金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

102の5

2007-07-29 13:03:13 | 鋼の錬金術師
102の5
小説版より
「これ以上は無理だ」
どうやらこうやら屋根から博物館の建物の中に降りて来たラッセルの第1声は自分自身の現状把握だった。
一応ドーピング薬で持たしてはいるが薬の効き目は長くて6時間。まして健康人でもつらい砂漠の中ではよくもって3時間だろう。
「降伏するか、交渉するかは好きにしてくれ。ここのことはここの者しか決められない」
突き放しているようだが正解ではある。ラッセル自身も『自分の街』を失っている。だからこそ惰性でここに住んでいる大人にではなく子供に訊いた。
「生き残りたい」
「敵はあとどのくらいいる」
「50人」
「攻撃は次で終わる」
それ以上は自分が持たないと予測できた。だとしたら次の攻撃で50人全員を倒すしかない。そのためにはまず敵を1箇所に集めることだ。そして倒す方法が必要だ。
「水」
屋根から落ちた大男がうめいた。意識が戻りかかっている。
ラッセルはあわてて隠しポケットに手を入れ光る粒に見える縛粒(ジョウリュウ)を取り出した。残りは5粒。無駄にはできない。だが指先が震える。これを使ってもまともにコントロールできないだろう。
馬賊の大男はいきなり跳ね起きた。10メートル以上の高さから落下したのにたいした回復力である。
ヒューと軽い口笛をラッセルは吹く。
「たいしたパワーだ」
どうもラッセル・トリンガムという存在は他人とリズムの異なるところがある。口笛を吹く暇に逃げればいいのに。
後(1917年)に喜劇役者エドワード・ヘルリック(シャオガイ)はエドを相手に語っている。
そののちエドにとって人生最大の難問を与えるのがシャオガイの役目。
   『豆とか、小さいとか、ほんものよりちっこいとか言われたらにっこり笑って愛想を振りまくんだよ。絶対に』
この辺りは後の話となるのでその折に詳しく書くことにしよう。


 この街の地理や地形の特徴はシャオガイが詳しく知っていた。白水の技についてはラッセルが推測した。
「結界術の使い方は行きに説明している。そんなに難しい技でもないし白水なら使えるはずだ。」
「見た目はわからないけどあの泉の広場は居住区より高い。あそこでボールを転がせば病院辺りまで転がってくるよ」
「それなら病院の近くに餌を置こう」
太陽は沈みかかっていた。砂漠の太陽はたちまち沈む。完全に暗くなる前に作戦を抱えたシャオガイは博物館の外に出た。勝利の可能性を手に。

シャオガイは白水のところに行くと、作戦を説明した。
作戦とやらを聞いて白水は驚くよりあきれていた。
確かに結界術については説明された。一応狭い範囲なら成功した。
それほど難しくないのも事実だ。
しかし、「スケールの違いを考えてないな」
行き道に成功したのはせいぜい片手で持てる水差しサイズ。
それをいきなり泉一つ分に使えというのだ。
0,5リットルで成功したといって、2500リットルでもうまくいくと思っているのか。5000倍だぞ。
しかもそれでうまくいかなかった場合、他に対策がないと言い切るのだ。ほとんど脅しである。
さらに悪いことには
「もう作戦は実行しているよ。だから月が『捧げものの木』に懸かるときに水を流して欲しいんだ」
否も応も無い。
やるしかないのだ。

シャオガイが白水への連絡のために行ってしまうと博物館は静かになった。
ラッセルは服を脱いだ。ボタンはさっきシャオガイにはずさせているので脱ぐだけでいい。
服の内側に細かい砂が入っている。
じっとりした汗と混ざって不愉快この上ない。
ラッセルが着ていたのはもともと砂漠地帯用の服装ではない。そのために余計に不快感が増した。
ラッセルは下着まで脱ぎ捨て素裸になった。日が沈んで空気は急速に温度を下げているがまだ寒いほどではない。
ラッセルは馬賊の大男は完全に気絶していると思っていた。だから安心して汗が収まるまで裸のままでいた。
しかし実際は動くことはできなかったが大男は半分ほど意識が戻っていた。
薄暗がりの中、淡く紫にひかるしろい影。
さらり。
銀の髪がオーラのようにその背を飾る。
(女神、あなただ)
復讐と破滅と罠をつかさどる3女神の一人。エリス。
いにしえの神格では大地の再生をつかさどった。根はイシュヴァールの神と同一である。
大男の目に映る女神は自分を倒した女の顔をしていた。

音声にしたらゾクリと書かれるであろう感覚にラッセルは襲われた。
―お夜食にピーチパイを頼んだよ。メリッサを添えてくれるってー
一瞬、意識が低下した。その瞬間弟の幻影を見た。
(フレッチャー・・・?)
緑陰荘ではなかった。
見たことのない異国風の調度品のある部屋だった。
幻覚にしてはあまりにもはっきりしていた。
だが弟がここにいないことは当然わかっている。
(俺は正気を失くしかけているのか)

102の4

2007-06-17 00:26:54 | 鋼の錬金術師

102の4
片手を出して手招きした後、シャオガイはそこにとどまらなかった。
それもそのはず、あのおじさんが多少でも頭が回るならここにはあの大男が落ちてくる予定なのだから。
1 2 3 と数字を数えて10まだ数えなくてよかった。
重量物の落ちる音。大量の埃。砂。そして屋根材の石のかけら。
雨のように降り注ぐ。と表現したいところだが、砂漠地帯育ちのシャオガイにはそういう知識は無い。
ほこりを吸い込まないように手近の布を頭からかぶる。ちょうど古代神官のコーナーだったので神官服を剥ぎ取った。
その神官人形の隣に巫女の人形が薄いベールをかぶって飾られている。もともとほこりだらけだったが今の落下事故(では無いが)でさらにほこりをかぶっている。以前耳欠けがこの人形を気に入っていた。シャオガイは巫女の人形の誇りをそっとはらった。ふと見上げて人形の顔があのおじさんに似ていると思った。
青白い月の横顔。整いすぎて冷たく見える人形の顔。
この街の景気がよかった頃にゼラン人形工房に特注した高級品。
「あのおじさんなら・・・(この服を着せたら)絶世の美女に見える」
いたずらぼうずの顔をシャオガイはうかべた。さぁ、どう言ってあのおじさんを引っかけようかな。

この後の話は『砂漠の洪水』作戦としてよく知られている。芝居、映画、講談、小説などあらゆるメディアに利用され人気を博した。逆にそのために当時の正確な記録があいまいになっている。ここでは一応芝居の演目から紹介する。

「これ以上は無理だ」
どうやらこうやら屋根から博物館の建物の中に降りて来たラッセルの第1声は現状把握だった。
一応ドーピング薬で持たしてはいるが薬の効き目は長くて6時間。まして健康人でもつらい砂漠の中ではよくもって3時間だろう。
『降伏するか、交渉するかは好きにしてくれ』
シャオガイは今までここまで無責任な言葉は聞いたことが無いと思った。
次のせりふは芝居上シャオガイの名せりふとされた。
『全滅を』
ここでいったん幕間の休憩がある。
そして幕が上がると舞台中央に美女が一人。さっきまで真昼だったのに(笑)漆黒の空には満月が青銀の姿を見せる。
講釈師の声が入る。
闇に抱かれて輝く月よ。地上に降りたるはいかなる罪か。
鐘の音が入る。
効果音の馬のいななきや馬蹄の音が入る。
何十人もの大男達が美女に惹かれ、吸い寄せられるように舞台中央に集まる。
『白水!アクエリアス(水瓶座)の底を叩き割れ』
美女が月に向けて片手を挙げ命じるとと月はひび割れる。その空間からから何トンもの水が、舞台上では銀の布があふれ流れる。
巻き込まれ包み込まれる馬賊たち。
動かなくなった男達の上に銀のヴェールをまとった美女が立つ。
ヴェールを客席に向けて投げ落とす。するとラッセルが軍服姿に早変わりして立つ。
ここで背景幕が落とされる。
アメストリス軍の公式行事用の青い幕が現れる。
『シン国軍を倒した一番新しい英雄。ラッセル・トリンガム』
講釈師の声、大きく響く。

102の3

2007-06-03 16:10:12 | 鋼の錬金術師
102の3
まずは先制攻撃で1撃とばかりにラッセルは跳んだ。
狙いは目である。
どんな達人でも目だけは鍛えられない。これは古今東西の用兵家・達人が認める事実である。
したがってラッセルの狙いは間違ってはいない。間違っていたのは戦術ではなく戦略だった。
ラッセルは馬賊=敵と聞き即座に戦いを選んだが、戦わない方法もあったのだから。だがラッセルはそれを考えなかった。
そして個人戦闘家としてのレベルでも間違いはあった。当然敵も攻撃を予測していることを配慮していない。今まではそれでも勝ってきたのだが。
ラッセルは跳んだ。上空からの鋭い蹴り。今まで戦ってきたレベルの相手ならそれで倒せたはずだった。
確かに切れはいい。スピードも並みじゃない。俺以外の相手なら倒せるだろうな。とはトレーニングを見ていたハボックの弁である。
あいにくこの言葉をラッセルは聞いていなかった。
ハボックの考えでは蹴られるのを待っている必要は無い。上昇中のラッセルをわしづかみにして肋骨の1本も折れば勝負はつくのだから。

馬賊の青年は良く鍛えられていた。彼はハボックのテキストどおりの行動に出た。
両手を大きく広げ交差する。
両腕の間の空間にラッセルは捕らえられた。挟み罠に捕まった小鳥のように。小鳥は苦痛で激しく啼く。その鳴声が死を早く引き寄せる。

恐怖心。圧倒的な力に対する恐れ。普段は抑えているラッセルの感情が重石をなくして叫ぶ。
「ア!?ア、アアァ!」
馬賊は笑った。嘲笑ではない。単に笑った。その顔は体格から予測されるよりはるかに若い。むしろ幼い。日焼けしているのでわかりにくいが彼はラッセルより若かった。
(あの人、ひょっとして馬鹿かもしれない)
いったんは穴から逃げたシャオガイはこっそりと穴から覗いていた。体格差を考えれば、向かっていくのは無謀だ。それをあえてやるのは。
馬鹿か、あるいはよほど自信があったのか?
どっちにしても結果は同じだが。
どうするべきか。見た目は幼児でもシャオガイは11歳。まして異常な育ちのせいで年齢よりはるかに大人びた精神を持っている。精神年齢だけならエドを超えているだろう。
(今、この街で戦えるのはせいぜい30人。その中で銀時計持ちが2人。ただし、一人はすでに捕まっている。救助を求めようにも近くに味方はいない)
(大体ベイロンジュも戦いには向いていない)ベイロンジュとは白水の名である。アメストリス語にはこれに対応する発音は無い。この表記音も厳密には異なる。
(僕がやるしかないけどさー。もう少し自分の実力を把握していて欲しいなぁ。銀時計術師のレベルは言われているより低いんじゃないかな)
やるしかないと決めたけどシャオガイは無理をしない。第一無理したくてもこの幼児体型の身体では「できないもんね」
できることとできないことがある。人は生まれながらに同じでも平等でもない。それをシャオガイほど身にしみてわかっているものは この時代には他に一人しかいない。
(ま、やれることをしようか。やっちゃいけないこともやるかもしれないけど、それこそ-子供のやることーだし)
この街はもう死んでいる。いまさら壊しても何の問題も無い。シャオガイはそれを知っている。
僕はこの街のサイゴノ子供。

ラッセルは知らないが彼らがいるのは博物館の屋根の上。シャオガイは遊び仲間が生きていた頃見つけた玩具を使うことにした。大槍や弓。青銅の剣。古代の大鍋。
コドモのいたずらで、オトナが死ぬこともある。
それが現実に証明されるまであと数時間。

馬賊が交差した腕に力を入れればそれだけでラッセルは簡単に殺せる。だがなぜか馬賊は力を入れようとしない。
馬賊の青年は単純な世界に生きていた。一族の上の者にただしたがっていればいい。自分で考えることは必要なかった。
敵は殺せ。そう教えられていた。
しかし馬賊はもうひとつの掟にも縛られていた。 敵の女を手に入れるのは勝った後、上の者が分け与えるのを待つこと。
さらさらの銀の髪。透けるような肌。ヤギの乳より白い肌。これは最高の女。
馬賊はラッセルを女と確信した。女なのに戦いを挑んできたのはおかしいが、異国にはそういう女もいるのだろう。
完全に無色透明の瞳が見上げてくる。
「おまえ、きれいだな」
馬賊の言葉はラッセルにはわからない。ただその目の色に不快感を持った。
欲情の色。
ラッセルは強烈な嫌悪を感じた。
「離せ!」ラッセルは叫んだ。
強烈な命令形。むろん命令したからといって効くわけはないとわかっているが。
(え、?)
ラッセルは馬賊の両手の力が緩むのを感じた。とまどう暇もなく逃げる。すばやくしゃがんで両手の隙間をすり抜ける。
馬賊にとっては小鳥がリスになったようなものだ。
身軽さを利用してラッセルは屋根の上を走った。ゴールの目当てはわずかに見えた小さな手。その手が手招きしていた。
(フレッチャー!)
ラッセルは屋根の1画に走る間の3秒間、弟を追っているつもりだった。小さいころ迷子になった弟。エド達が去った後誘拐された弟。
自分は弟を助けるために守るために弟を追った。
屋根の状態を見たときラッセルは現実に戻っていた。
(ここは、なるほどそういうことか)
そのあたりの屋根の板には細かいひびが大量に入っていた。自分の体重でさえ屋根はわずかにきしんでいる。ましてあの大男なら。
(意外に頭が働くチビちゃんだ)
頭のよしあしは脳の大きさと完全には相関しない。シャオガイはそれを証明した。
ラッセルは微笑んだ。馬賊に向かって。昔よくしていた皮肉げな笑みではなく、ただ鮮やかに。
「捕らえたいなら、ここまで来い」
できるだけ抑えた低い声で馬賊を誘う。
馬賊は引き込まれるようにまっすぐ走った。
単純な彼の脳では処理できない感情に引き寄せられて。それは魔性に魅入られ自滅する男、自らも自滅を望む欲望。
めきっ、べきべきばき、ぎしぎし。屋根板がいやいやをするように大きく動いた。べしべしぃびびばりぃ。化粧の厚い女の肌さながらに屋根にひびが広がる。
最初の振動を足先に感じたときラッセルは跳んだ。あの大男と一緒に落ちる気は無い。
立ち上る大量の埃。それが収まったとき屋根の上にはラッセル一人がいた。
しりもちをついた状態で。
誰も見てないだろうなと左右を確認する。そしてギャラリーがいなかったことに安堵する。
崩れつつある屋根の上に降りるのは、足を挫く可能性が高い。こういう場合安定性のある姿勢が正解である。
理屈はわかっていてもラッセルは恰好を気にした。
足場を確認して上着の埃を掃い、まっすぐ立ってからようやく考えた。
(チビは無事かな)

