施術の安定度を高めるため、という意味ではメンタルトレーニング。
 氣を練るため、という意味では氣功です。

 しかし、瞑想の本来の目的は、無我の境地というやつです。
 で、ベタな話ですが、瞑想をしていて厄介なのが、あとからあとから湧いてくる雑念です。
 これに捕まると、じっと座って瞑想のポーズをしていても、実態は「考え込む人」だったりします。
 
 ものの本を読むと、この雑念に対しては「気にしない」「相手にしない」「無視する」というのが主流です。
 私も基本的にはそうだと思います。
 しかし、時々根性の座った雑念がいるんですね。無視してもまとわりついてくるのが。
 ・・・で、そういう雑念を「無視」し続けてると、何だか気の毒になってきます。
 じゃあどうする?というわけで、ただ無視するのではなく、「抱きしめて」みます。

 実体のない雑念を抱きしめるというのも変な話ですが、そういう気持ちで向き合ってみる。
 これが結構効きます。
 雑念は基本的に言葉の塊なので(言葉にならない雑念というのもありそうなんですが、それを雑念と分類していいものかわからない)、抱き合ったままペラペラ喋り続けるやつはあまりいませんから、気が付くと静かになってます。
 まあ、調子にのって、湧いてきた雑念を片っ端からハグしようとする、なんて愚を犯すこともありますが。
 手が届かないくらい遠くにある雑念なら、普通に気にしなければよいのです。

 程度問題ですが、「痛み」も抱きしめるように「感じる」と、ちょっと楽になります。
 真美治療院は本日までお盆休みです。明日からは平常どおりです。

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