金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

嘘つき2

2007-01-13 14:33:02 | 鋼の錬金術師
嘘つき2


明朝はブイエの思惑通り前線である、そうラッセルは思っていた。
(これが本当の初陣か)
ため息が一つ出る。
「エド、フレッチャーお前たちだけは戦場にやらない」
自分に誓いを立てるように口にした。



それは一ヶ月ほど前のこと、いきなり呼び出されたブイエ将軍の執務室で、ラッセルは銃殺になりかねない失態を演じていた。
ブイエ将軍に殴りかかったラッセルはわずかにかすった直後、何が起こったかわからぬほど見事に床に押さえこまれていた。床に強く胸を押し付けられる。心音の乱れが自分でもはっきりわかった。
(まずい、このおっさんに気づかれる)
逃げようともがくがまったく動けない。すでに息苦しさを感じている。
「国家錬金術師を受けたときから当然わかっていたはずだ。それともあのマスタング准将の庇護の下にいれば例外が認められるとでも思っていたかね」
(いやみったらしいおっさんだぜ。いちばん大嫌いな!タイプだ)
「君の弟は貴族子弟特別枠を利用しての仕官学校在籍者でもある。早めの戦場経験は本人の将来を考えればむしろプラスなのだよ」
床に押し倒している若者に将軍はむしろ諭すように語る。(おっさん、あんたじゃ役者不足だ。あのブラッドレイ大総統ならこういう状況で聞いても説得力あったけどな。おっさんでは完全にいやみに聞こえる・・・俺も昔はそういうレベルだったか) 対ホモンクルス決戦とエドとやりあったゼノタイムでの喧嘩が思い出された。(若さゆえの未熟、認めたくないって所だな) 彼の名の元になったと言われた20年前の名作映画、「アラビアのロレンス」主役のラッセル・エドワード・ロレンスの台詞が唐突に浮ぶ。
「君のよくできた弟は兄の体を実験体にしたくなかったようでね、国家錬金術師機関に直接の指揮権を持つ私に完全な忠誠を誓ってくれたよ。美しき兄弟愛というところだな」
背中と両腕を押さえ込まれながらラッセルはむしろ冷ややかに答えた。
「これがアメストリス軍のやり方ですか」
(これではイシュバールの悲劇はまた起こる。このタイプの官僚軍人が上にいる限り、しまった、俺はなんてことを!これが知れればマスタング准将に傷がつく。俺があの人の走りを止めてしまう。どうしたらいい。考えろ!どうすればこいつの口を閉ざせるか)
「そうだ、軍は人手不足でね。利用できるものは何でも利用する。資源の有効利用を図るべきだ。君らに異常に甘いマスタング君では考え付かないかもしれないがね。それに、君自身も軍の手を借りられねば困るのだろう」
(軍属を離れる選択肢はないと言うわけか。は、情けない身だ。己の力では生きることさえできない)
ラッセルの体には2重に軍事機密が入っていた。ひとつは1歳のころ父ナッシュの願いを受け入れてドクターマルコーが心臓に打ち込んだ生体に長期に適合する練成陣、そしてもうひとつこちらの方がよりやっかいであった。父の遺品となった命の練成陣。そのエネルギーは無限といってよい。いまだラッセル自身にも正体をつかめない、16歳のときいきなり背中に現れた太陽の陣。
さらに付け加えるならばラッセルにはもうひとつ軍事機密並みの秘密があった。彼の肺は対ホモンクルス戦のおりあのエンヴィーにあけられた穴がそのまま開いていた。ドクターマルコーがぎりぎりで成功させた手術の1ヵ月後、傷口は急に治療前に戻った。大量出血によるショックで意識を失いかけた彼をひっぱたき自力で結界を張れと怒鳴りつけたのはあの温厚でおとなしい老人だった。マルコーはホモンクルスから救われた当初は完全に引退するつもりであった。しかしラッセルの件をきっかけに再び軍属を選び今は北部司令部にいた。
資源の有効利用という観点から見ればラッセルの価値は高かった。
そして今、ラッセルの身体はシン国から密輸される超高額の薬と、彼自身の開発物でもある人工血液が支えていた。どちらも軍でなければ手に入らない物であった。
「弟には出陣命令を」
「まだ伝えていない。今すぐというわけでもない。戦況次第だ。」
腕がきしんだ。ラッセル自身は重装歩兵5人を同時に素手のみ(もちろん錬金術もない)で叩きのめす戦闘力を持っている。それでもさして力を入れているとも思えないブイエ将軍の手から逃げられない。
「俺が行く。エドワードにも弟にも手も出すな!」
床に額を擦られるほど押さえ込まれながらも彼は強い声で返した。
「ほう、病身を押してかね。君の体のことは調べがついている。胎児性心筋萎縮と言うそうだな。よく(国家錬金術師に)合格したものだな。軍の身体検査担当者の首を取り替える必要があるらしい」
「おっさん老眼か、書類はよく見るんだな。俺の検査は完全だ。あんたのサインも入ってる」
「ほう、その辺が地かね。マスタング君の教育もメッキだけのようだな」
「戦場を見たこともないやつがあの人の名を口にするな!」
「確かに私はイシュヴァールには行っていない。(だが、若造。お前などにはわかるまい。ここもまた戦場なのだ)」
ラッセルはようやく床から跳ね起きた。
否、それはブイエ将軍が意識的に手を緩めた結果だった。
彼の手が卓上の万年筆を取った。テーブルに駆け上がり将軍の首を右手で巻き込む。左手の万年筆の先をブイエの首の神経節に当てる。
「一センチだ。たった一センチ切ったらあんたは一生動けなくなる。忘れるな。俺は練成なしでもこの程度のことはできる。もし、あいつらに手を出してみろ。一生全身不随にしてやる」
ラッセルはゆっくりと万年筆を引くと卓上に戻した。
「それが君の、上司に対する答えかね。それでは等価は成り立っていないな」
「俺一人で十分だろ。せいぜい派手に勝ってあんたの名に金メッキをつけてやる」
「二人と一人の交換か。まぁよかろう。(どうやら首輪をつけるのは成功したようだ)君には私の為に3人分働いてもらおう」
「俺はあんたの犬じゃない」
「マスタングには喜んで尻尾を振っているようだが私には懐かぬか。かまわない、君のようななまいきな子供に懐かれたくもない。私はアームストロング卿とは違ってまともな趣味でね」
ラッセルは無言で部屋を出た。これ以上一口でも口を利くと体が腐りそうな気がした。
その日一日中彼は水一滴すら口にしなかった。体内にあるものすべて吐き出しても、もう血さえも出てこなくなっても、まだ肺の中にあの男の部屋で吸った空気が残っている気がする。
ブロッシュの気遣わしげな視線をすっかり皮膚の一部になっている穏やかな微笑で受け流す。結局ブロッシュは尋ねるきっかけをつかめないまま星のない空の下で車を走らせ、若すぎる上司を緑陰荘に送り届けた。