102の2

2007-05-27 17:48:40 | 鋼の錬金術師

ラッセルは屋根の上から光の粒をはじいた。
光の粒、その正体はある植物の組織の一部と成長の練成陣を仕込んだ小球。
直径8ミリ、小型のビー球ぐらいの大きさである。ショックを与えると1秒前後で200倍に成長し繊毛に触れたものに吸い付き締め上げる。ラッセルがコントロールすることで首手首足首を的確に縛らせる。
50球目をはじいたとき、ラッセルの足元は少し揺らいでいた。
ブロッシュなら気がついただろうが1日程度の時間しかラッセルを見ていないシャオガイは気づかない。
50球目は敵の両足首だけに絡みついた。一瞬動きを止めた馬賊の青年は、次の瞬間何のためらいも無く腰の大刀を振り上げ片足の皮膚1ミリごと蔓を切り裂いた。
(しまった)
声にはしないが強く臍を噛んだ。
照準が狂ってきている。
(手が、限界か)
指先がわずかに震えている。
疲労とエネルギー切れ、何よりもスタミナ不足。
無理にでも朝食を摂るべきだったと後悔しても後の祭り。
ラッセルが自分の体内を見つめている間にも敵は動いた。
馬賊の青年は巨体の割りに動きが軽い。一族の先達に鍛えられた彼の身体にはぜい肉が無い。男として理想とされる筋肉質の頑健な肉体。
ラッセルには決して得られない理想体型。

トリンガムは自伝記の記述でこの馬賊の青年を〈戦車のように戦闘に特化した肉体を持つ男〉と表現している。たとえとしては的確かもしれないが、時代背景に誤りがある。戦車が登場するのはこの次の大戦でありこの時期にラッセルが敵を戦車に例えるはずは無い。(なお、自伝は後世の偽作である)

馬賊は建物の屋根を見上げた。戦闘士として鍛えられた彼の勘は正確にラッセルの位置を見抜いた。
座りこみかけたラッセルは馬賊の視線にはじかれたように一気に立ち上がった。
一瞬、視界が薄暗くなった。急に動いたので脳貧血を起こしかけた。
「逃げて!」
甲高い幼児の声が聞こえた。
声のほうへ1歩足を動かしたところで、ラッセルは座り込んだ。
悪寒と視覚の異常。(感染?まさか)前回の砂漠熱の症状と似た感覚。
砂漠の空は天国の底が見えそうなほどに晴れ渡っているのに、ラッセルには頭の上すぐに岩の壁が見えた。洞窟のひんやりした空気を感じる。
エド、守る対象の名を唇に触れさせかけたとき、左の耳たぶにかすかな痛みを感じた。風の走る音が聞こえた。
「にいさん、たすけて」
弟の声。助けを呼ぶ声を聞いた。
確かに聞いたとラッセルは思った。
だが、ここは砂漠の真ん中。弟がいるわけはない。
「おじさん、早く」
小さな手に右手を引かれた。いつも弟が握る右手を。今はシャオガイがひいていた。

馬賊は化け物蔓をたたき切った刀をそのまま屋根の上の敵に投げていた。
シャオガイが呼ばなければ刀はラッセルを貫いていた。
殺すべき対象を失った刀は空中で1回転し屋根を叩き割った。
刀が通った後に穴が残った。ちょうど子供がはまりそうな大きさの穴。

シャオガイは穴に飛び込んだ。逃げるために。もういたずらではない。今は戦争だ。
命あってのモノダネである。当然、ラッセルもすぐ逃げ込んでくるとシャオガイは思った。
だがラッセルは屋根の上で躊躇していた。
ラッセルがいくら細身とはいえ、幼児体型のシャオガイでもぎりぎりだった穴に入るのは無理があった。
そしてそういう物理的な理由以外にも理由があった。
戦略的後退ならいいが、「単に逃げる」のは彼の矜持が許さない。
「ドーピングするか」
ラッセルはつぶやいてから隠しポケットに手をいれ小さな錠剤を出した。
この薬は「1粒で800メートル」と時代を間違えたエセ自伝はその効力を伝えている。
八角から抽出したシキミ酸のB誘導体の錠剤。後に麻薬指定を受ける薬。

馬賊は襲い掛かってきた。巨体をものともせず屋根に飛び上がり、ラッセルの正面に降り立った。
「ルイよりはチビだな」
からかう口調でラッセルは相手を見上げた。
でかい。身長は2メートルを越している。そんな大男にあえてチビという単語をラッセルは貼り付けた。
「女・・・?」
「おまえ、もてないだろ(男女の区別もつかないほど馬鹿では)」
会話が成立しているようだが、事実はお互いが勝手に母国語でしゃべっているだけだ。
馬賊の青年は筋肉隆々、ボディビルジムの看板になれそうな体格だ。対するラッセルは身長こそ平均より高めだが、その身長もこのところの騒動で伸びが止まっている、ガラス細工に練り絹をかけたような細身。まともにぶつかれば馬賊の一撃でラッセルの全身の骨は折れてしまうだろう。
馬賊の青年は片腕を振り上げた。ラッセルはこぶしの下りてくるのを待ってはいない。2メートルほど後退する。
体格差で不利な相手とまともな肉弾戦をするつもりは無い。
軍に出入りたびに視線が生意気だの、敬礼がなっていないだのと難癖をつけてくるでかい兵士を相手にした。大総統のお気に入りだろうと、マスタングの子飼いだろうと遠慮は無かった。もちろんラッセルも遠慮したことは無い。その経験が教える。でかい相手を倒すには・・・!

『距離を置きすばやい攻撃と撤退。その繰り返しでわなに誘い込め』
くわえタバコのハボックが教えてくれた。
熱心に教えてくれたマスタングの講義よりハボックの短い言葉を強く思い出す。
『喧嘩なら玉けりも有効だが実践では使えない。確実に仕留める自信がなきゃ、逃げろ』
『お前の筋力では拳は無意味だ。蹴りに集中しろ。ただ、蹴りは拳に比べると次の攻撃に移りにくい。だから・・・』
だから、どうするのかをラッセルは聞けなかった。もしそれを聞いていればこれほど体格差のある敵に挑もうという気にはならなかったかもしれない。

まずは先制攻撃で1撃とばかりにラッセルは跳んだ。
狙いは目である。
どんな達人でも目だけは鍛えられない。これは古今東西の用兵家・達人が認める事実である。
したがってラッセルの狙いは間違ってはいない。間違っていたのは戦術ではなく戦略だった。
ラッセルは馬賊=敵と聞き即座に戦いを選んだが、戦わない方法もあったのだから。だがラッセルはそれを考えなかった。
そして個人戦闘家としてのレベルでも間違いはあった。当然敵も攻撃を予測していることを配慮していない。今まではそれでも勝ってきたのだが。
ラッセルは跳んだ。上空からの鋭い蹴り。今まで戦ってきたレベルの相手ならそれで倒せたはずだった。
確かに切れはいい。スピードも並みじゃない。俺以外の相手なら倒せるだろうな。とはトレーニングを見ていたハボックの弁である。
あいにくこの言葉をラッセルは聞いていなかった。
ハボックの考えでは蹴られるのを待っている必要は無い。上昇中のラッセルをわしづかみにして肋骨の1本も折れば勝負はつくのだから。

馬賊の青年は良く鍛えられていた。彼はハボックのテキストどおりの行動に出た。
両手を大きく広げ交差する。
両腕の間の空間にラッセルは捕らえられた。挟み罠に捕まった小鳥のように。小鳥は苦痛で激しく啼く。その鳴声がに死を早く引き寄せる。

恐怖心。圧倒的な力に対する恐れ。普段は抑えているラッセルの感情が重石をなくして叫ぶ。
「ア!?ア、アアァ!」
馬賊は笑った。嘲笑ではない。単に笑った。その顔は体格から予測されるよりはるかに若い。むしろ幼い。日焼けしているのでわかりにくいが彼はラッセルより若かった。
(あの人、ひょっとして馬鹿かもしれない)
いったんは穴から逃げたシャオガイはこっそりと穴から覗いていた。体格差を考えれば、向かっていくのは無謀だ。それをあえてやるのは。
馬鹿か、あるいはよほど自信があったのか?
どっちにしても結果は同じだが。
どうするべきか。見た目は幼児でもシャオガイは11歳。まして異常な育ちのせいで年齢よりはるかに大人びた精神を持っている。精神年齢だけならエドを超えているだろう。
(今、この街で戦えるのはせいぜい30人。その中で銀時計持ちが2人。ただし、一人はすでに捕まっている。救助を求めようにも近くに味方はいない)
(大体ベイロンジュも戦いには向いていない)ベイロンジュとは白水の名である。アメストリス語にはこれに対応する発音は無い。この表記音も厳密には異なる。
(僕がやるしかないけどさー。もう少し自分の実力を把握していて欲しいなぁ。銀時計術師のレベルは言われてるより低いんじゃないかな)
やるしかないと決めたけどシャオガイは無理をしない。第一無理したくてもこの幼児体型の身体では「できないもんね」
できることとできないことがある。人は生まれながらに同じでも平等でもない。それをシャオガイほど身にしみてわかっているものは この時代には他に一人しかいない。
(ま、やれることをしようか。やっちゃいけないこともやるかもしれないけど、それこそ-子供のやることーだし)
この街はもう死んでいる。いまさら壊しても何の問題も無い。シャオガイはそれを知っている。
僕はこの街のサイゴノ子供。ぼくはこの街であそぶ。

ラッセルは知らないが彼らがいるのは博物館の屋根の上。シャオガイは遊び仲間が生きていた頃見つけた玩具を使うことにした。大槍や弓。青銅の剣。古代の大鍋。
子供のいたずらで、オトナが死ぬこともある。
それを教える人はいなかった。

悪さする子供達

2007-02-22 21:53:35 | 鋼の錬金術師

101 悪さする子供達
大人の理屈、子供の屁理屈

とにかく安全な場所に隠れるのだという白水にラッセルはまた表情を変えた。今度は治癒師の顔に。
「患者は動かせません」
今動かしては助かるはずのものが助からなくなる。
「そうだな・・・。動かす必要もない」
言葉よりも白水の声にラッセルは引っかかる。
まるで墓の前で詠まれる哀悼文のような声。
(まさか?殺すつもりなのか)
安楽死という推論が浮かぶ。
「やつらは男女と問わず皆殺しにする。それも楽しんだ後でだ。馬賊のグループによってやりかたはさまざまだが・・・君は・・・」
「どうして戦わないんです。あなたも国家錬金術師でしょう」
ラッセルの口調が強くなる。
「私は、戦えない。水脈探しと操作が唯一の専門で、普通の術師の技はほとんど使えない」
重い自嘲の言葉。
(まじかよ、つまり専門馬鹿)
自分も人のことをいえた義理ではないということをラッセルはけろりと忘れた。
11歳なのに6歳にしか見えない少年が走ってきた。
「今の音なに」
「第一隠すのは子供が優先でしょう」
そういえばこのシャオガイ以外に子供は見てないなとラッセルは気がついた。
「だから、子供だよ。ここにはこの子と君しか子供はいないんだ」
ラッセルは白水に子供扱いされたことに文句をつけようとしたが、それよりも子供がシャオガイしかいないというところに訊くことがあった。
「あの墓は」
あの名前のない小さな墓の群。あれは。
「ほとんどが『青の死』で亡くなった。私の子も・・・」
そんなことをしている場合ではないのだが言い始めると白水は止まれなくなった。
「産まれた子供がみんな死んでいく。昨日まで元気でいた子供が肌の色が青白くなって死んでいく。呪いともいわれた、遺伝病の疑いももたれた。この街を出て行った家族が移転先で感染症の疑いから受け入れてもらえないこともあった。私は青の死の原因を突き止めるために銀時計を持った」
だが、いまだに原因は分からない。
ラッセルは圧倒されたかのように口を閉じた。
それを白水は隠れるのを納得してくれたと解釈した。
シャオガイにわずかの荷物を持たせて二人を元は役所だった建物に隠した。
その間ラッセルは無言だった。張り詰めたような表情でドアを閉められる音を聞いた。
白水の足音が遠ざかる。

「さて坊やはおとなしくここにいろよ」
白水の気配が消えるとラッセルの表情がまた変わった。子供を置いて外に出るつもりである。
「おじさん、何する気なの?」
「あのな、俺はまだ16で君と5歳しか変わらないんだけど」
「ふーん、アメストリスの人は老けてるんだね」
シャオガイはそうとは知らずに地雷を踏んづけた。

数分後、ラッセルは元役所の扉の鍵を壊して外に出た。
たんこぶをつくったシャオガイが道不案内のラッセルにあちこちを指差しながら「元はどういう建物で今は無人」と教えている。
ラッセルの顔に引っかき傷がある。服も乱れている。彼を愛顧している社交界のマダム達が見たら卒倒しかねない姿である。
「小さいわりに強いな」
ラッセルがシャオガイの頭に手を載せる。
「ちいさいいうな&手をのせるな!」
シャオガイがラッセルの手を払いのけた。
「どうして素直に聞けない?ほめているのだが」
懐かしい反応にラッセルは微笑を誘われた。
シャオガイのほうはふくれっつらだ。
「俺の知り合いにも年の割りに『小さい』やつがいた」(今はもっと小さくなって、したしな)
「ふーん」
「そいつも事実を指摘されると前は怒っていたな」
「今は?」
「・・・怒る必要がないからあまり怒らなくなった」
周りが気を使ってエドの側で『小さい』、あるいは類似する単語を言わないようにしているからだ。
「いいなぁ。その人大きくなったんだね」
ラッセルはシャオガイの誤解を解かなかった。

