続き。そして、夕方にもうひとつ今までとは違う行動を取った。歩いて近くの耳鼻科に向かったのだ。これまでならせっかくここまでこぎ着けたのだから自分の力で完治させたいと意地を張るところだが、他人への迷惑も考えて病院に行くことにした。それは正解で、診察してもらったことと処方された薬の効果は大きかった。これで、完治できるという安心感が一気に膨らんだのだ。
20-1-21
今日の暖かさでかなり解けてしまったが、20㎝ほどのまとまった雪が降り、白い世界になってくれて少し安心した。異常な少雪がこの後も続くようなら、この先に深刻な問題を引き起こすのではと本当に心配になっていたので恵みの雪のように映った。農業被害のみならず夏場の水不足という重大な非常事態だってあり得るのだ。雪かきは大変だとしても、もっと降ってくれなくては。
20-1-22
ブログを開設してからすでに1ヶ月が過ぎた。もうそんなに経ったのかという気持ちと随分たくさんの時間を費やしたせいかもっと前からのような気持ちもある。どっちにしてもブログのある生活に慣れてきたのは確か。習慣化してしまえば毎日の書き込みも大した苦労でなくなる。こうして3ヶ月になり1年になっていく。少ない人数でもあっても、その繋がりを大事にしていきたい。
20-1-23
昨年の7月にタブレットを手に入れたときから、ずっとしなくてはと考えていたパソコンにアンドロイドのアプリを入れるという作業がようやく終了。何度か挑戦して、うまくいかずに放置しての繰り返しだった。このアプリはタブレットの写真をパソコンに入れるためにはどうしても必要なものでとにかく一安心。今度はタブレットからパソコンへの写真のコピーで忙しくなりそう。
20-1-24
『メモ用紙と鉛筆が欲しい』と思ったが、起き上がる気力はなかった。熱を出して寝ていたとき、アイデアが浮かんだのでそれを書き留めて起きたかったのだが・・。もし、書いて置いたとしても大したものではなかったかもしれないが、忘れて全く思い出せないとなるとなおさら素晴らしかったのではと思ってしまう。今度は逃さないようにと大きめの紙とボールペンを用意した。
20-1-25
この複雑な気持ちはどう表現したらいいのだろうか。驚きと戸惑いとほんのわずかな喜びがごちゃ混ぜになっている。机の上に置いたままだった古いパソコンのモニターを移動しようとして、最後の最後のつもりでパソコンに電源入れると、何と、起動したというか起動してしまったのだ。完全に駄目になったと諦め、新たな手段を開拓した後にこうなるとは。もう、そこには戻れない。
20-1-26
最近はすっかりパソコンの前に座る時間が多くなってしまった。ブログへの書き込みや写真の投稿がその理由だが、まだ完全に把握していない操作に手間取る場合も結構ある。この無駄な時間はできるだけ少なくしたいが、やり始めの初心者のようなものだから仕方がないと諦めている。疲れるけれど、何事も迷い失敗しながら、ひとつずつ理解していくんだと思うことにしよう。
20-1-27
ブログに彫刻美術館の個展から掲載した理由はふたつ。ひとつは立体作品の集大成的な個展だから、もうひとつはその個展の2年前からホームページでの写真掲載ができなくなっていたため、次の手段ができたらぜひ公開したいと思っていた。しかし、その努力をしないまま7年も過ぎたのは情けない。もし、パソコンが駄目にならなければと考えると故障してよかったわけだ。
20-1-28
続き。これこそ、多少時間は掛かったが『災を転じて福となす』かもしれない。何事もなければそれまでの行いや考えを疑いもなく継続してしまうケースは多々ある。新たなことを始めるにはそれなりの決意と行動力が必要になるから、よほどやる気がないと安易な方に身を委ねてしまうものだ。でも、今回のように道が閉ざされてしまえば、やらざるを得ない状況に追い込まれる。
20-1-29
冬季オリンピックの札幌開催に反対。なぜなら、地方との格差をさらに大きくし、一局集中を推し進めてしまうから。それに財政的な問題もある。競技施設や運営より生活上必要不可欠な支出に当てるべきだと思う。例えば水道など。東京オリンピックに向けての動きを見ていると、まさにそれらの弊害がはっきりと出ている。1964年や72年の頃とは置かれてる状況が違う。
20-1-30
素朴な疑問。ほとんどの中国人旅行者が日本国内でもマスクをしているのはどうして。新型肺炎の予防のためなのはわかるけれど、発生元の自国を離れてもしている理由は何なんだろう。自分達も保菌者の可能性があるからエチケットのためにしているのか、それとも移されないためにしているのか、もしそうなら旅行仲間や家族からの感染予防のためなのか。そこがわからない。
20-1-31