その日の深夜、エドがぐっすり眠っているころ、フレッチャーは兄の部屋から異常な気配を感じた。兄が掛けた封印を叩き壊して部屋に飛び込む。
「兄さん」
返答はない。その代わりに肺を破るかと思わせるような激しい咳が聞こえた。
「兄さん!」
背中をまるめて発作に耐えている兄を抱き起こす。
(肺の結界がゆるんでる。何かあったんだ)
弟は兄をしっかり支えた。
「兄さん、落ち着いて。結界を強めるんだ。あわてないで」
兄の耳元でささやく。弟のささやきには一種の暗示の効果があった。震える兄の手をなるべくそっと握る。少しずつ震えが収まっていく。どうやら結界の強化に成功したらしいと見た弟は兄が眠らないうちに気になっていることを問いかけた。
「薬は?」
問いは短い。おそらく混乱しているであろう今の兄には長い質問は無理である。
「・・・だ、大丈夫だ。もう治まった・・・」
ろくに息も整わないのに兄はもう弟を安心させようと微笑みかける。しかし全身に残るショックは本人の意思を裏切った。
(かなりひどかったんだ)
弟は兄の手をそっと握る。心拍数が異常に多い。もともと兄の心拍数は1分間に平均して90を超している。
(120を超えてる。落ち着かせないと危ない)
「一緒に寝ていい?変な時間に起きたから一人では寝むれないよ」
小さいころと同じ口調で、少し位置を変えて下から兄を見上げる。
「甘えんぼだな。俺より大きくなってるくせに」
この時点で兄弟の身長差は2センチである。細く見える兄に比べ弟は骨格が大柄でこのごろはどちらが兄か間違われることがある。今になって、エドの気持ちのよくわかるラッセルだった。
弟は兄の返事をイエスと決め込みベッドにもぐりこむと、震えの残る兄を抱きこんだ。
「小さいころ兄さんが僕を抱き枕代わりにしてたでしょ。今度は僕の番だよ」
まだ、ショックが抜けない兄の緊張を解こうと、小さいころと同じ口調でささやく。
「お前はいつまでも子供だな」
(僕が子供でいてほしいのは兄さんのほうだと思うけど)
「いいよ、僕はずっと兄さんに守ってもらうから」
兄の思いが弟には読める。士官学校に特別枠で入学するときもどれほどこの兄が反対したか。 『僕の人生でしょ。兄さんが決めることじゃない!』あまりの反対振りにおもわず弟は叫んでしまった。そのときの兄の血の気のうせ方はあのゼノタイムのときよりひどかった。『せめて、お前だけは手を汚すな』うつむいたまま部屋を出る兄はそれだけを言い残した。その後兄弟が和解するのに一ヶ月以上かかった。
兄の肌はいつも冷たい。平均して35.5度しかない。典型的な低体温症である。
弟はその日から士官学校に帰る日まで毎晩兄を抱いて眠った。兄は口ではあれこれ言いながらも弟に抱かれて眠るのを楽しんでいるようであった。



