コロナに対して希望的観測だったのは間違いだった。中国での感染拡大のときは対岸の火事だと思っていたし、感染者が減った3月には北海道は収束する気がしたし、連休後まで続くなんてまったく考えていなかった。非常事態はさらに延長されて5月末までになりそうだ。しかし、これまでの流れでいくとそれさえも超えてしまうのかもしれない。予測不能の事態はまだ続く。
20-5-1
制作に目が疲れ、家の窓から暖かい日差しに包まれた住宅街の向こうの山に残る雪をぼーっと眺めていると、一瞬コロナの現実が夢のような気さえした。夕方の散歩のときには、安春川のほとりの咲き始めの桜に感激。、山に雪は残っていてもしっかり春はきていた。こちらは清々しい色合いに心も洗われコロナを忘れさせる。たとえ日にちと曜日を忘れても季節は移りゆく。
20-5-2
日曜日の目標をなんとか達成。テレビの囲碁はただ見るだけなので達成というほどではないけれど、のんびりする時間も大切なのでこれも入っている。その後には長めの散歩。2時間弱歩いて15.187歩で10.32㎞。かなり早足で歩いているので背中が汗ばみ、運動をしている感じで心地よい。牧場の周回は人も少なく、広いので見晴らしもよく散歩コースとして本当にありがたい。
20-5-3
初めてきちんとクラシックを聴いたのは中学一年の音楽の時間だった。それは、ビゼーのカルメンとアルルの女で、とくにカルメンが衝撃的だった。実は前奏曲の闘牛士は小学時代の大好きな運動会のときに流れていて胸躍らせていたのだ。もちろん、そのときは作曲家もタイトルも知らずにただただワクワクさせてもらったので耳に染み付いていた。いま聴いても運動会を思い出す。
20-5-4
今はほぼ閉店しているパチンコ店がまだ開いていたとき、「どうして来たのか」との問いに「ひまだから」「競馬も競輪も競艇もやってないから」などの応えがあった。平常時ならそれもありだろうが、非常時でもその選択肢しかないのが気になる。いわゆるギャンブル依存症だと思うが少し怖い気もした。そんな人たちをカジノでさらに増やそうとしている政治家の方がもっと怖い。
20-5-5
札幌市の広報誌で紹介していた動画の『今日の円山動物園』はほのぼのしていてほんわかした気持ちにしてくれる。次々といろんな動物が出てくるのはいいのだが、もう少しじっくり見たい気もする。でも、そんな気にさせて動物園へ誘っているのかもしれない。昨年の秋には1日動物園で過ごしたせいもあってほとんど覚えていて懐かしい感じもした。さっそくお気に入りの仲間入り。
20-5-6
『自分は絶対コロナに感染しない』と自粛要請の出ている河畔でバーベキューをしていた若者が言い放った。多分、新聞もテレビのニュースも見ていないだろうからコロナの深刻さを伝えるのは非常に難しいと思う。このように想像力に乏しい人はどうしても守りたい大切な人(自分も含めて)ができるまでは無理な気もする。知る大事さと不安、そして知らない怖さと気楽さを見た。
20-5-7
外の仕事がなくなるとシャワーの回数もグッと減り、浴びる時間帯もまちまちに。平常時は週に5、6回だったのが2、3回になり、出掛ける前の朝か午前中だったのが夜も多くなった。急ぎではないのでどんどん先送りしてしまうのだ。その分ヒゲも伸び放題になり顎や口元がゾリゾリしている。出掛けないとなるとどうしてもだらしなくなってしまう。ここでもリズムは非常時に。
20-5-8
思いっきり上を見上げると血圧が下がるのを知った。それもわずかでなくかなり下がるのだ。例えば160が130になったりするからびっくり。最初は何かの間違いかと思ったが、見上げるのと見上げないのを試してみるとはっきり違いが出た。どっちが正しいというわけではなく、どっちも正しいと受け止めることにした。それからは普段もときどき上を見上げるようにしている。
20-5-9
今朝、昨日の『ひとこと』を読んで『上を見上げる』は同じ意味を続けた文章で変なのかと思ったが、気持ちとしては正しかった。ちょっと見上げるのでなく、そう、真上を見るような角度なのでこんな言葉が自然に湧いてきた。より強調して表したり伝えたいときにはこうなるのかも。おかげで自分としてはかなり低めの130台の血圧が続いている。でも。これ以上下がると心配。
20-5-10