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没後10年 ZARD・坂井泉水が亡くなる直前、アートディレクターに明かした「不安」
永遠の歌姫 ZARDの真実 第2回
2017/5/24 11:30
坂井泉水さんとの最後の対面をアートディレクターの鈴木謙一氏は今も忘れられない。
2007年5月25日、坂井さんはがんの治療で入院していた東京信濃町にある慶應義塾大学病院のスロープから転落。脳挫傷で昏睡(こんすい)状態となった。その死の直前の病室を、鈴木さんは他の幹部スタッフとともに見舞いに訪れている。
「まだ手はあたたかかったんですけど、すでに意識がなくて……」
鈴木氏の脳裏には坂井さんとの数々の思い出がよみがえった。
「人間ってこんなにたくさんの涙が出てくるんだと思うほど、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきました」
鈴木氏が坂井さんと最後に言葉を交わしたのは、その3週間ほど前で、肺にがんが転移したことがわかり、抗がん剤治療を行っていた頃だったそうだ。
「最後に言葉を交わしたのは電話だったんです。おそらく治療の前だったんだと思うんですけど、すごくそれが怖いんだっていう話を聞きました。僕もその3年前にガンという病気を患っていたことがあり、当時坂井さんも心配してくださっていたんですが……『私、怖いんです』と仰ったその気持ちがよくわかるというか……。治療をしていく中で不安や恐怖に襲われることはどうしてもあって、その時は何も言葉をかけることができませんでした」
亡くなる2日前、総合プロデューサーの長戸大幸氏との電話では退院後のレコーディングを楽しみにしている様子だったという。だからこそ鈴木氏も、坂井さんとの別れが来ることなど考えてもいなかった。
その後、坂井さん逝去の連絡を受けたことや葬儀など、その時期のことは鈴木氏の記憶からすっぽりと失われている。
鈴木氏が坂井さんと出会ったのは1991年。所属するレコード会社、ビーイングの所有するレコーディングスタジオ、スタジオ・バードマンで、長戸プロデューサーに紹介された。坂井さんは普段着で、髪をポニーテイルに結っていた。彼女はZARDとしてデビューする直前。鈴木氏はデザイナーとして入社したばかり。
「きれいでしたね。どきっとするほどの透明感があったことを覚えています」
2度目に会ったのもバードマン。デビューシングルの「Good-bye My Loneliness」のレコーディングだった。鈴木氏はZARDの制作スタッフとして、CDジャケットや宣伝用の写真やポスターなど、ビジュアルを担当することが決まっていた。
この時から、坂井さんが亡くなる2007年まで、そして逝去後の作品でも、鈴木氏はZARDのアートワーク全般を受け持つことになる。
「このままの状態で撮影してくれ」
スタジオでの長戸氏からの指示に、鈴木氏はとまどった。
「レコーディングの真っ最中。歌詞カードや譜面や飲みかけの缶コーヒーがテーブルの上に煩雑に置かれていました。僕が片付けようとすると、長戸プロデューサーに、止められました。坂井さんは自前の服にすっぴん。シャツの上に、たまたまスタジオの雰囲気に合うということでお貸しした僕の革ジャンをはおっての撮影です。とはいえ、プロのカメラマンもいません。撮影が得意なカメラ好きの社員がシャッターを切りました」
そのリアルな写真が「Good-bye My Loneliness」のCDジャケットになった。アートディレクターとしての鈴木氏の認識は大きく変わった。
「ジャケット写真は、撮影スタジオで、きっちりメークをして、スタイリストがついて撮影すると思い込んでいました。でも、アーティストは女優ではありません。リアリティーが大切だと長戸プロデューサーに教えられました。それは30年近くたった今も、僕の基本的な考え方になっています。それに、坂井さんはありのままの姿で十分に美しかった。自然体でも顔立ちがくっきりとしていました。定番のデザインのジャケットや無地の白Tシャツでも絵になります。美しい女性にさらに手を加えると、過剰になってしまう心配もあったのでしょう」
ジャケット写真には入っていないが、もとの写真にはまだ10代だったデビュー前の大黒摩季も写っている。この曲のレコーディングにコーラスで参加していたのだ。いかに普段と変わらない状態で撮影されていたかがわかるエピソードだ。
その後も、ZARDの撮影は自然体であることが徹底された。