彼らの行く先はまず病院であった。
「何する気?」
「こいつらは俺の患者だ。勝手に殺させてたまるか」
シャオガイは1階と2階の死体置き場を通らないようにして3階に案内した。
「おじさん。本当にぜんぜん覚えてないんだね」
いくら始めての場所とはいえ、少しは道を覚えていてもよさそうなのにこのおじさんはまるっきり覚えていないらしい。
ごつん。
げんこつが振ってきた。
「痛、何するんだよ」
「誰が お じ さ んだ」
「ふーん、気にしているんだ」
もう一度げんこつが振ってきたがシャオガイはすばやく避けた。
「質量が小さいとその分加速にエネルギーが回るから、動きは速い」(あいつと同じだな)
ラッセルの言葉には今の状況に対する意味と記憶の中の小粒の黄金に対する意味が二乗になっていた。
ふと、シャオガイは気がついた。このおじさん、と呼んでは気の毒な気もするが、僕を見ているわけじゃない。
身体は幼児並みのサイズしかなくてもシャオガイは11歳。特異な育ちゆえにむしろ思考力や洞察力は優れていた。
シャオガイの視線の変化にラッセルは無意識に心を閉じた。
ぐっと声を強める。
「いいか、俺を呼ぶときはオニイサンと呼べ」
「そういうことを気にするのはおじさんだよ。だって僕はずっとシャオガイのままだから。
誰も僕の名を呼ばない
僕は最後のコドモだから」
ラッセルはこの言葉を理解できなかった。だからまたおじさん呼ばわりされたことにも気づかなかった。
それはこの土地の古い言葉で語られたゆえに。
ただ、ひとつの発音だけ聞き覚えがあった。
(しゃお、xiao・・・小、小さい、しゃおがい、子供のことか)
それはシン国の前の王朝カンのころの言葉。
ラッセルは知らないがこの街エリスはカンの時代に少数民族が戦乱や迫害を避けて作り上げた街。
長い時間の中、アメストリスの諸民族との混血が進み、今日では外見からでは古の移民たちの姿をうかがい知ることはできない。

病人達に非常時とのみ告げると(わざわざ説明しに来た割に何の説明にもなっていない)ラッセルは病棟に続く廊下に壁を練成した。
この手のシリコン系の練成は得意ではないが今は出来の美しさを気にしている場合ではない。
病院の外に出たとたんに1人目の馬賊に行き当たった。
銃を向けてくる馬賊。それに対しラッセルはあっさり両手を挙げた。
言葉はわからなくても降参のサインは理解できる。
馬賊は高く売れそうなラッセルを見て、喜んで馬を降りた。
両手を縛って馬の後ろを歩かせるつもりである。
馬を下りる。それが彼が自由意志でできる最後の行動となった。

捕虜にするはずだった『女』にあっさり捕らえられた馬賊の若者はむっつりと押し黙っている。
ラッセルはアメストリス語で仲間の人数や武器の種類を尋問するが、馬賊は返事をしない。そもそも言葉が通じないようだ。
「まいったな」
適当なやつをとっ捕まえてあれこれ聞き出して、効率よくほかの馬賊を捕まえるつもりなのだがすでにして予定が狂った。
どうしようかなと首をひねっているところへ馬が騒ぐ声を聞きつけて白水が走ってきた。
「何をしている!どうしておとなしく隠れていないんだ!」
いきなりの怒鳴り声。
「やかましい!喧嘩、はったり、騙しは俺の管轄だ。
戦えない年寄りはすっこんでろ!」

100 たくさんの小さな墓標

2007-01-22 19:45:16 | 鋼の錬金術師
100 たくさんの小さな墓標

電気もなく、ランプの油もない病室は薄暗い。窓のカーテンはすでに死人の包み布にされてしまった。ラッセルは患者の顔色を見るために窓を開けさせた。
窓を開く音に病人がつらそうな顔をした。
窓の外に何かあるのだろうかとラッセルは子供の頭越しに覗いてみた。
「・・・墓?・・・」
そこには墓標のような石が並んでいた。見える限りでも300はある。
だが墓標にしては石が小さい。それに名前がまったく無い。
「あれは?」
子供が言いづらそうな顔をする。
「子供の、7歳になる前に死んだ子供達の墓」
ようやく単語を探して答えた。
その答えを聞いたとたん、今まで凍りついたような顔でいた病人が部屋中に響くような声を立てた。
(まずい)今の状態での過度の興奮は避けたい。
ラッセルはそっと近寄ると強めに眠りの治癒陣をうった。患者の身体が血や分泌物で汚れたシーツの上に落ちた。
最初の患者のときに訊いたが交換できるシーツは無い。
有機練成者のラッセルなら練成できれいな状態に戻すことは簡単だが、まだ50人も患者がいると聞くと余計なことに体力を使いたくない。
今頃、白水は途切れた水脈を追って街のはずれに出ているだろう。
出かける前の彼と少し話をした。
「私の名前はアメストリスの言葉では水を表す。だから、この白水の2つ名を聞いたときは・・・。大総統は私の技を見ても何も思い浮かばなかったのだろうと思ったよ」
ラッセルは笑った。こんなに軽い気持ちで笑えたのは久しぶりだった。
「それなら、俺のときも同じですよ。いや、もっとたちが悪いな。住んでいる館の名をそのままつけられたんだから」
「そうかな。私は似合いだと思う。太陽が正義と思うときばかりではない。人には優しい木陰が必要だよ」
砂漠地帯に住んでいた白水には太陽はありがたい命の源ではない。むしろそれは死を呼ぶ存在だ。
アメストリスに移り住んで一番驚いたのが木陰のやさしさとそれをありがたく思っていない市民達だった。
「木陰は命を守るものだ。ソレニヤサシクトテモウツクシイ」
途中から白水の言葉はこの土地の言葉になった。
「よく似合う」
男の子に対してうっかり美しいなどといってしまったことをごまかすようにアメストリスの言葉で続ける。後から考えればラッセルにはわからなかったのだが。
ほかに言葉を理解する者がいないゆえの気楽さからか、ラッセルの口調は本来の16歳の年齢にふさわしいものに戻っていた。
「君はアームストロング家の縁故者なのか?」
白水は聞いたことがある。紅陽荘と緑陰荘はアームストロング家所有の双子の館だと。
「いいえ、緑陰荘はマスタング准将が住んでいて俺は田舎から出てきて住むところを決めてなかったからなんとなく下宿中です」
実際にはかなり重い理由があるのだがラッセルは軽い説明を通した。
「ノースランドの出かな?あまり訛りがないようだが」
ノースランドはアメストリス最北の地域の総称である。
「セントラルに来る前はオレンジの生る街にいました」
「ほう」
意外だった。この色白さから見て100パーセント北の生まれと思ったのだが。

白水が行ってしまった後ラッセルは子供をつれて病室を回った。
一日かけてようやく一通り全員を見て回れた。
(40度近い高熱が数日間続き、その間の死亡率は6割。熱が下がった後も胃の不調、食欲不振、倦怠感、リューマチ性の痛みが残る。白水さんに連絡が来たときにはもう手遅れだっただろうな)
アメストリスの民亊部門は機能不全を起こしている。軍事予算が7割を超え民亊部門に予算が回らないためだ。郵便や電報の遅配は珍しくない。
ゼノタイムで年寄りを治癒していたからリューマチ系の痛みの治癒は得意技である。
まずは回復を妨げる痛みや苦しみを取り除く。半数の患者はそれだけで快方に向かうだろう。
夕食時ようやく白水が戻ってきた。ラッセルの姿を見て重い足取りで近づいてくる。
水脈はだめだったのかと思ったが、白水はそれについては何とかしたと答えた。
本来なら別の方向に向かうべき水脈を無理やり捻じ曲げてこの街の中央の泉につないだ。
(半年ぐらいはもつだろう。だがいずれにしてもここはもうだめだ)
「緑陰、今夜中にこの街を離れてノリスに帰るんだ。案内をつける」
「えぇ?だってまだ」
「君には感謝している。だから・・・ここは危険だ。馬賊が近くまで来ている」
「馬賊?」
それなーにと問う幼い表情。
「凶悪な強盗殺人団だ。以前からオアシス周辺で交易団を襲っていたが。最近シンとの交易がほとんど途絶えているから街を襲いだしている」
「そんな、大変ですよ。すぐ連絡して助けを呼ばないと」
「助け。どこを呼ぶんだい」
「えっと、とりあえず一番近い軍の基地に」
白水は薄く笑った。
「無駄だよ。ここはアメストリスと認められていない。今はね」
かってこの街が貿易で繁栄していたころ、アメストリスはこの街に軍の駐屯所を造った。
街を守るという建前だったが実際はさまざまな利益を求めてのことだ。やがて街が衰えると軍も行政もこの街を切り捨てた。
「君を巻き込んでしまって申し訳ないことをした。せめて怪我をしないうちにノリスに戻ってもらいたい。車が1台だけ残っている。運転手とシャオガイをつける。急ぐんだ」
「待った。そんなこと勝手に決めて」
「こんなところに連れてきて申し訳ない。だが」
「やだよ」
ラッセルの口調が変わった。
シルバーの名で暴れていたときと同じ口調に。
「俺は押し付けられるのは嫌いだ」
「好き嫌いを言ってる場合ではない。車は用意させている。さぁ早く」
いきなり大きな音がした。
乾燥した空気にその音はひびをいれた。
銃声。
「遅かったか」
白水の声が低くなる。


101悪さする子供へ

宝探し2

2007-01-13 20:00:29 | 鋼の錬金術師
宝探し2

軍の病院は警備がきつい。その中でもここ細菌研究所は特にきつい。エドも銀時計のみでは入れなかった。ロイの命令書が、ものを言った。
病院という名の研究所。感染性とくに空気感染する細菌を集めている。発病している患者ごと。
ガラス越しに見える入院患者という名の隔離された生体サンプルは、どれもどろりとした死者の目をしていた。どの部屋も個人を示すものは何も無い。
彼らは厄介な病気に罹り家族からも住んでいる場所からも捨てられたのだ。あるいは全滅した土地の最後の生き残りなのか。
そんな病室が続く中一部屋だけ明るい花模様のカーテンがゆれていた。花瓶にはかわいいマーガレットの小花。見たこともない色だ。鮮やかな金色。
ベッド脇には本棚。絵本や子供向けの小説がぎっしり並ぶ。その横には錬金術本。その本棚を見ただけでここに誰がいるのか、なぜあいつがあんなにがたがたになっているのかエドにはわかった。
「どうぞ、1-8745です」
案内の看護士という名の見張りが鍵を開ける。
部屋は外から鍵をかけられていた。
あのときからあまり大きくなっているように見えない。
『弟』

「フレッチャー」
ぱちぱちと擬音語をつけて瞬きする。
やせて細くなった腕が本を落とした。
「エドワードさん・・・?」
生気に乏しい顔に、それでも精一杯の喜びを浮かべて少年はエドを見上げた。
あれこれと事情を聞くことは憚られた。少年の乏しい体力はすぐに底をついてしまう。何があったかなんてことはあとでラッセルを締め上げればいい。
フレッチャーはエドが大体の事情を知っているという前提で話をした。
この施設に入れるということ自体、エドが事情をわかっているということになる。
「兄さんは元気?」
「来てないのか?」
ラッセルのことだから毎日のように来ていると思った。
「ここには来てる。でも部屋には来ないんだ。少し前から。
僕がね、このごろ兄さんが元気ないから休んでねっていったら、来なくなった。気にしてるんだよ。でも来ているのはわかっているのに。この花はどこにも売ってないんだ。毎日新しいのに換えられているんだ。兄さん、僕が寝ているときに来ているんだよ」
やさしい笑み。兄のうそも優しさもすべて受け止めているような。その笑い方は鎧のときの弟に良く似ている。
疲れたのだろう。フレッチャーは小さなため息をついた。
「少し、眠ってろ。起きたころに来るから」
「また、会えますか」
この子はすべてを受け入れているのだ。何もかも受け入れることでしかこの施設で研究体になって生きることはできないから。
「約束する」
そういってエドは両手で子供の小さな手を包んでやる。この子の兄がそうしているであろう同じことを。
「よかった。エドワードさん。良かった。アルにもおめでとうといって・・・」
言葉の後半は夢の中に消えた。

フレッチャーは知っているのだろうか。あのときのアルが鎧そのものだったことを。今の言葉はそうとも取れる。
フレッチャーが眠った間にここの研究員にあれこれと聞いた。一応、ロイの名代で視察という建前になっている。
「エルリック少佐は生体にもお詳しいのですね」
的確な質問に研究員はお世辞で無く言った。
「まぁな」
人体練成をしようとしたとき人体についてはいやというほど調べた。
入院患者の生活環境を調査するという建前で目を覚ましたフレッチャーのところにもう一度行く。

ドアを開けさせ中に入る。
「エドワードさん」
淡い、ガラスの花のような笑顔。
ラッセルの気持ちが良くわかる。この笑顔を守るためなら何でも犠牲にするだろう。もし、これがアルの身に起きていたら自分も同じ選択をしただろう。

そして、この弟が考えることを自分の弟も考えただろう。

「兄さんが言っていたよ。僕が治ったら僕をここから盗み出すって。だからここでしばらく我慢していろって」
治る。そんな日が来ることをラッセルは信じているのだろうか。ここに入れられる患者は治療法の無いものばかりだ。いや、あいつは信じている。俺がアルを元に戻せると信じていたように。だが、おそらくこの弟は兄を信じてはいても、治る日が来るとは信じていない。
奇跡はもう起きてしまった。アルは元に戻った。元の体を取り戻す形で。まだ、鎧のときとの違和感に戸惑っているが時期に落ち着くだろう。そのアルが言った。僕は兄さんが元に戻してくれると信じていたけど、元に戻れるとは信じられなかった。だって、僕が鎧の姿で生きていること自体奇跡だよ。そんなにたくさん僕らにだけ奇跡が起きるなんて思えなかったよ。兄の生身に戻った右手を両手で包んで弟は言う。こんなにたくさん奇跡をもらっていいのかな。
「いいんだ。お前はそれだけ苦労した」
「アルのためなら俺は運命とやらの横っ面を殴り飛ばしてでも奇跡をふんだくってやる」
「兄さんたら」
この兄ならやりかねないと思う。

