また新しい年が始まった。この歳になると、あと何回新年を迎えられるのだろうとの思いもふとよぎる。それだけになおさら1年を大事にしたいものだ。今年の目標と言えるのはふたつあってひとつは6月末の個展。これはコロナにも深く関係があるので目標というより強い願いと言った方がいいのかもしれない。もうひとつは豊平川河川敷の下流への歩く旅。これも楽しみ。
22-1-1
名前と住所を書き忘れられた年賀状。枚数は減ったけれど元旦の楽しみになっている年賀状に名前も住所も書かれていないものが届いた。こんなのは初めて。まず送った人の名簿から潰していきかなり絞り込む。幸い2行の手書きがあったので昨年の年賀状の文字と比較して探り始める。そして同じ文字のクセをようやく発見して誰のかが判明。文字のクセが役立つとは。
22-1-2
不思議な現象。両手の甲を見比べるとなぜか骨折した左手の方がツヤがあり張りもあるのだ。もう腫れは引いているのでそのせいではない。指を上に反らしたときにできるシワの量も明らかに違う。もしかしたら回復させようとする力が皮膚にも及んで活性化されたのだろうか。医学的にはあり得ることなんだろうか。とにかく若返ったのは明らか。いつ頃一緒になるのかな。
22-1-3
手の甲の話が続く。これまで両手の甲をじっくり見たり見比べる機会などなかったせいで気づかずにいたが血管の位置が左右でまったく違っているのにびっくり。多少違うのではなく同じところが全然見つからないほどだ。ということは指紋のように個体によって血管の巡り方は違うことになる。骨格のように左右対称のような気がしていたしもう少し規則的だと思っていた。
22-1-4
ついに20年達成。報告が遅くなったけれど1日も欠かさず書き続けてきた『ある日のひとこと』が昨年の12月31日で20年に到達したのだ。書き始めは2000年11月11日だけどその頃は間を置いて書いていた。2001年にはほぼ1年を通して書き、2002年の1月1日からは字数にもこだわりすべての日を書き続け2021年の12月31日の書き込みで20年が完全に繋がった。続く。
22-1-5
まず最初は365日にこだわった。つまり1年間休みなく続けることを目指したのだ。その目標を達成すると途切れさせたくない気持ちが高まり、次に5年に設定。5年を無事に経過すると、ここまで来たのだから10年を目指そうとの思いが強まり、10年が経つと20年もできそうな気になり目標はさらに大きく膨らんだ。この後は3年、2年、1年と目標を次第に短くしていきたい。
22-1-6
ようやく収束へ向かうのかと期待を抱かせたコロナだったのにオミクロンの急拡大の心配が突如出てきた。3年目に入ってもなおコロナに脅かされのか。今年こそはと楽しみにしたり期待されている大きな催し物もたくさんあるはずで、それらの関係者はやきもきしているに違いない。個人的な計画であっても3年の空白はかなり大きい。ましてや若年者にとってはなおさらだ。
22-1-7
喪中の葉書が年賀状の切れ目に。親しい人は違うけれど儀礼的になっていたり何となく出し合っていたような人の場合は喪中の葉書がきっかけになって途切れることが多い。その年の年賀状を見ながら翌年の年賀状を書くとなおさらそうなる。しっかり意識してないと前年の喪中を忘れてしまうのだ。寂しい部分もあるけれどお互いにホッとするところもあるような気がする。
22-1-8
字を書くときの親指と人差し指と中指の役目。最近知った指の使い方。横棒は親指、縦棒は人差し指、はねは中指に力を加えると書きやすくなるという。やってみると確かにそうだ。これまでも字だけでなく線を引くときにも無意識にそうしていただろうが意識するかしないかで随分違う。指の役目と使い方をもっと早くに知りたかったと思うが、これからは意識して書ける。
22-1-9
ブログへのアクセス数に多少の増減があるのはたまに見る人もいるはずだからそれは納得できる。でも、急に増えたり減ったりするのはどうしてなのかはわからない。ブログに書かれた内容は開いてからわかるのだから内容は関係ないはず。そうするといったい何が影響しているのだろう。人の行動ってときには一致することもあるからそんなところなんだろうか。それとも。
22-1-10