「坂井さんは、撮影されるのが苦手というか、レンズを向けられると緊張するタイプでした。プロのフォトグラファーが正面からねらって撮った写真よりも、スタッフが何げなく撮った素顔のほうが魅力的。オフショットの女王でした。彼女の写真はまるで映画のワンシーンです。ちょっとしたしぐさに憂いがあって、はかなさや切なさが感じられます。当時はデジタルカメラの時代ではなかったので、スタジオで撮影したスナップは、一枚残らずサービスサイズでプリント。すべてを長戸プロデューサーがチェックして、セレクトしていました」
36枚撮りのフィルムを何本も使い、プリントは段ボール箱2つ分の量になることもあった。こうした作業をくり返し、鈴木氏をはじめスタッフは、ZARDのイメージを共有していった。
「1992年の3枚目のアルバム『HOLD ME』の時に、長戸プロデューサーがイメージするZARDが見えた気がしました。僕も、カメラマンも、誰の主観も入らない坂井さんを意識するようになります。その感覚をみんなが共有しました。著名なフォトグラファーに撮影を依頼したら、もちろんすばらしい写真があがってくるのですが、その方の意見や好みをゼロにしていただくわけにはいきません。だから、写真はスタッフが撮ることが多くなりました。例えば『負けないで』もそうですし、『ZARD SINGLE COLLECTION ~20th ANNIVERSARY~』のジャケット写真は僕が撮影したものです」
実際、オフの坂井さんは、著名人特有のオーラを見事に消していた。三人姉弟の長女の坂井さんは面倒見がいい“きれいなお姉さん”といった雰囲気で、バレンタインデーにチョコを配ったりとスタッフたちにもよく気を配り、意外に男前な一面もあった。
「ロンドンでの撮影終わりにスタッフみんなでカラオケに行った時も『◯◯さんは◯◯歌ってみて』『君は◯◯』とテキパキと仕切っていましたね。坂井さんは結局、歌いませんでしたけど……。撮影現場でトラブルが起こった時、見かねた坂井さんが『私が責任者と話そうか』とか言い出して、もちろんそんなことはさせられませんからスタッフが慌てて『いやいや』と止めたりすることもありました(笑)」
だが、作品を生むレコーディングスタジオでは、もちろん雰囲気がガラリと変わった。
「ものすごい集中力で音楽と向き合っていました。でも、ロケ先の食事の席や休憩時間は、恋愛の話が好きな聞き上手の女性でした。自分のことはほとんど話さずに、スタッフみんなの、いわゆる恋バナを根掘り葉掘り訊く(笑)。坂井さんはオンとオフのギャップの大きい人だったといえるかもしれませんね」
アルバム『OH MY LOVE』に「Top Secret」という曲がある。主人公の女性が一緒に暮らす彼氏のためにシチューを作って待っているというストーリーを歌っているのだが、当時新婚の男性スタッフが、帰宅が遅くなることを妻に電話で伝えたところ、今夜はシチューだったのに、としかられたエピソードを歌詞にしたそうだ。つい打ち明けた実話が、楽曲になっていたことをそのスタッフは驚いていたという。
鈴木氏の好きなZARDの曲は「マイ フレンド」と「My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~」。坂井さん亡き後、聴くようになったそうだ。そして、アートディレクターのスタンスでは、ほかにも好きな作品が多い。
「坂井さんがオレンジ色を強く希望した『君とのDistance』。濃いブルーが美しい『ZARD BLEND ~SUN & STONE~』。シングルでは『My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~』『かけがえのないもの』『さわやかな君の気持ち』でしょう。この3枚は坂井さんが特に気に入ってくれたからです。中でも『さわやかな君の気持ち』は思い出深いですね。犬好きの坂井さんが自分の顔写真を、ワンちゃんみたい! と言って喜んでいました」
ずっとZARDのアートワークを手掛けてきた鈴木氏に坂井さんのイメージを色にたとえてもらうと、ブルーだという。
「ちょっとパープルがかったブルー。まさしく『ZARD BLEND ~SUN & STONE~』のジャケットのカラーです。初めて会った時の透明感のある坂井さんのイメージです。こうして話していると、ZARDによってデザイナーとしての自分が育てられたことをあらためて思い知らされます。素材の扱い方も、写真の撮り方も。デザイナーはつい構図や文字の置き方にこだわってしまいがちですが、大切なのは、素材、つまりアーティスト自身の魅力を最優先のデザインにすることです。構図や文字の置き方よりも、アーティストの写真を第一に考えることがベストなこともあるし、その写真もむしろ作り込まない方が良いこともある。長戸プロデューサーに『このままの状態で撮影してくれ』と言われた初めての撮影以降、あえて『デザインしないこと』を学べたのは大きかったです」
(文/神舘和典)