小さな声が話を続けた。
「僕らは戸籍未整備地区だから何とかごまかせるって言うんだ」
くすりと弟が笑う。
病気のせいだろうか。今のアルと変わらない年に見える。小さい。ゼノタイムで会ったときより小さく見える。あの時12歳ぐらいだったのだろうか。
「甘いな」
「うん、僕もそう思う。兄さんは昔から見通しの甘い人だったから。
何とかなるって言い切るんだ。それで何とかしきるからすごいんだけど。
でもね、研究でも何とかするためにずいぶんひどい目にあっているのにちっとも懲りないんだよ。本当に少しも進歩しないんだから」
ほほを少し膨らます。たぶん自分もアルに似たようなことを言われているんだろうなと思う。
アルはこういうのだ。鎧のときも、今も。『兄さんは少しも変わらないねぇ』
このところ弟の声にもう一人の声が重なる。弟は家主といい、兄は同居人というその人の声。
『成長しないのは身長だけではないのだな。鋼の』
『大佐も変わりませんね』
なぜだろう。かわいい弟に言われても腹が立たないが、いやみ上司には思いっきり腹が立つ。そもそもこいつに頼っている自分に腹が立つ。

小さな声が続く。
「でももう無理なんだ。これ以上続けたら兄さんが持たない。だからおねがい。

「死なせて」
ほとんど聞こえないくらい小さな声。
「俺にはお前の頼みを聞いてやる義理が無い」
あえて冷たい声でエドは言い放つ。
「うん、わかってる。ごめんね。知っている人の顔を見てつい甘えたくなった」
「だいたい、まだお前にはアルの名前の借り賃をもらっていない」
「ごめんね。迷惑かけてばかりだ。もう払えないと思うし」
「錬金術師が踏み倒すなんて絶対許さない」
「でももう僕は」
「お前の名を寄こせ」
「?」
「あのときの等価交換だ。アルにお前の名を寄こせ」
そうだ。なぜもっと早く思いつかなかったのか。アルがアルとして生きるから鎧だったアルと今のアルで人体練成が問題になるのだ。別人ならば問題は無い。
「いいよ。使って」
あまりにもあっさりした答え。
この子は自分の存在そのものをあきらめている。
「いいか、アルとお前は交換した。わかったな」
「うん」
どうせここでは名を呼ばれることは無い。試験体ナンバー、それが今の自分の名。
「では、アル」
「・・・なんですか、エドワードさん」
「兄さんと言え」
強制する。
「だって、」
「兄さんだ」
その押し付け方が兄とそっくりだ。
「うん、   兄さん」
「よし、俺の弟があきらめることなど俺が許さない。あきらめるな。必ずなんとかしてやる」
見張りが外に来た。時間だ。耳の中にあきらめるなと約束を押し付けた。



研究所の外に出てから、どうもはめられた気がする。と思った。
川原で石を投げた。新しい国家錬金術の様子を見て来いといわれて、行ってみたらラッセルだった。生気のない顔で眼光だけが鋭い。自分もついこないだまで同じ目をしていたように思う。今は、たとえ気に食わないいやみな上司の家に下宿中といえ、かわいい弟がにっこり笑うだけで幸福とはかくあるものだとにやけてくる。
それを上司にからかわれる。そのいやみすら、その後なだめてくれる小さい手の感触を思えば幸せへの鍵にすら感じる。
宿の部屋の入り口でマスタング大佐の代わりにご様子を伺いに来ましたと棒読みのせりふを言った。
本にうずもれるような影が振り向いた。ラッセルだった。
「よぉ、元気そうだな」
長いこと会ってないにしてはあっさりした挨拶だ。まぁ、喜び合って抱き合うような仲ではないし。どっちかというと道であったら蹴り飛ばしたくなるような相手だ。
だが、エドの口からはあっさりした挨拶は出なかった。
「おまえ、何日寝てない。めし食ったのはいつだ」
前は自分もよくやりかけた。研究に夢中になって寝食が消えてしまう。だが、自分には弟がいる。さりげないタイミングで食事をさせ寝かしつける弟が。
こいつには、今誰もいないんだ。そのときには弟がなぜいないのかは聞けなかった。というのも「人事だろ。ほっとけ」とふてくされたように、いやどちらかというとすねたように答えたラッセルが直後倒れたからだ。
限界だったのだろう。

とにかく病院に運んでロイに連絡した。そしたら「そっちは医者に任せて次の仕事を頼む」である。
あの無能サボり上司め。アルを人質にとっていると思ってこき使ってくる。
そのことをぶーぶー文句を言ったらアルに「ずっとお世話になっているんだし少しはお役に立とう」といわれてしまった。
「本当は僕もお役に立ちたいんだけど、この姿を見られると困るでしょ」
まったく、それがなければロイの所なんか来るもんか。
そして言われた先が細菌研究所だ。

行った先にあの『弟』がいた。
どうも計算されていたようで不愉快だ。
だがこの手ならばアルを外に出してやれる。





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宝探し  独立してます

2007-01-13 19:51:13 | 鋼の錬金術師
宝探し


アル!!!アル!
兄はいくども名を呼んだ
弟はそのたびに答えた
もはや反響しない声で。
弟はもとの肉体を取り戻していた。

(なんだか、兄さんが大きく見えるね。)
当然だろう視点が違う。2メートルのよろいと10歳の自分では。
そう、アルの肉体は完全に元に戻っていた。

チャンスを手に入れたのは偶然だった。第5研究所のことがあったから、とにかく軍の研究所をもう一度洗いなおそうと勤めていた職員の記録を含め調べ上げてみた。その中にアルは懐かしい名を見つけた。正確には懐かしい名の縁者を。
ナッシュ・トリンガム。
(ラッセルとフレッチャーのお父さんだ)
自分たち兄弟には父は遠い存在だがトリンガム兄弟にとって父親は大切だったらしい。
そういえばトリンガム兄弟は父親の遺品と言える物をまったく持っていなかった。
軍の研究所の隅にでもコーヒーカップの1個ぐらい残っていないだろうか。
いつか会えるともわからないけど、もし会えたら『弟』に渡してあげよう。
手のかかりすぎる兄に苦労している同士に。
兄を焚きつけて第3研究所に行かせた。夜中にアルフォンスももぐりこんだ。
そこでおもしろいものを見つけた。歴代の職員の仲良し交換ノートだ。おふざけなのだろうが、いい年をしたおっさん研究員たちが女子高生みたいに交換ノート・・・。寒さなど感じないはずのアルフォンス、  震えた。 ・・・頭のいい人って怖いなぁ。
中をのぞいて見てなーんだと思った。それは単なる研究の申し送りだった。誰が表紙を書いたのやら、ずいぶんいい性格の人がいたらしい。
だが、結構面白い研究をしている。アルはつい夢中になって読みふけった。
おい,アル。石について書いてあるのか?
夢中になって読みふけるアルのよろいの頭を兄の金属の腕がつつく。
カン
金属の響き。
「もう、音立てないでよ。警備に見つかるじゃない」
「お前が遊んでいるからだろ」
さすが兄だ。
弟がつい読みふけっている内容が、目的外だとすぐ気がついた。
たぶん自分もしょっちゅうやっているからだろう。
なんだ、それ?
覗き込もうとする兄にアルはにやりと笑って(鎧だからイメージです)表紙だけを見せた。
「うっげー。きもい。変態の集まりかよ、ここは」
「単なるジョークだよ。中身は申し送り」
「悪趣味」
自分のことはうんと高い棚に上げて兄が言う。
そういえば兄の上司が言っていたっけ。
『大人になるということは自分の都合の悪いことを隠せる高い棚をたくさん持つということだよ。(笑ってから)鋼のではまだ棚まで届かないだろう』
その後兄は毎度の反応を示して上司を楽しませた。まったく、この人、大人のはずなのにどうしてこういうところは兄と同レベルなのだろう。アルのため息は(イメージです)兄とその上司の両方に起因していた。

兄がノートを引っ張った。
「だめだよ。古いんだから、破れる」
言う間にピッと音がして、ノートから何かが落ちた。
「ぁーあ、兄さんたら乱暴なんだから」
「アルが離さないからだろ」
あれ、落ちたのは破れたページだけではない。小さいノートも落ちていた。
わが子へ
ナッシュ・トリンガム
これは、ラッセル達のお父さんから子供たちにあてたノート。
すばやく拾った兄が中を開いた。
「だめだよ、人宛てのノートを盗み見たりしたら、よくないよ」
「今さらだろ。へぇ、宝探しか」
「まぁ、確かに盗賊兄弟の名ももらってるけどね」
「おい、行ってみよう。宝探しだ」
(はー?)
兄はノートをアルに投げると走り出した。
何か好奇心が刺激されたらしい。こうなると兄は止まらない。
「ノートに何か書いてあったの」
「ここの地下に宝物がある。どうしても必要なときは探せ」
兄がノートの内容を要約した。
「でもそれってフレッチャー達の物じゃない」
このノートは2人あてなのだから。
「何言ってやがる。宝探しは見つけたもんの勝ちだぜ。第一、どうせ軍の秘密のお宝だ。あいつらも盗みにくるしかないだろ。せっかく、まともに生きる気になったのに盗みなんかさせるのはよくない。 だろう。
だから、俺たちが探し出してやる。年上のやさしさってもんだ」
ぁあ、それ事実とぜんぜん違うと思う。
でも、どうせ兄は止まらない。
あるいは兄にはこの時点ですでに宝物の内容の予測があったのだろうか。
それはわからない。

どんどん地下に降りていく。アルは息苦しさを覚えた。おかしな話だ。鎧の自分は息などしていないのに。兄は大丈夫だろうか?
「兄さん」先を走る兄に声をかける。
兄の指が唇に触れる。
静かにということだ。表情が硬い。兄も何かを感じているのだ。
戻りたいがこうなると何があるのか調べないわけにはいかない。
行き止まりの壁に行き当たった。
壁の向こうを調べなくてはならない。
だが、「ここいやだ」
鎧の弟が幼児のようなおびえた声を出した。
兄はもっと強く何かを感じているらしい。
「ここだ」
手をたたく。壁が光に包まれて消えた。
空気が黒い。嗅覚の無いアルはそう思っただけだがエドはもっと強烈なものを感じた。ロイならばイシュヴァールの風と表現しただろう。それは強烈な腐臭。
エドの息が無意識のうちに止まった。だが2分以上止めるのは難しい。
激しい咳き込みとともに息を吸った。
「兄さん、これは」何なのという言葉が出てこない。
「これじゃない、彼らだ」
兄の声が震える。
「何が宝物だよ。トリンガムの親父さん何考えていたんだ」
そこにあったのは巨大な赤い石。アルの両手でかろうじて抱えられほどの大きさの。完全品ではなかった。アルの位置からは見えなかったが固まった血液のような色の石からは赤ん坊と思しき手が飛び出していた。
「吐けない」
ショックで自分は吐くとエドは思った。しかし、吐けなかった。これは化け物ではない。軍の研究所で魂を石にされてしまった人々なのだ。
「ごめん、ごめんな。何もできない」
たすけて。たすけて。たすけて。助けて。助けて。タスケテ。タスケテ。
重なりあって聞こえる声。
「兄さんをいじめるな」
アルが兄を後ろにかばった。
石からは邪悪な意思を感じない。ただ、悲しい。タダ、哀しい。ただ、かなしい。
それだけが伝わってくる。
でも兄は泣いている。
無力さに啼いている。
兄が泣いている。

「帰ろう兄さん」
ほかの事はどうでもいい。兄を助けなければ。
助けて、たすけて。ここから逃がして。かえりたい帰りたい返りたい還りたい。
還して。お願い還して。
空気を直接震わせて感じる声。
「わかる。どうしたいのかわかる。どうすべきかもわかる。いちどやったことだから」
「兄さん答えないで」
あれが何かなんてどうでもいい。
でも兄さんが泣くなら、僕にとってこれは良くないモノなんだ。
たすけて、オネガイ、かえして
かすかなかすかな赤ん坊の声。
泣いているとさえわからないほどの。
兄が耳をふさぐ。だが、音でなく聞こえる声は耳をふさいでも同じだ。

「わかった。還してやるよ。お前のママのところへ」
「アル、見張り頼む」
「兄さん、何する気」
思わず声が甲高くなる。
もし本来の年齢で育ったなら決してでない高い声。
「彼らを世の流れに帰してやる」
「それは、   
どうして兄さんがしなくてはならないの

