「関係ないわけではない」「ないと言えば嘘になる」「・・・なくない」などなど、どうして「ある」と言わないのだろう。否定形は少しでも言葉の強さを和らげたい気持ちの表れなのか。自分の考えや感想を率直に伝えようとせずあいまいにして融和を大切にしようとするのは日本の文化のひとつだとしても度が過ぎると自分を見失う。そう思わないわけではない。もとい、そう思う。
22-1-21
歯間ブラシとミニトマト。朝食後の歯磨きの後にも歯間ブラシを使って隙間も掃除しているのだが挟まっているのはなぜかミニトマトの皮が多い。朝食に必ずミニトマトを食べるからわかるけど一緒に食べるきゅうりや他のものはほとんど挟まらない。海苔が歯に付くのと同じであの薄さに粘着性があるのだろうか。これを話したら「あるある」の返答になぜかホッとする。
22-1-22
地方ニュースと全国ニュースのアナウンサーの違い。地方の場合はほとんど原稿に目を落としていて最後のほんの一部だけ顔を上げて話すが、全国では途中に下を向いても最初と最後は顔を上げている。それは記憶力の差なんだろうか。そうとしても、どうしてあの短い原稿を暗記できないのだろうと疑問に思ってしまう。せめて最初だけは顔を上げて話し始めて欲しいもの。
22-1-23
最近、寝る前の少しの時間に藤沢周平の短編の文庫本を読んでいる。短編なので就寝が遅くなったりする心配がないのもいい。すぐに終わって物足りなさを感じる部分もあるとはいえスッキリした気分で床に入られる。これは嬉しいのか悲しいのかわからないが読んだはずの内容が新鮮で初読のものとしか思えないのだ。こんなことなら文庫本をもっと残しておけばよかった。
22-1-24
随分久し振りに雪景色の列車に乗る。母が亡くなる2003年までの年末にはほぼ毎年列車で帰省していて車窓からの白い世界は見慣れた光景だったが、多分それ以来となる雪景色は眩しい輝きを放っていた。車で見る風景とは違いあちこち目を移しながらもじっくりそこに浸れるのがいい。往復でも30分余りの短い乗車だったけれど、ずっと飽きずに外を見続けていた。
22-1-25
続き。子供の頃から乗り物は大好きだった。だから買ってもらうおもちゃはほぼ乗り物関係でとくにブリキのバスと青い乗用車は大のお気に入りだった。怪獣にはまったく興味を示さず一度も求めたことはない。小学校の低学年のとき浦河駅で停車中だけど穏やかに煙を吐き車輪の近くから蒸気を出している蒸気機関車を見つけて大喜びして眺め続けた幼い思い出がある。
22-1-26
昨晩は疲れを感じていつもより早い10時に床に入る。そして今朝6時に一旦目覚めたがそのまま寝続けて起きたのは7時。つまり9時間寝たわけだが、それだけぐっすり眠られたのは疲れが溜まっていたからだろう。ここ数年、いや多分10年以上前から7時間睡眠が普通になっていたから2時間も多めに寝たことになる。長時間深い眠りに入れたのが嬉しい。おかげでスッキリ。
22-1-27
札幌で初めてコロナ患者が見つかってから今日でちょうど2年だという。それは観光に来ていた中国人女性だった。ニュースでそれを知ったのは覚えているが完全に他人事の感覚で捉えていた。それがまさかの・・・。医療の専門家でさえそう言うのだからまさに想定外。コロナによって失われた悪夢の2年は瞬く間に過ぎたがコロナの悲劇はもっともっと長く感じてしまう。
22-1-28
続き。そのコロナの感染が爆発的に拡大している。昨年暮れにはもしかしたらこのまま収束してくれるのではと期待を抱かせるほど感染者数が減少していたのにそれどころかあっという間に過去最高を超えてしまった。オミクロンの出始めはワクチン接種も進んでいるので急激な拡大はないような論調だったが見事にはずれた。この悲劇の連鎖はどうすれば断ち切れるのか。
21-1-29
宝の持ち腐れ。パソコンとタブレットを持っていて、昨年9月にはスマホも手に入れたけどどれもまだ使いこなしているとは言い難い。パソコンもタブレットも必要最小限で満足してしまってそれ以上に活用する努力を怠っていたから当然そうなる。しかし、スマホが刺激になってこれまでも利用できたのに使わずにいた機能をようやく少しだけ使い始めるとはもったいない話。
22-1-30
雪の日は続くのに晴れの日は続かない。だから雪は積もる一方で街中の雪山は高くなるばかり。これほどの雪山に囲まれるのは初めてのような気がする。現在札幌市の積雪量は97㎝で1m超えもありそうだ。降雪量は平年よりわずかに多いくらいなのに積雪量が多いのは晴天が少なく解ける雪がわずかだからと気象予報士も言っていた。週間予報でも晴れはたった1日のみ。
22-1-31