没後10年 ZARD・坂井泉水が亡くなる直前、アートディレクターに明かした「不安」
永遠の歌姫 ZARDの真実 第2回
2017/5/24 11:30
坂井泉水さんとの最後の対面をアートディレクターの鈴木謙一氏は今も忘れられない。
2007年5月25日、坂井さんはがんの治療で入院していた東京信濃町にある慶應義塾大学病院のスロープから転落。脳挫傷で昏睡(こんすい)状態となった。その死の直前の病室を、鈴木さんは他の幹部スタッフとともに見舞いに訪れている。
「まだ手はあたたかかったんですけど、すでに意識がなくて……」
鈴木氏の脳裏には坂井さんとの数々の思い出がよみがえった。
「人間ってこんなにたくさんの涙が出てくるんだと思うほど、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてきました」
鈴木氏が坂井さんと最後に言葉を交わしたのは、その3週間ほど前で、肺にがんが転移したことがわかり、抗がん剤治療を行っていた頃だったそうだ。
「最後に言葉を交わしたのは電話だったんです。おそらく治療の前だったんだと思うんですけど、すごくそれが怖いんだっていう話を聞きました。僕もその3年前にガンという病気を患っていたことがあり、当時坂井さんも心配してくださっていたんですが……『私、怖いんです』と仰ったその気持ちがよくわかるというか……。治療をしていく中で不安や恐怖に襲われることはどうしてもあって、その時は何も言葉をかけることができませんでした」
亡くなる2日前、総合プロデューサーの長戸大幸氏との電話では退院後のレコーディングを楽しみにしている様子だったという。だからこそ鈴木氏も、坂井さんとの別れが来ることなど考えてもいなかった。
その後、坂井さん逝去の連絡を受けたことや葬儀など、その時期のことは鈴木氏の記憶からすっぽりと失われている。
鈴木氏が坂井さんと出会ったのは1991年。所属するレコード会社、ビーイングの所有するレコーディングスタジオ、スタジオ・バードマンで、長戸プロデューサーに紹介された。坂井さんは普段着で、髪をポニーテイルに結っていた。彼女はZARDとしてデビューする直前。鈴木氏はデザイナーとして入社したばかり。
「きれいでしたね。どきっとするほどの透明感があったことを覚えています」
2度目に会ったのもバードマン。デビューシングルの「Good-bye My Loneliness」のレコーディングだった。鈴木氏はZARDの制作スタッフとして、CDジャケットや宣伝用の写真やポスターなど、ビジュアルを担当することが決まっていた。
この時から、坂井さんが亡くなる2007年まで、そして逝去後の作品でも、鈴木氏はZARDのアートワーク全般を受け持つことになる。
「このままの状態で撮影してくれ」
スタジオでの長戸氏からの指示に、鈴木氏はとまどった。
「レコーディングの真っ最中。歌詞カードや譜面や飲みかけの缶コーヒーがテーブルの上に煩雑に置かれていました。僕が片付けようとすると、長戸プロデューサーに、止められました。坂井さんは自前の服にすっぴん。シャツの上に、たまたまスタジオの雰囲気に合うということでお貸しした僕の革ジャンをはおっての撮影です。とはいえ、プロのカメラマンもいません。撮影が得意なカメラ好きの社員がシャッターを切りました」
そのリアルな写真が「Good-bye My Loneliness」のCDジャケットになった。アートディレクターとしての鈴木氏の認識は大きく変わった。
「ジャケット写真は、撮影スタジオで、きっちりメークをして、スタイリストがついて撮影すると思い込んでいました。でも、アーティストは女優ではありません。リアリティーが大切だと長戸プロデューサーに教えられました。それは30年近くたった今も、僕の基本的な考え方になっています。それに、坂井さんはありのままの姿で十分に美しかった。自然体でも顔立ちがくっきりとしていました。定番のデザインのジャケットや無地の白Tシャツでも絵になります。美しい女性にさらに手を加えると、過剰になってしまう心配もあったのでしょう」
ジャケット写真には入っていないが、もとの写真にはまだ10代だったデビュー前の大黒摩季も写っている。この曲のレコーディングにコーラスで参加していたのだ。いかに普段と変わらない状態で撮影されていたかがわかるエピソードだ。
その後も、ZARDの撮影は自然体であることが徹底された。
「坂井さんは、撮影されるのが苦手というか、レンズを向けられると緊張するタイプでした。プロのフォトグラファーが正面からねらって撮った写真よりも、スタッフが何げなく撮った素顔のほうが魅力的。オフショットの女王でした。彼女の写真はまるで映画のワンシーンです。ちょっとしたしぐさに憂いがあって、はかなさや切なさが感じられます。当時はデジタルカメラの時代ではなかったので、スタジオで撮影したスナップは、一枚残らずサービスサイズでプリント。すべてを長戸プロデューサーがチェックして、セレクトしていました」