声にしなかった言葉に兄は答えた。
「錬金術師よ。大衆のためにあれ」
兄よ。あなたは私を弟と呼ぶ。あなたはこれを人と呼ぶ。あなたにとって人とは何ですか。

兄の両手が弟の思いを断ち切るように打ち鳴らされた。
飲み込まれた。あまりのも巨大な力にこの地下空間そのものが飲み込まれた。
振り向いても階段も壁も無い。白い部屋。白い空間。そこになぜか門がある。
いまさらのように思う。
変だなぁ。
なんで、壁も無いのに門がいるんだろう。
人の気配。門を見ている兄の回りに人の気配。それも数え切れないほどの。
何も見えないのに。
それが石を造っていた人の魂の気配とはっきりわかる。
「待っていろ、開けてやるから」
兄がつぶやく。
「だめだ」兄の手を押さえた。
開けないで。扉を開ける。それには代価がいる。兄は魂たちを扉の向こうに返すつもりだ。
その代価は。扉を開ける代価は兄が奪われる。
「アル、なぜここに」
白い空間。弟は外にいるはずだ。
「知らない。気がついたらここだった」
「あちゃー失敗したかな」
こんなときでも兄は兄だ。
オートメールの手で自分の額をこついで、痛いと叫んで飛んで回った。子供のころの癖だ。
等価交換しよう。
空間を震わす声。魂の声だ。
私は錬金術師だ。君が扉を開けてその体を代価にしてくれたら、扉の中の異物を外に出そう。
扉の中の異物。
異物。この場合本来ここに属さないもの。
それは、僕の。
「兄さん、僕にさせて」
「お前は、危ないことをするな」
まったくこの兄はわかっているのだろうか。もう、弟は故郷にいたときのチビではないのだが。いまだにこの自分に知らない人についていくななどとよく言うのだ。トラブルに足を突っ込むのは兄のほうなのに。
私達をこの姿にした者が地図を残したのだろう。君達はあの者の子か
どうもこの魂は魂だけになっても理屈っぽいしおしゃべりだ。ほかの魂がただ嘆くのとはずいぶん違う。
「知らないよ」
だいたいあの者の子かで返答できるわけが無い。
「でも取引はできる」
「おい、アル」
「僕が帰ってきたとき僕が魂を持っていなかったら兄さんが助けて」
兄は扉を見上げた。
「わかった。必ずお前を元に戻してやる」
扉に手をつける。力を入れて押した。
内側からも引かれた。黒いもの。あの時も見た触手。僕を持っていったもの。
小さく開きかけた扉から中に飛び込んでいく風の音。それが魂の返っていく音と気づいたのはすべてが終わってからだった。
それから何がおきたのか実のところ全てがわかっているわけではないが、扉が内側から大きく開かれた。手をついていた僕はそのまま前に倒れこんだ。中に入ったとたん体が動かなくなった。足を引っ張られた。強く。
いたい。と叫んだ。
後になって思えばこのときすでに自分は元の体だったのだ。
赤い石の光で淡く照らされていた地下の部屋。それが真っ暗になっている。
臭い。
最初の呼吸は無意識だった。赤ん坊が最初に息を吸うときはどんな感覚なのだろう。でも、あまりの臭いに息を止めてそれから耐えられなくなった。もう一度息を吸った。

「アル!」
「アル!!」
「兄さん。大声はだめ。見つかるよ」
言った言葉が体内に反響しない。
「えっ?」
強烈な違和感。どうやらすっかり鎧姿に慣れていたらしい。
両手を打ち鳴らす音。兄の手にランプがある。
アル。
震える手からランプが落ちる。あわてて受け止めた。
「見張りに気づかれたらどうするの」
いつものペースで兄に苦情を言う。どうして自分は平常心でおれるのだろう。きっと手のかかる兄がいるからだ。
「アル、家に帰ろう」
ランプの火が震える。兄の手の振るえだ。
弟の小さな本当に小さな手をとった。
この手だけは離さない。
もう一人でどこにも行かせない。
強く握り合う手、約束の手。



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銃のお稽古

2007-01-13 19:42:01 | 鋼の錬金術師
銀のトリンガムよりリザの子犬たち
 本文 銃のお稽古その2

「そうだ、中尉に頼みがあったんだ」
「何ですか、大佐」
すでにマスタング大佐は准将であるし、ホークアイ中尉も大尉である。しかし二人は軍を離れた場所では東方司令部時代の呼び名で呼び合うことがある。退役したハボックを除き、全員が階級を上げばらばらにされていた。リザが今仕えているのはブイエ将軍である。ロイとはまったく違う意味で軍人のにおいのしない軍人である。肉体は軍人、頭脳は高級官僚それが世間のブイエにたいする評価である。
後の話になるが実質的大総統となったロイとあのホモンクルス事件がなければ次期大総統といわれたブイエの軍内での対立にラッセルは駒として利用される。それはルイ・アームストロングの別方向からの支援が無ければラッセルがつぶされかねない陰湿な対立であった。
ロイがラッセルという世間慣れした青年を最大の手駒として育て、軍の中で活動させるようにしたのは、ロイ自身がこの時期に手足である部下たちと引き離されていたという事情が大きい。後になってマスタング政権の一端を担うようになったトリンガム兄弟がかならずしも他の幕僚達と懇意でなかったのはこの育てられ方にあった。
「ラッセルに銃のコツを教えてくれないか。こればかりは私が教えるわけにはいかなくてね」
ロイの銃の腕前はノーコンと言ってよいレベルだった。
「大佐、また練習をなまけてますね」
「ハハ、いまさら練習しても上達しないだろ」
「雨の日のこともお考えください。私が側にいられなくなっているのですから」
「それは考えているよ」 
うそではなかった。そのことは国家錬金術師4人がかりで逮捕したスカー(正しくは逮捕後軍によりスカーであると認定された者)との戦いでやがて証明される。
 その夜、軍の射撃場でリザとラッセルは軍の公式銃を手にしていた。比較的反動が小さく初年兵でも扱いやすいそのモデルは5年前から正式採用されていた。納入決定にわいろの噂がついて回るのはお約束のようなものである。
二人は同じ青い軍服姿である。唯一の違いはラッセルには階級証のある位置に大総統紋章に六茫星、すなわち銀時計と同じ標が銀糸で入っている。手にはめた白い手袋にはすでに練成陣が縫い込まれている。彼が銀時計を受け取ってまだ一日である。軍服といい手袋といい大総統はあまりにも手はずが良かった。   まるで、彼が来るのを待っていたかのように。
「銃は初めて?」
「はい、分解と組み立てだけは准将に伺いました」
「それなら私は射撃だけ教えるわ」
リザの模範演技はすべての的のどまんなかを10秒以内に打ち抜いた。
その後、ラッセルの初射撃が始まった。
リザの見るところ姿勢も持ち方も完全である。しかしまったく的に当たらない。ロイの話では練成時のコントロールは文字通り針の穴を通すレベルであるのでノーコンではないはずである。
(この子も大佐と同じで銃だけノーコンなの?でも普通姿勢も視線もこれだけ良ければ少しぐらい当たりそうなものだけど)
「一度練成であのまとに当ててみて」
「はい」
返事とともにまとは真二つに割れた。
「?何があったかよくわからないのだけど」
「練成した蔓を的に当てただけです。あのまとそんなに強くないようですね」
「そうでもないけど、(大型口径で撃っても壊れないようになっているはず)当てるのは簡単なのね」
「銃は反動のせいかな、簡単には当たらないものですね」
リザに向ける彼の目には素直な賞賛がある。
(あら、この子もこんなにかわいい顔するときもあるのね。こうしてると16に見えるわ)
ラッセルはまた撃ち始めた。『反動が』と口にした割には姿勢に乱れがない。(この程度の反動ならこの子の体力なら十分抑えられる。なぜ当たらないのかしら?)リザはラッセルの視線を追った。(もしかして?) 何かわかりかけた気がして、さらに見ようとしたときラッセルがつぶやくように言った。
「銃を撃つとき、心臓に響くようなぞくっとくるものがありますね。  そう、人に対する罪とでもいうような」
(なんだか変ね。まるでもう人を撃ったことがあるような言い方だわ。初めて撃つことに間違いはないはずなのに)
弾切れを起こしたところでまとが自動的に入れ替わる。1クール終了である。
「1度銃を変えて見ましょう。ラッセル君?」
気配の変化に振り向くとラッセルは左手を押さえ青い顔で壁によりかかっている。
「医務室にいきましょう」
「大丈夫です。これぐらい自分で治せます」
「あなたは何でもできるかもしれないけどできることとすることはイコールではないわ。時々はプロの手を利用しなさい。きっと新しい発見があるわよ」
普段のラッセルはまったに他人の意見をそのまま受け入れたりはしない。しかし、エドが姉か母のように懐いているリザには抵抗する気にならなかった。
 医務室ですぐ鎮痛剤を打たれた。
「お手間を取らせてすいません。ホークアイ大尉」
「ラッセル君 子供があまり気を使いすぎてはだめよ。胃が悪くなるわよ(笑)」
「子供・・・?」
「書類見たわ。あなたまだ16ですって。ごめんなさいね。21なんて言って」
「年を間違えられるのはいつものことですから。それに」
「自分でも意識して年を上に見せているからでしょう」
「ご明察恐れ入ります・・ッ痛」
「まだ痛む?薬の効き目遅いのかしら?」
「この手の薬は即効性が売りのはずですが」
「さすがに詳しいわね」
「2年ももぐり(診療)していましたから・・・」
軽く笑おうとしたラッセルの表情があいまいになる。
(妙だな。薬の加減か? だるい。それに、さむ・い)
リザが名を呼ぶ声がかすかに聞こえた。部屋の中が暗くなる。(いや、どうやら俺が気を失いかけて・・・)

リザの見ている前で急に表情を失った彼は床に崩れ落ちた。
「先生!」リザは医師を呼んだ。
「とにかくベッドに。しかしこんなに効くはずが無いが?」
医師は彼をあちこち調べていった。(これでは眠っているというより・・・意識レベルが低すぎる。昏睡に近い)
ラッセルの軍服には階級章の変わりに国家錬金術師の紋章が縫い取られている。
「錬金術師ですか。リバウンドの可能性はありませんか。大尉」
しかし、リザの知る限りリバウンドを起こすようなことは何も無かった。
「先生、よく初年兵が銃で最初に殺したときの心理テストに、銃とは人に対する罪である。という表現がありましたね」
「そうですよ、それを乗り越えてこそ一人前の兵です」
「彼が過去に人を撃った可能性はありえますか?」
「年齢から推測してあまり考えたくはないですが、まぁ軍の銃が横流しされているといううわさはありますからね。そういう物が手に入る環境ならありえるでしょう。その可能性を考慮するならばそれは心理面の問題です」
医師は言外に自分の責任ではないといいたいようだ。
(大佐はこの子を自由になる手ごまとして育てるつもりだわ。だとしたらこの子を調べなければ。大佐はまったく調査もしないでこの子を受け入れた。それは大佐がこの子を信じられると直勘したことが最大でしょうけど、私が連れて行ったという点も大きかったはず。それに銃は初めてと言った、あの言葉にうそは感じられない。おそらくこの子自身も知らない何かがあるはず。この子の安全のためにも調べなければ。何も知らないまま、こうやって眠ってしまうことになればそれが敵の前ならば。この子のためにも急いで調べなければ)
実年齢を知ったこともあるが、時として見せる幼すぎるほどの表情を見ているうちにリザの中でラッセルはハヤテと同じ守り教え育てる子犬になっていた。


 後日のことになるが、リザ・ホークアイはある町で起きた4年前の暴動を調べていた。死者20人、負傷者50人、行方不明者一人(女性エリノア・トリンガム)。それは日付から見てラッセルが12才の冬のこと。詳しく報告書を読み解いたリザは某未成年者の銃の暴発による負傷者が行方不明になっているという事実にいくつか事実をつなぎ合わせていた。(彼が母親を撃った。母親は失踪し彼は母が逃亡生活中に病死したと思い込んでいる。(12といえばエドワード君が国家錬金術師を取った年。エドワード君が絶望の中大佐の焔でよみがえったその同じ12才で彼は理由はわからないけど絶望を抱いたのだわ。) 報告書にはエリノア・トリンガムの写真が1枚つけられていた。少しぼんやりしたそれで見てさえも黄金の髪に青銀の夢見るような印象の瞳、二人の子供の母親というより夢見がちな少女の印象が強い。美しいそして男の保護欲をそそる、どこかはかない女性だった。失踪時28歳とあるから16歳でラッセルを生んだことになる。

リザはその報告書をロイの手を借りて、准将権限で消滅させた。何の相談もしなかったのに二人はそろってラッセルには同じ説明をした。「君の(あなたの)銃のノーコンはどうも先天的なもので練習してもしかたない。それより、得意分野の練成や体術を鍛えるほうがいい」
それは軍服に不可欠の銃さえも準銀製の空砲のみしか撃てないいわば偽物を持たせるほどであった。この擬似両親の用心のお陰で彼は実母と再会するまで自分の中の闇と出会うことはなかった


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穏やかな時間  本文の1部ですが入り損ねたお話

2007-01-13 19:39:42 | 鋼の錬金術師
銀の(アルゲントゥム)トリンガムの
リザの子犬達より  
 
本文の1「穏やかな時間」

 ラッセル・トリンガムが推薦枠で国家錬金術師にトップ合格したと知ったリザ・ホークアイはセントラル一おいしいと評判の店で直径40㎝のチーズケーキを買い元上司の住む緑陰荘に向かった。
(エドワード君少しは元気になっているといいけど)
電話で声を聞いた限りではずいぶん調子が良さそうに感じた。このケーキはエドの希望である。
「いらっしゃい、ホークアイ大尉」
「あ、中尉それ1番店のチーズケーキだろ」
前に見たときは意識もなく雨に打たれた子猫を思わす様子であったエドが、今日は顔色もよく玄関まで吹っ飛んできた。
「エドワード、お前はまったく子供みたいに。すいません大尉」
とがめているのは銀の瞳のトリンガム、先日リザが連れてきた青年だ。
「いいじゃん。俺中尉とは仲良しなんだ」
「気にしないで、エドワード君とは12歳のときからの友達なの」
「にしても、お前も一応16だろ。もう少し礼儀を」
「その言い方、ロイにそっくり。お前こっちに来て一段と老けたな」
「お前はまったく成長してないな。」
「誰が水やっても伸びない豆だ!」
「どうしてそう聞こえるのだろうな。俺は中身を言ってるんだが(まぁ、外も同じか)」
ポンポンとテンポ良く交わされる声にリザが微笑する。
「元気になって良かったわ。そうそうトリンガム少佐(待遇)銀時計おめでとう。私の目に狂いはなかったわ」
「ありがとうございます。大尉」
「軍の中ではないのよ。リザでいいわ」
「はい、・・・リザさん」
「あ、ずるい。ラッセルだけ名前呼びだ」
「そうね、いつも司令部で会っていたからすっかり『中尉』になっていたわね」
「わーい、それならリザ、姉さん」
「あらうれしいわ。かわいい弟がほしかったの」
「お茶入れてきます。エドワードあまりはしゃいでると後で疲れるぞ」
「お前がいるから平気だよー!」
テンポ良く投げ交わされる会話の中にもエドが闘病中であることがうかがえる。
(そうね、いくら奇跡の使い手の名を得ていても限界があるわね。この国の医術ではどうしても3ヶ月からよくもって一年。もう宣告されてしまっている。せめて残った時間を楽しめるようにしてあげたい)
「にぎやかだな、中尉」
「まぁ大佐いらっしゃったのですか」
「君が来ると聞いてね、久しぶりに休んだよ」
「大総統第一側近が簡単に休まれるなんて」
「第一側近か、首輪をはめ直されただけだが」
「大佐、そんなことを口にされては!」
「ハハ、心配しなくてもいい。君の前だけだ。中尉」
男女の視線はエドの上で溶け合った。
「あ、お邪魔なら俺あっちで待ってるけど」
「エドワード君!」
「エドワード!大人をからかうとは悪い子だな。どこで覚えたのだ。まったく」
「ラッセルから」
ぺろっと舌を出す姿は世間の評価通りのお子様で、「とても、あの緑陰(ラッセルの二つ名)と同じ年には見えない。うっかりすると10歳くらい違って見える」といわれるのも無理はない。もっともこの評価にはラッセルの年齢不詳も考慮に入れるべきである。