いつまでも冷たいベッドの中で、ラッセルは昨夜までの弟との夜を思っていた。
「…フレッチャー、さむい、寒いんだ・・・」
気配を完全に消して入ってきたアームストロングは(アームストロング家に代々伝わる隠密術というところである)暖かいはずの寝具に包まれながら、いつまでも震えているこどもを見つけた。
「冷たいな、この子の身体は」
さらさらの細い銀の髪をなぜる。出会ったころとは手触りも色も変わってしまった髪であった。
最南端基地で彼を抱きとめた一年ほど前には、間違いなくまだ16歳だとはっきり感じさせた暖かな肌、17歳の今は生き物であることさえ疑ってしまうほど陶器めいた冷たさである。

ルイ・アームストロングの目には彼はあのエドよりずっと小さな子供に見えていた。世間ではエドが礼儀無視のお子様振りを見せ付けているので、冷静温厚の評価を定着させている彼はエドより5歳以上年上に見られている。それは違うとアームストロングは思っていた。(この子の温厚さも冷静さも身を守るための結界のようなものだ。エドワード・エルリックはいつもまっすぐに走っていく。誰よりも早く。そうだ、この子が前に言ったようにエドワード・エルリックは光だ。まっすぐに、誰よりも早く、思いのままに突き進める。
確かにこの子にはあの者のような強さはない。)
「だがな、光が届かぬ場所へも水はたどり着く。種を目覚めさせるのは光ではなかろう」
聞こえているとは思えない眠るラッセルに、アームストロングは語りかける。
「君は君で良いのだ。なぜ無理に光を求める」
「・・・ん・・・ルイ・・・」
起きたのかと思ったら寝言であった。ラッセルは無意識にルイにしがみついてくる。
「手のかかる子だ」
小さく縮こまっていた手足を伸ばし毛布にくるみなおす。
「夜泣きする子供を泣かせるのは添い寝するのが一番よい。キャサリンのときもそうだったぞ」


深夜に一度目を覚ましたラッセルは何か大きくて暖かいものに抱かれているのを感じた。
「・・・ルイ・・・」
その人の名を呼びまた眠りに落ちた。今夜は悪夢を見る心配は無いようだった。


ルイ・アームストロングは予定通り夜明け前に目覚めた。しがみついている子供を起こさないようそっと毛布にくるみなおす。耐寒用の軍服を着、ベッドサイドに公式の命令書を置く。

ラッセル・トリンガムに後方医療勤務を命ずる。

前線の指揮所にはすでに幕僚達が集まっている。
全員に指示を与え伝令を飛ばす。どこの戦場でもあるいつもの風景。
幕僚達の去ったすきにブロッシュはそっと尋ねた。
「トリンガム中佐はご一緒ではないのですか」
(まさか、もう前線に配備したのでは?)ほかの者の前では聞けないが、ブロッシュには銃さえ撃てない彼を一人で前線に出すことなど考えることもできなかった。戦場には独特の流れがある。それが読めないものはどれほど個人戦闘力が高くても敗退する羽目になる。他の幕僚も兵士たちもラッセルが西の砂漠の対シン戦で初陣を済ませたと思っている。だが、それは違うのだ。対シン戦は存在しない。あえて言えばあれは政治的な戦争だった。ラッセルは十分すぎるほど喧嘩慣れしている。しかし、戦場の流れを一人で読み取れるか?(あの坊やにはまだまだ誰かがついていないとだめなんだ)
「そうだな、そろそろ起こしに行っても良い頃か」
「?」
「ブロッシュ、あれは後方の医療勤務だ。奇跡の司り手の力を役立ててもらおう。連絡役を頼むぞ」
「あ、(そうか、そんな手があった)と、失礼しました、大佐」
「30分以内にたたき起こして医療テントに放り込め。がたがた言うだろうが、命令と押し切れ」
(ラッセル、我輩にできるのはこの程度だ。まだ手を汚すな。
何かを壊すことでしか何かを守れない、
いずれはそれがわかるときも来るだろう。だが、それは今でなくて良いはずだ。)
本来、ラッセルはブイエ将軍によって人間兵器としてこの戦場に送り込まれていた。ラッセル自身その覚悟であった。それが突然の事故で予定されていた司令官が動けなくなった。代打としてアームストロングが急に就任した。アームストロングはその時部下の配置を完全にまかすように要求した。作戦に口を挟ませないための条件のつもりであった。そのおかげで着任後のラッセルを後方に隠せた。
(マスタング殿はあまりに早く至上の座を実質的に得てしまった。まるで手の中で踊らされたように。いや、実際そうかも知れぬ。ホモンクルスの親玉は行方不明のままだ。本物のキング・ブラッドレイの行方もわからない。ともかくもマスタング殿は自由を失った。では、あの子達は・・・。我輩ももう一度上を目指そう。あの子達のために。マスタング殿を支えるために。いや、ごまかすのは止すべきだ。何よりも手のかかる子のために)
ブロッシュが手のかかりすぎる上司をたたき起こして医療テントに放り込むのには30分では足りなかった。



嘘つき3

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