36枚撮りのフィルムを何本も使い、プリントは段ボール箱2つ分の量になることもあった。こうした作業をくり返し、鈴木氏をはじめスタッフは、ZARDのイメージを共有していった。
「1992年の3枚目のアルバム『HOLD ME』の時に、長戸プロデューサーがイメージするZARDが見えた気がしました。僕も、カメラマンも、誰の主観も入らない坂井さんを意識するようになります。その感覚をみんなが共有しました。著名なフォトグラファーに撮影を依頼したら、もちろんすばらしい写真があがってくるのですが、その方の意見や好みをゼロにしていただくわけにはいきません。だから、写真はスタッフが撮ることが多くなりました。例えば『負けないで』もそうですし、『ZARD SINGLE COLLECTION ~20th ANNIVERSARY~』のジャケット写真は僕が撮影したものです」
実際、オフの坂井さんは、著名人特有のオーラを見事に消していた。三人姉弟の長女の坂井さんは面倒見がいい“きれいなお姉さん”といった雰囲気で、バレンタインデーにチョコを配ったりとスタッフたちにもよく気を配り、意外に男前な一面もあった。
「ロンドンでの撮影終わりにスタッフみんなでカラオケに行った時も『◯◯さんは◯◯歌ってみて』『君は◯◯』とテキパキと仕切っていましたね。坂井さんは結局、歌いませんでしたけど……。撮影現場でトラブルが起こった時、見かねた坂井さんが『私が責任者と話そうか』とか言い出して、もちろんそんなことはさせられませんからスタッフが慌てて『いやいや』と止めたりすることもありました(笑)」
だが、作品を生むレコーディングスタジオでは、もちろん雰囲気がガラリと変わった。
「ものすごい集中力で音楽と向き合っていました。でも、ロケ先の食事の席や休憩時間は、恋愛の話が好きな聞き上手の女性でした。自分のことはほとんど話さずに、スタッフみんなの、いわゆる恋バナを根掘り葉掘り訊く(笑)。坂井さんはオンとオフのギャップの大きい人だったといえるかもしれませんね」
アルバム『OH MY LOVE』に「Top Secret」という曲がある。主人公の女性が一緒に暮らす彼氏のためにシチューを作って待っているというストーリーを歌っているのだが、当時新婚の男性スタッフが、帰宅が遅くなることを妻に電話で伝えたところ、今夜はシチューだったのに、としかられたエピソードを歌詞にしたそうだ。つい打ち明けた実話が、楽曲になっていたことをそのスタッフは驚いていたという。
鈴木氏の好きなZARDの曲は「マイ フレンド」と「My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~」。坂井さん亡き後、聴くようになったそうだ。そして、アートディレクターのスタンスでは、ほかにも好きな作品が多い。
「坂井さんがオレンジ色を強く希望した『君とのDistance』。濃いブルーが美しい『ZARD BLEND ~SUN & STONE~』。シングルでは『My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~』『かけがえのないもの』『さわやかな君の気持ち』でしょう。この3枚は坂井さんが特に気に入ってくれたからです。中でも『さわやかな君の気持ち』は思い出深いですね。犬好きの坂井さんが自分の顔写真を、ワンちゃんみたい! と言って喜んでいました」
ずっとZARDのアートワークを手掛けてきた鈴木氏に坂井さんのイメージを色にたとえてもらうと、ブルーだという。
「ちょっとパープルがかったブルー。まさしく『ZARD BLEND ~SUN & STONE~』のジャケットのカラーです。初めて会った時の透明感のある坂井さんのイメージです。こうして話していると、ZARDによってデザイナーとしての自分が育てられたことをあらためて思い知らされます。素材の扱い方も、写真の撮り方も。デザイナーはつい構図や文字の置き方にこだわってしまいがちですが、大切なのは、素材、つまりアーティスト自身の魅力を最優先のデザインにすることです。構図や文字の置き方よりも、アーティストの写真を第一に考えることがベストなこともあるし、その写真もむしろ作り込まない方が良いこともある。長戸プロデューサーに『このままの状態で撮影してくれ』と言われた初めての撮影以降、あえて『デザインしないこと』を学べたのは大きかったです」
(文/神舘和典)
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