直径40センチのケーキはほとんどエドの腹に収まった。
「こんな甘いものよくそんなに食えるな」
わずかに1センチ分ほど味見しただけのラッセルは半ば感心したような表情でエドを無意識に見下ろした。
「ここのうまいんだ。一番店」いつもなら見下ろしてくるラッセルに文句をつけまくっているエドが今日は満面の笑顔で返答する。
「はぁー、幸せそうだな。(しかしこれでは夕飯のカロリーを加減してやらないと)」
エドのフォークからケーキのかけらがぽろぽろ落ちる。ラッセルが手早くふき取るが次の一口でまた落ちる。
「食ってからでいいだろ。そんなこと」
「そもそもぽろぽろ落とすのが問題だ」
「しょうがないだろ。ケーキだから」
「子供みたいな言い訳をするな・・と、お前子供だな」
「うるせー、このふけ顔」
リザがクスリと笑った。
「まるで、本当の兄弟みたいね。エドワード君いいお兄さんが出来て良かったわね」
やさしく笑うリザはいかなる二つ名を持つ国家錬金術師より強かった。
「ラッセル君は甘いもの苦手だったの」
「苦手では無いですけど、あまり食べないですね」
「こいつ好みまでおじんなんだ。コーヒーはブラックだしココアは飲めないし」
「飲めないではなく、飲まないだけだ」
「そういうのを苦手というのよ」
とりとめのない穏やかな時間が過ぎていく。そんな中でも国家錬金術師が三人もいるので練成の話題はよく出てくる。普通人には理解できない記号めいた言葉をむきになってやり取りする男3人をリザは昆虫採集に夢中の子供を見る母親の目で見ている。
(エドワード君のためにこんな幸せな時間がずっと続いてくれれば、 エドワード君?)
ついさっきまでロイに元気良く言い返していたエドが急におとなしくなった。
「エドワード部屋に戻ろう」
「・・・もう少しこっちにいたい」
目がかすんでいるのか、エドはしきりに両手でこすっている。
「こら、こするな。傷になるだろ」
ラッセルに手がエドの両手をそっと押さえる。
おとなしくなったエドを軽々と抱き上げた。


エドがいなくなると室内は急に静かになった。
「大丈夫かしら」
「エドならラッセルに任せておいていい。面倒見のいい子でね、治療以外にも食事におやつ着替えに歯磨きとじつに細かく面倒見てくれている」
「本当にお兄ちゃんですね。ラッセル君は」
「エドワードが子供に戻っているよ。あの子があんなに柔和な顔になるとは思わなかった」
「アルフォンス君はあれから?」
「連絡なしだ。あの子はそういう点もう少しこまめかと思ったが、やはりエドワードの弟だな」
冗談めかして言うがロイにはわかっていた。正式の国交の途絶えたシン国にあの目立つよろい姿で密入国するのがどれほど大変か。ましてや皇位継承争いのど真ん中に突っ込んでいったアルフォンスが簡単に連絡できるはずがない。
                                  
本文その2銃のお稽古へ

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兄の新婚生活

2007-01-13 19:34:07 | 鋼の錬金術師
弟と異なる兄の新婚生活の覗き見
逃亡者達25

ヘルガはフレッチャーの横でグラスを揺らした。だが乾きひび割れた唇の配偶者にグラスを渡そうとはしない。
命令することに慣れた貴族の声でヘルガは言う。
「すぐにマスタングのところに行け。息子が父に会いに行くのは当然だからな」
「父?」
「マスタングはお前の父親だ。養子契約は今も有効、当然お前はマスタングの息子でもある」
「あんな男、会う気は無い(僕から兄さんを奪って軍で飼っていた男。兄さんを守らなかった男)」
「少しは考えろ。(こいつに言うだけ無駄か。頭がいい割にはこういう肝心なところでまったく分かっていない。 かわいいものだ)こちらの持ちカードは少ない。使える手はすべて使う。
フレッチャー 俺に逆らうな」
逆らうなと言う声にフレッチャーは無意識にうなずいた。
フレッチャーはこの貴族の青年に調教され始めていた。
「良い子だ。ご褒美をやろう」
かさついた唇が熱いものでふさがれた。凍る寸前まで冷やされたシャンパンが移し与えられる。

あの程度の量で酔うはずも無いのにフレッチャーは階段を下りていきながら足元がふらつくのを感じていた。それは絶食状態4日間の後のアルコールだったためと、すでに気がつかないほど感覚が狂い始めていたのだがー薬のせいであった。
(マスタングのところに行って、追悼式の許可をもらう。‘息子‘の追悼式の)
耳元でヘルガがささやいた言葉。
(お前たちは親子として認められている。このカードはいつまで使えるか分からないから早めに使う。マスタングの息子として行動しろ。
マスタングはラッセル・トリンガムの死を利用してセントラルの大掃除を行った。前にもつかった手だが、そう『あの愛息誘拐事件』だ、あの事件、最初の報告ではエドワード・エルリックが捕まったとなっていた。そのときのマスタングの取り乱しようときたら、お前にも見せてやりたかったほどだ。
だが、次の報告で誘拐されたのがお前の兄だと知った後は、あっさり計算したそうだ。
どの範囲までテロリスト退治ができるかを。つまりお前の兄は息子のうちに入ってなかったわけだ。
なんだ、驚いていないな。分かりきっている顔をされるのはつまらないのだが。
ふん、まぁいい。野生のほうが楽しみもある。
そうだ。今回もマスタングは大掃除を前よりも大掛かりに実行した。
死んでからまで利用される。軍人の鑑だよ。お前の兄は。
だが、少しばかりやりすぎて、収まりがつかなくなった。
トリンガム准将待遇の『本当の死因』が必要だ。
マスタングにそいつをくれてやれ。
『兄の自殺で軍に多大なご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます』言えるな。
よしいい子だ。後はマスタングの出方次第だがおそらく自殺で手を打つはずだ。
今更どのグループを真犯人として指定しても収拾がつかない。自殺ならうまく押さえ込める。
それを口に出せるのは実弟のお前だけだ)

フレッチャー・トリンガムは軍では大佐の一人に過ぎないはずである。普通の大佐ならいきなり大総統に面会を申し出てすぐ通されるはずは無い。しかし、彼は単なる大佐ではない。あの守護獣とも北の守護神とも呼ばれた故ラッセルの実弟であり、今はたった一人になった「マスタングの息子」である。あの輝きの兄弟の唯一の生き残り。
面会希望は他の予定を組み替えて最優先で通された。

―大佐はあの子達とは親子としては失格でした、でもあなた方4人は間違いなく家族です。もう一度話してみて。きっとあの子もチャンスを待っているわー
リザはお茶を用意しながらマスタングにそう教えた。(あの時あの子をやさしく受け止めていれば、
いいえ不可能だった。でも今からまだやり直せるかもしれない。大佐、フレッチャー君とあなたは間違いなく親子でもあるのだから)
このところのフレッチャーの動きを見ているとロイを確実に敵と定めたように見える。
あの時はフレッチャーが衝動的に飛び出すのを防ぐためにマスタングはああいう言い方をしたが、唯一の息子になったフレッチャーと敵対するのは政権の安定のためにも好ましくない。
(それに、ロイ、あの子にはもうあなたしかいないのよ。受け止めてあげて。あの子は置いていかれた子。ラッセル君がどう考えて行動していたとしても、そうたとえ本当に死んでいたとしてもあの子が置いていかれた子であるのは同じ)
ロイの部屋に足音が消えていった。


「アル」
マスタングは軍人でありながらあえて私服で入ってきたフレッチャーを一目見て思わずそう呼んだ。
そしてどこかぼんやりとした視線だったフレッチャーが一瞬で変貌するのを見て取った。
(リザ、君の言うとおりだ。私は親としては失格だ。この肝心なときに)
そう、肝心なときにロイはフレッチャーをアルフォンスと見てしまった。
似ているのではない。10歳で成長を止めたアルに29歳の姿があるはずも無い。しかしマスタングはフレッチャーの成長にアルの成長した姿をいつも重ねて見ていた。
10分後、手も付けられなかったコーヒーカップを下げるリザにマスタングは言う。
「私には親になる資格はない。
あの子が望む限り戦ってやる。私にできるたった一つのことだ」
リザは答えなかった。戦いを受けてやる。それは父としての愛情。だが、それに父がそこにたどり着いたとき、子は父を親としては求めない。


弟がロイと親子の決別と宣戦布告を交し合っていたころ、兄は、兄の残った肉体はけらけら笑っていた。
医師の診断ではラッセルの精神は1歳かよくて1歳半程度でとまっている。
脳細胞自体が死滅しているのでこれ以上の成長は望みにくい。
しかし、正式の検査をしたわけではない(医師は内科医であって脳障害の専門家ではない)ため保障はしかねる。
アームストロング元将軍はそれに対して特にコメントしなかった。
「この子が幸せならそれでいい」
あの夜からその死去までの5年間、彼の指示はそれだけであった。

朝、 10時を過ぎたころようやく起きる。一人では起き上がれない(起きようとしない)ラッセルをルイ・アームストロングは姫抱きでベッドから下ろす。
顔を拭いて、汗ばんでいるようなら身体も拭いて、服を全部着替えさせて、ひざに抱いて朝食を食べさす。ラッセルはスプーンすら自分では持たない。
まだ寝ぼけているラッセルに一口ずつ食べさせる。セントラルにいたときは甘いものが苦手だったのだが記憶が消えてからは子供のように甘いものが好きになった。食欲の無い日は無理をさせずに好きなものだけをつまませる。3歳児の爪の大きさ程のベリーがお気に入りだ。原種に近いそれは普通の流通ルートにはないため手に入れるのにかなりの苦労がある。それを毎日特別便で届けさせている。
セントラルの社交界(金も地位もある財閥などの関係者が集まるところ)では、あの堅物のアームストロング卿が女を囲ったらしいといううわさが立った。
セントラルで兄の代理として財団の経営を見ているキャスリンはそのうわさを聞いたとき、淡いレースのハンカチーフを粉々に粉砕した。
そしてローズピンクの口紅に縁取られた唇を振るわせた。
「お兄様」
小さい声は長年そばに仕えている侍従にしか聞こえなかった。

兄は引退後の5年の間、幾度かセントラルに帰ってきたが軍の用事とどうしても避けられない財団の用事以外には秘密の引退所に引っ込んでしまい、妹を財団当主代理の重責から解放してはくれなかった。ときどきセントラルの有名店にとんでもない注文を出してそのたびにうわさの種になった。
特に高級玩具店であるだけの種類を購入したときには隠し子騒動がおきた。しかしそのうわさは白バラの女王とたたえられたキャスリンの姿を見るとぴたりとやんだ。当主代理として10数年になる彼女は凛とした美貌と背筋の伸びた美しさと、まさしくバラの女王にふさわしい情け容赦ない経営手腕で知られていた。彼女の怒りを買って生き残ったものはいない。

ある会議の帰り、車の中で彼女は青白い月を見上げた。
透明な光をやさしく放つ銀の月。
「ラッセル様。お約束は5年でした。でも」
5年が過ぎた後も2人は婚約者(候補)として周りに見られていたし、2人の行動もそう見えるものだった。ラッセルが引きこもりになるまで、このカップルはマスタング政権とアームストロング財団の絆と見られいずれ式を挙げると思われていた。
キャスリンは月をまっすぐに見上げた。
好きか?と訊かれれば今もイエスと答える。たとえ、あの人がどう答えようと。
(何があっても私はお味方します。あなたがお兄様の心を守ってくださったから)
今夜は満月。ころころと転がっていきそうな丸い月であった。


ころころと丸いものが転がった。
直径3センチのビー球が転がった。その後ろを絹の白いスラックスの青年がはいずるように追いかける。その表情にはもうまったく何の影も無い。ただころがっていく玉を追いかけるだけ。
きゃーきゃぁと大きな声は出ないが(肺を貫かれたラッセルは普通の会話以上の声は出せなくなっていた)楽しげな声が聞こえる。
ルイ・アームストロングは高価な錬金術書を本棚に戻した。昨日とおとといとラッセルがヒステリーを起こし引き摺り下ろした本の最後の1冊である。
ルイのいない間ラッセルはたいそう悪い子になる。食事はひっくり返し皿を投げ出しグラスを叩き割り、水を出しっぱなしにして床をぬらし、窓を叩き割り、手を切って大泣きし・・・。本を床に散らかし、本棚を練成で分解し・・・。
医師が怒鳴ると大泣きしながらつる植物の檻に閉じ込めた。とげだらけの蔓に身動きできない医師がそれでも怒鳴ると、急に泣き止んで舌を出した。悪いこととわかってやっているのだ。
帰宅したルイが最初にすることは泣きわめくラッセルをなだめることで、次にやるのはいたずらの跡を修復することだ。
不運にもこの1件に巻き込まれた医師は『怒ってください』と迫ってくるが屈託の無いラッセルの笑顔を見ていると怒るに怒れない。
(ラッセルは今まで我慢ばかりしていたのだ。せめてやりたいようにやらせて1日でも長く幸せでいて欲しい)
ルイとラッセル(と呼ばれる個体)はこうしてたいそう幸福な時間を過ごした。
この生活はルイ・アームストロングがセントラルに向かう途中の小さな駅において心不全で死亡するまで5年間続く。



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望ましくない新婚生活

2007-01-13 19:19:48 | 鋼の錬金術師
逃亡者達24
望ましくない新婚生活

フレッチャー・R・トリンガムは昼前になってもベッドの中にいた。
目は覚めているのだが腰が動かせない。
(ヘルガのやつ、やりたい放題やりやがった)
のどが渇いていたが水差しまで手が届かない。
水の跳ねる音がする。
小さい魚が跳ねる。
アメストリスで一番高価な淡水魚。金色の空飛ぶめだか。ちっちゃなエディが水面に降りた。
エディを見ていると昔の、[幸せ]だった頃を思い出す。
兄がその昔〈アームストロング卿の妹〉に贈ったこの小さい魚は、彼女の手でエディと名づけられた。
「小さくてかわいいし自分のサイズを考えないで無理な方向にでも向かっていく勢いがよく似ているから」と言うのが命名理由。
これを後に耳にした時、エドは大変なヒステリーを起こし、兄が相当苦労して機嫌をとっていた。今となっては懐かしい思い出だ。
その後彼女の誕生パーテイにおいて紫水晶を削りだして作られた5メートルもある水槽の中でエディは泳いで飛んで、上流社会の女性達に人気を独占した。誕生会のときの水槽は底に敷かれた砂金だけで30キロを超えていた。
後にエディは友好の贈り物としてシン国皇帝にさえ献上された。
作られてから15年後の今日でも最高級ペットの座に君臨している。

そのエディの水槽がある寝室。当然上流階級である。
淡くすけるレースの天蓋。スミレ芍薬ゆりバラその他のすかしレース。
このサイズを編み上げるには3年はかかるだろう淡い薄い布。
ヘルガが貴族階級なのは知っていたがこの部屋の調度品から見てアームストロング家に並ぶ家柄らしい。今まで興味が無かったので聞いてみたことも無いが。

ヘルガが入ってきた。なんとなくびくりと身体が反応する。
(どうして俺がこいつを怖がらなければならないんだ)
フレッチャーは恐怖の反応を示そうとする自分の身体をしかりつける。
秘密裏に処刑された赤い瞳の精神科医、ヒーラー・カインなら答えをくれただろう。
『恐怖心、それこそは相手の支配を受け入れる第1歩だ。個人でも国でも民族でも』
その昔ヒーラーには兄がずっと世話になっていた。
彼が実は混血で、スカーの支持団体に国家錬金術師の情報を流していたのは軍の最高機密になっている。彼の治療をうけた術師が多すぎて公開処刑では影響が抑えられないとの判断であった。
フレッチャーがわずかにもらした反応にヘルガはほくそえむ。
10日も続けて寝室で××××した効果が出ている。
(フレッチャーお前は俺のものだ)



兄の新婚生活(ふじょし視点)

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金色のエディ

2007-01-13 19:18:03 | 鋼の錬金術師
金色、金色。空に舞え

3センチほどの金色の流線型。
それが水面で跳ね上がる。
わずか5センチほどのジャンプ。でもちいさなそれにとっては大変な距離。
「空が見えたか」
兄の声だ。弟はドアを開こうとする手をそのまま止めた。
兄が何か言っている。
声を聞くのは5日ぶり。映画を見に行った後少しごたがあって、巻き込まれた・・・好き好んでトラブルに飛び込んでいった兄は帰ってきたときのどを痛めていた。
それいらい軍を休んで研究室にこもっている。
後になって思ったことだが兄には基本的に引きこもる癖がある。ゼノタイムでもセントラルに出てからも暇があると研究室や温室に閉じこもった。後に5年も引きこもりになった、原因の1端は兄にもともと引きこもる癖があったことだろう。

ドアの前で待ってみるがもう声は聞こえない。そっとドアを広いた。
「兄さん」
この部屋には兄と2人だけなので昔のように「兄さん」と呼んでみる。兄は答えてくれるだろうか?
「フレッチャー見ろ。いいできだろ」
兄の声。久しぶりに聞く計算の無い声。
兄の左手が指す先には50センチの水槽。
その中に金色の小さい魚。
輝くような金。それが人の気配を感じたか、すばやく泳いで水草に隠れた。小さい割に速い。ちまちまとすばやく動く姿はまるで・・・聞こえたら怒られるだろうけどエドワードさんのようだ。

「元気な子だね。熱帯魚?」
形やサイズはめだかに見えるがこの太陽を溶かしたような鮮やかな金色はめだかではありえない。
「いや、新種 になるかな」
「練成?」
「・・・、少しばかり手は貸したが、こいつの意思だ」
兄の声にさそわれたか金色のめだかは水草の陰から出てきた。小さな尾をせいいっぱい振って水面を目指す。水面近くでガラスに頭をぶつけた。
「チビちゃん。あまりぶっかってばかりいると大きくなれないぞ」
からかうような兄の声。
(エドワードさんのいるところでは絶対いえないせりふだなー)
最初の出会いのときにはエドの小ささをさんざんからかっていたこの兄だが、再会以来エドが不快に思うようなことは100パーセント口にしない。今のエドはこの兄の守るべき宝物だ。
金色のめだかは別に言葉が分かったわけでも無かろうが、怒ったように背中(尻尾)を向けて水底に下りていった。
「かわいいなぁ」
小さい魚に兄は声をかける。金色の身体が人工光線を反射する。
水底からどんどんスピードをあげて水面に向かう。矢のようなと言いたいが、ちいさすぎて光の粒のように見える。
水面すれすれでそれは起きた。
「あっ」
金色の小魚は小さいなりに大きなひれを広げて水面から空中に飛び出した。魚なのに鳥のように見えた。3センチの身長(体長)に対してせいいっぱい広げたひれは5センチもあった。
12345678910
10個数える間金色は空で遊んだ。
チャポン
小さな音を立ててはね(ひれ)を閉じた小魚は水中に戻った。
「どうだ」
いたずらに成功した子供を自慢する母親の声で、兄は弟の感想を促した。

「エドワードさんみたいだ。小さくて元気で行けないところでも突っ込んでいく
それに、かわいいね」
「かわいいだろ」
兄はすっかり親ばかの自慢モードに入っている。
長々と自慢される前に弟は先制した。
「キャスリンさんに贈るんでしょう。もうすぐ誕生日だから」
「へ、?・・・そうなのか」
仮にも婚約者(と見られている)女の子の誕生日すらこの兄は把握していない。
(本当にキャスリンさんのこと好きなの?)
そう訊いてみたくなる。
だが、うかつに訊いて「別に」とか、「好きといった覚えは無い」とか答えられたら、(・・・やっぱりそっとしておこう)。弟は兄の幸せと平和のために口を閉じた。
金色のめだかはまた羽(ひれ)を広げて、空を飛んだ。
小さな三角形、金の三角、底辺5センチ、高さ3センチの三角形。
(僕たちみたいだ)
エドを頂点に同じ距離をとりあう三角形。
きらきら輝く金色の幸せのために。
「金のリボンを付けて贈り物にしたら喜ばれるよ。女の子はかわいくてきれいなものが大好きだから」
「お前詳しいな」
感心したように言う兄。女のことはマスタングに山のように教えられたが、女の子のことはさっぱり分かっていない。(この人ときたらまったく)兄には分からないだろうため息を弟はそっとついた。



本当はめだかがこの国にいるのはありえないのですが、どうもグッピーでは合わない気がして。
空を目指しためだか、エディです。お気に召したらペットにどうぞ(笑)


望ましくない新婚生活

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チェックアウトの正しくない行い方

2007-01-13 19:16:02 | 鋼の錬金術師
誘拐の 続き

チェックアウトの正しくない行い方

ぴしり
右手首に火が走った気がした。
疲れのためかすむ目を無理やり開いて見据えると黒い皮ひもが3重にまきついている。
すぐふりほどこうとした。しかし、皮ひもはしっかりと張り付いている。
(いい材質だ)
ラッセルは素直に感心した。
相手の姿は見えない。この鞭は5メートル以上あるのだろう。(よく自在に扱えるな)と感心する。こんなときなのに、いやどんなときにでもラッセルには(いいものはいい)と素直に受け止められた。このすなおさは年上の女たちから見れば幼さに見えた。
しかし今はゆっくり素材を見るひまなど無かった。鞭が引き戻される。右手首が締め上げられる。
びしっ
右手首に走る激痛。
(ひびか、骨折か?)
いずれにしても引きずり出された後では、右腕は使えない。
(まずい)
シャワールームから寝室に引きずり戻された。
視線に入るのは黒い靴。上質の革。しっかりした造り。
(こいつが首謀者?)
靴を見ただけでラッセルには今自分を引きずり出した男がどの階層なのかの見当がついた。
貴族。あるいは高級軍人。財閥の高官クラス。
硬い音がした。黒い靴の男の足が床に倒れたラッセルの後頭部を踏みつけた。
額が床にぶつかった。
男が視線で命じる。
後ろに控えていた使用人らしき男達が皮の鞭を握る。
寝室の壁は大きな鏡が作り付けになっている。
鏡の脇の銀の飾り燭台に鞭を縛り付ける。
ラッセルの身体は右手首の鞭1本で燭台につるされた。
足先がわずかに床につくが体重を支えるほどではない。
(こういうとき心拍数の多いのは損だ)
心臓が動くたび、鞭で締め上げられた手首が痛む。
気を失いたくてもこの痛みでは望みはかなわない。
(どうしよう・・・准将に怒られるかな)
痛みに集中しないよう意識をほかの方向に向ける。
黒い靴の男は興味を失ったかのように部屋を出た。気配が遠ざかる。
抵抗する気力の無い獲物には食指が動かないのだろう。
(残りは4人か)
ラッセルは気配をうかがった。

黒い靴の男は配下に命じた。
「あの銀の坊やを私の獲物として今夜のオークションに出すように手配を」
このホテルは闇社会の特別な獲物のオークション会場になっていた。
黒い靴の男は宝石を競り落としに来たのだが気まぐれに自分の獲物を出品することにした。

もしこのときラッセルがつかまったままでいてオークションにかけられていたら、彼はマダム達の手で競り落とされたはずである。ラッセルの身体のためにはむしろその方がよかった。
しかし、彼はプライドが高かった。誰かに助けられるのを待つなどまっぴらだった。

ラッセルはぐったりと意識の無い振りをしながら犯人たちの動きを読む。
今いる4人はさっきぶちのめした6人とはタイプが違う。一言で言えば忠臣に見える。
(とりあえず殺す気は無いようだ)
殺すつもりならあっさりやっているはずだ。
窓の位置。敵の位置を計算する。
(3秒なら、自由になれる。3秒で外に逃げるには・・・)
あまり使いたい手ではないが仕方が無い。窓から飛び出して逃げるしかない。
(ガラスを割るといくらぐらいになるか?)
根が貧乏性のラッセルはまず値段を計算した。
検算結果は練成を使うよりは安いと出た。
敵の位置がずれた。全員の視線がラッセルから外れた。彼らはそのときご当主様のご命令を承っていた。
(よし、今だ!!)
ぐったりと意識が無いように見えていたラッセルは思いっきり身体を揺さぶり鏡にぶつかった。
勢いのまま肘を打ちつける。
鏡の割れる音。
振り向く4人の目に割れた破片の一片を握りしめ黒い鞭を切り裂くラッセルの姿が映った。
白いスーツに血が落ちてしみを付ける。
(早い)
敵が銃を手にする間合いが予測より早い。
(こいつら素人どころか、まともな軍人より反応が早い!)
余裕があれば窓から出ずに練成でドアを作ってと考えていたが、そんなゆうちょうなことはできなかった。
手にした鏡片を投げる。敵4人は簡単によけた。
だが、ラッセルの狙いはシャンデリアの鎖のつなぎ目だった。
シャンデリアが大きく傾いた。明かりが消えた。
窓があるのでまっくらにはならないがそれでも1秒足らず4人の動きは抑えられた。
その1秒でラッセルは大窓の鍵を開き外に飛び出した。

街を行く人の幾人かが悲鳴をあげた。
高級ホテルの最上階から人が飛び出せばたいていの人は驚くだろう。
「きゃー!!!」
悲鳴。
だが、飛び出した影は予測に逆らった。
ラッセルはホテルの壁のつたを左手で握り下の階の窓枠に足を着いた。
ラッセルは運の無い人であった。その部屋には、黒い靴の男がいた。
「ほう、下賎の者にしてはなかなかやる」
黒い靴の男は大きく窓を開けた。手には鞭を持って。
「私のものになれ。そうすれば私が飽きるまで生かしておこう」
ラッセルは答えなかった。
答える余裕は無かった。
イエスと言ってもノーと言ってもあの鞭は動く気がした。
今いるのは4階の窓。単純に飛び降りるには高すぎる。
セントラル特有のビル風がつたを揺らす。
蔦を利用して3階まで逃げてもあの鞭に叩き落されるのは予測がついた。
(それなら)
ラッセルは手を離してまっすぐ落ちた。
女の悲鳴が聞こえた。
(マダムレーヌの声?)
鞭が追ってくるが重力で加速した肉体はそれより早く落ちていく。
3回と2回の間でつたを握る。ぶちぶちとちぎれる。
(無理か!)
風にあおられたつたは加速した身体を支えるには不足した。
2回の窓枠を指先がつかむ。だが手が血で濡れていた。ずるり
手がすべる。落下速度はわずかに弱まったが、身体を支えることはできない。
とっさに痛みを忘れ右手でつたをつかむ。
痛みに叫んだが声にはならない。背中に何かが走っていく。
それは恐怖心であった。

「ラッセルー!!」「兄さん!!」
「緑陰!」
3つの声が聞こえた。
答えるひまも無い
落ちた


3人の錬金術師が3者3様に走った。
弟は兄のいる3階にとホテルの階段を走りあがった。
エドは地面を練成してラッセルを安全に受け止めようとした。両手を打ち鳴らす。
もう一人、初老の錬金術師、2つ名を白水、彼はホテルの給水管に両手を当てた。
3    2  1 0
バッシャーン
ラッセルは派手にしぶきを上げて道路の上に四角く切り分けられたような水の中に落ちた。
それは通行人の言葉によると「いきなり光ったかと思えば、切り取ったプールみたいに水が、壁の無い水槽みたいに現れた」。
「そしたらそこに王子様が振ってきたのよ」
遠い外国のお話の人魚姫になぞらえて目撃者はそう付け加えた。
純白のスーツ姿のラッセルは絵本の挿絵の王子様さながらに見えた。

白髪交じりの白水の錬金術師はお姫様の役である。結界を解いて水を一気に流すとおぼれる寸前の王子様を助け出した。
「緑陰、まったくまた何か無茶をしたようだな」
濡れ鼠の王子は相手が誰かを確認すると「ひとつ貸しててください」とのみ答えた。
そしてビル風に震えると大きなくしゃみをした。


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誘拐

2007-01-13 19:14:05 | 鋼の錬金術師
逃亡者達21

誘拐

店を飛び出してすぐ銃を向けられた。その場でなぎ倒してもよかったが気が変わった。
(単なる身代金目当ての犯行か、裏があるのか調べてもいい)
そう思って無抵抗で車に押し込まれた。
ラッセルは自分で気がつかない。この1年の異常な状況の連続と、今のあまりにも心地よい人肌の温度に自分の精神はいらだっていたことに。戦いたい。意識下の強烈な欲望があえてトラブルの方向に足を向けさせた。だが、忘れてはいけないことがあった。ラッセルの肉体は20歳にもならぬ年で壊れかけており乱戦に耐えるだけの力を失っていた。

意外に早く車は止まった。目隠しをされているが縛られてはいない。
引っ張られるままに歩いて椅子に座った。
そのまま縛られた。ごく細いロープだ。昔なら力だけで引きちぎれる程度の。
今はとても無理だが。
テロリストたちは目隠しをはずそうとはしない。
「さて、どこのお壌さんだ?答えてもらおうか」
犯人の言葉に答えないで様子を見た。
「どこの紋章だ?」
ラッセルのポケットからごく薄い絹のハンカチーフをテロリストたちは抜き取っていた。
「!!こいつ男だ!赤い蜥蜴・・マスタング家か」
「マスタングは独身だろう」
「養子をとったと聞いたな。こいつがそれか。名前が確かエディ」
「エディ?エドワード・エルリックだろ。錬金術師で12歳のときからマスタングのお気に入りだ。こりゃ上玉だな。いくらでも絞れるぜ。それとマスタングなら・・・」
言葉の後半は小声になったのでラッセルには聞こえなかった。

テロリストグループはたいていほかのグループとつるんでいる。
今回もマスタングのお気に入りの息子を捉えたという話はたちどころに裏社会に広がった。その結果、まず軍のマスタングに身代金の要求が30件も入った。第2秘書が取り次いだのはその1件目である。身代金だけではない。捕らえられているテロリスト幹部の解放要求、軍の占領地区の開放要求、その中には明らかに矛盾する要求もある。個々のグループがマスタングの息子の誘拐をきっかけに名乗りを上げている。すべての要求をあわせると100件を超えた。これはどのグループが主犯か分からなくする意味もあり、テロリスト側の常套手段である。それでも要求件数が100を越したのはこの事件が最初であった。

「エドワード・エルリックといえば確か最小国家錬金術師だったはず」
「知らないのか? あのスカーを倒したときの負傷がきっかけで錬金術を使えなくなったって話」
「へえー、それであっさりつかまったわけか。・・・きれいな顔してやがる」
「マスタングの趣味だろ」

ラッセルはひそかに苦笑する。だが都合がいい。テロリストたちが錬金術を使えないと誤解してくれているほうがいい。
「痛い」
小さく弱い声で訴える。
テロリストの一人がロープの下の肌を見た。縛ってから10分と立っていないのにもう赤く鬱血している。透けて見えるほどの色白さに赤く細いロープの痕がなんとも扇情的に見える。
ロープの位置をずらしてくれたテロリストが思わず息を止めた。
彼が今夜どんな夢を見るかは彼自身にしか分からない。〈夢を見ることができればだが〉
ラッセルは目隠しされたままの瞳でテロリストを見上げて、小さくため息をついた。そのわずかな息がテロリストの若者のまつげを揺らした。
「おい、はずしてもいいだろ。どうせこんな細っこいお坊ちゃまだ。縛る必要も無いだろ」
言い訳するように仲間に言うとテロリストの若者はするするとロープをはずす。
ラッセルは普段はマダムたちに使っているやさしい微笑を見せる。
『君は魅力的だ。そのままでも十分だが私が磨き上げればさらに輝く。どんな女も君の微笑の前には座り込むだろう』
ラッセルを社交界に乗り立たせようと決めたときマスタングが言った言葉だ。あれからマスタングに視線・歩き方・会話術・化粧品知識にいたるまで対女性用対策を叩き込まれた。
(どうやら、男にも多少は有効だな)
あまり愉快ではないが使える武器は有効に使うべきだ。

しばらくテロリストの動きは無い。
さらに、1時間たってラッセルの腰が痛んできたころ。
隣の部屋の声だろう。少しくぐもって聞こえる。
「大変だ!!マスタングが憲兵を大量に動かしてあちこちのアジトを攻撃している!!」
「何だと!人質のことは伝えたはずだ!」
「それで、同時に犯行声明を出したグループがほとんどやられてる。ここも危ないぞ」
(やってくれたな。准将)
ラッセルは内心でにやりと笑った。
軍はこの国の最高権力であるが、だからといって何でも自由にできるわけではない。ブラック・マーケットともバランスをとらないと国の経済自体が混乱する。
このところセントラルの治安が悪いのは事実である。なにかきっかけがあれば軍は動くと物事を見る眼があるものは予測していた。
ラッセル。いや、形の上ではエドワードの誘拐はマスタングにそのきっかけを与え、大総統に懇願する理由を与えた。
「私の息子が誘拐されました。父としてまことにふがいなく感じます。大総統の御寛恕をいただけますならばわが手で息子のあだを取りたく願いたてます」
芝居っけたっぷりにそんなことを言ったのだろう。
おそらくあの狸親父もそれに応じたはずだ。
本来、セントラルの治安は3割がマスタングの指揮下にあるが7割はブイエ将軍の指揮下にある。
しかし、この件に限りブラッドレイ大総統はマスタングに全権を与えた。
町の平和を脅かしていたテロリストのアジトがマスタングの命令の下たたきつぶされていく。
マスタングが自ら現場にたった場所には巨大な火柱が上がった。それは市民たちにはこの町の治安を守るのがマスタングであるのを印象付けた。
「英雄」
連絡係としてついてきた第3秘書が惚れ惚れとつぶやいた。
一言で言うとかっこいい。闘う雄の匂いがあふれる。人の耳では感じ取れない低い音が空気の振動になって彼女の皮膚を刺激する。
どんな女でも発情せずにおれないような最強の雄の匂いがあふれる。
(あの姿は擬態だったのね)
うっとりと崇拝者の視線で見上げる彼女にマスタングは特上の笑みを見せる。
自ら創り上げた炎の舞台にただ一人立つマスタングは、世界の終わる日にすべてを燃やし尽くすと言われるアグニの像のように見えた。アグニに焼き尽くされて世界は再生すると言う。
(この男に燃やされたい)
セピア色の瞳に焔の色を映して第3秘書はあっさりとマスタングのとりこになった。

「殺すか」
「いや、殺しては役に立たない。アジトに連れて行こう」
テロリストたちの会話が聞こえる。
その間にラッセルはそっと目隠しをはずした。どうやらセントラル市内の高級ホテルの中らしい。
(意外性というやつか)
確かに人質を抱えたテロリストが高級ホテルにいるとは思わないだろう。
この部屋で銃を持っているやつが5人。おそらく手前の部屋にも5人ほどいるだろう。敵は10人。
(これぐらいならリハビリの効果を試すのにちょうどいい)
通常1人で対応できる戦闘は3人が限度である。それを超えないように戦い方を組み立てるのも戦闘力のうちである。
錬金術を併用すれば多人数との戦闘も可能だが今回は使う気がしない。調度品の雰囲気からしてここはホテルシルクロードだ。シンとの交流が盛んだった頃に出来たホテルでシン風の高級調度品が自慢である。つまり、何気なく飾られている壷1個で3000万センシズはする。うかつに術を使えば、いくら弁償しなくてはならないか分かったものではない。

「おい、立て」
銃を押し付けてくる。
その男から強烈な憎悪を感じた。
相手の顔を見ても記憶には無い。
(うらまれる覚えは無いな。となると准将がらみか)
若くして上り詰めつつあるマスタングには敵が多い。軍の中にも外にも大量の敵を抱えている。それだけにエドを養子にするときには公表すべきかという点でずいぶん悩んだ。マスタングの息子という立場はエドの安全のために考えられた最高の手ではあるが同時に敵を増やすことにもなる。それは同じ立場のラッセルにも当てはまった。
「きれいなつらしてやがる。この顔、焼いてから返してやろうか」
テロリストは銃を置くとライターに火をつけた。
「マスタングは俺の女を炭化するまで焼きやがった」
テロリストの手は震えている。
(薬物中毒か)
毛髪の焼ける特有の臭いがする。
じわじわと炎が近づいてくる。

焼き尽くされるテロリストのアジトからは人肉の焼ける臭いはしなかった。ロイはここがセントラル市内であることは考慮していた。この炎はあくまでも威嚇である。からっぽのアジトを派手に燃やし、憲兵を大量に走らせ逃げ切れないとあきらめたテロリストたちを片っ端から捕らえる。
類焼を防ぐため1箇所ごとに無酸素状態の空気層の壁を作りさらに『白水の錬金術師』を念のために同行させている。
(私の出番はなさそうですね)
ロイの焔はそれ自身意思があるもののように見える。
白水の錬金術師は安全のため少し離れた車の中にいたが、ずっと火を見ていたためかのどの渇きを覚えた。マスタングにことわってから、近くのホテルのティールームに入った。
東洋風の雰囲気で人気のホテルシルクロード。

「おい止せよ。傷つけるな」
さっきロープをはずした若いテロリストが後ろから声をかけたが、ライターを手にした男は聞こえてすらいない。また髪のこげる臭いがする。
男たちの意識が銃から離れた。
(今だ)
ラッセルはいすを蹴り倒して勢いよく立った。そのまま大きく蹴り上げる。銃が吹っ飛んで窓ガラスに派手にぶっかった。
(割れない!)
筋力の低下を計算に入れ忘れた。ガラスを叩き割って下の植え込みに落ちるはずの銃は室内に残った。
「このガキが!」
拳圧で壁がへこむ。
軽く飛んで最初の拳をかわしはしたが、ラッセルは計算違いに臍をかんだ。
銃を落としてホテルの警備員が来るのも計算のうちだった。この部屋の5人は一人で倒すつもりだったが外の5人は捕まえさせる予定だった。
(こうなったら、やるか)
追い詰められているのに心が高揚してくる。久しぶりの緊張感。多人数を相手にして喧嘩した日々の記憶。体重が倍はありそうな大男たちを1撃でのした後の酒の味。口の中が切れていて少し鉄の味が混じった。アドレナリンが一度に増加する。そんな感覚が一度に戻ってくる。
「こまるな、この髪はマダムのお気に入りでね。切ったら怒られるんだ」
言うと同時に1人目を蹴り倒した。
ラッセルの外見に油断しきっていた1人目の男はあっさり倒れた。おそらく何がなんだか分からないままだろう。
2人目をストレートで殴り倒してシャワールームに走った。多人数相手に広い室内では不利だ。狭いところで1人ずつ確実にしとめたほうがいい。
どたどたと追ってきた3人目の足めがけて石鹸を投げた。転倒した。その後ろから走りこんできた4人目がそいつを踏みつけた。
いやな音と叫び声。アバラが折れたようだ。
(気の毒に)
ラッセルは自分が殴った相手のことは同情しないが、仲間に踏んづけられた男には同情の念が沸いた。
手早くシャンプーのボトルのふたを開けた。シャワー室に入ろうとする4人目の顔めがけておもいっきりぶちまけた。一瞬で視力を奪われた4人目はみぞおちを踏みつけられ3人目の上に重ねられた。
(4人、後6人か)
心臓の音が大きく感じられる。
勝負を急いだほうがいいようだ。
5人目が来た。銃を構えている。
「見た目はきれいだが、いささか暴れん坊のようだな。さすがは鋼の錬金術師だ。だが、銃には敵うまい。おとなしく出てきたまえ」
5人目の男は床に伸びている3人目と4人目の男を踏んでラッセルに近寄った。
(仲間意識は無いな)
あるいは別グループの者かもしれない。
ラッセルはシャワーヘッドを手にしていた。
後ろ手で温度を調整する。最高温度に。
「さぁ、出てくるんだ」
テロリストがシャワー室に手をかけた。
(射程範囲)
すばやくシャワーに切り替えた。
テロリストの顔めがけて熱い湯が走る。
「!!」
このホテルの湯恩は最高60度。やけどするには十分である。
ひるんだところをひじ打ちする。テロリストがひざをついた。さらに1撃を加えると完全に伸びた。
(苦しい)
息苦しい。高温のシャワーのせいで温度が上がったためか、胸が詰まる。
外に出たかった。
だが、すでに6人目が来ている。
5人目の持っていた銃を拾い上げた。
撃ってくると思ったのだろう。6人目は逃げかけた。そのひざをめがけて勢いを付けて銃を投げた。
まさか、いきなり投げてくるとは思わなかったらしい。当然である。銃は撃つためのもので投げるものではない。
隙を狙って拳を打ち込む。だが呼吸が狂った。
カウンターでボディブローを受けた。胃が平らに伸し上げられた気がした
「う、ぐぅ」
ラッセルは吐いた。2時間ほど前に口にしたケーキのかけらとわずかな胃液。そして黒い血が床に落ちた。
(休みたい)
1分でいいから一呼吸つきたかった。
だが、テロリストたちは勤勉だった。



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