中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾を書く

2023年12月05日 08時27分03秒 | 日記
やっと涼しくなったかとおもったら、今度は急に寒くなりました。

すっかり更新しない間、なにをしていたの?というと、小澤征爾さんについての本を執筆していました。

先日、NHKEテレで、サイトウ・キネン・オーケストラを、スターウォーズやそのほかスピルバーグ監督の映画音楽の作曲で名高いジョン・ウィリアムズが指揮しました。
松本での音楽祭のことです。

91歳?となるジョン・ウィリアムズは前半を別の指揮者にゆずり、後半登場しましたが、驚いたのは、オーケストラの音色が変わったことことです。
指揮者って、すごい存在ですね。もともと彼は指揮者ではないですが、作曲者が立つということは、もの凄くテンションがあがることでしょう。
立つだけで、楽員は反応するというわけです。
その彼に、指揮がどういうものかをしめしてくれたのが、小澤さんだ、といったと、楽員の立上舞さん(新日本フィルのセカンドコンサート
マスター)から聞きました。
彼女には、小澤さんの取材もしております。

スターウォーズの最後のアンコールのときに、征爾さんが登場しました。
とはいっても、なぜなんだ!
車椅子、それもああ、すっかり変わり果てて、どうして出てくるの、小澤さん!ああ、なぜなぜ???・という気持ちに襲われました。
あんな元気だった小澤さんが、赤い布がまだ活気を呼び起こしてきますが、車椅子の上で、ジョンの演奏に拍手?をおくっているかのような動作。

小澤さんがありあまる元気を発揮していた時代をえがいていたわたしは、悲しい思いに包まれてしまったのでした。。。。。、



三井のすずちゃん、「エアガール」になる

2023年02月22日 18時40分44秒 | 日記
三井のすずちゃん、「エアガール」になる

 あまりテレビを見ないのに、やたらと目につく「三井のすずちゃん」というコマーシャル。意味不明な・・・。
 広瀬すずちゃんだというのは、誰でもわかるので、三井の・・・というより、すずちゃんのコマーシャルなのね。
 その三井のすずちゃんは、いや、すずちゃんは、最近、テレビに出まくっている・・・といってもいいのでは?

 その端緒となったのが、2021年、コロナの真っ只中で撮影された「エアガール」。テレビ朝日のスペシャルドラマではないだろうか。その時、すずちゃんはテレビ朝日初登場。
 これは私の『日本航空一期生』(中公文庫)という本を原案としている。

 文庫を買ってカバーを見てください!(アマゾンで検索してもこれはみられません)
 昔懐かしいようなエアガールの制服姿のすずちゃんと坂口健太郎のパイロットの制服姿の文庫カバー。
 しかし、何を隠そう・・・この下に、本来の文庫のカバーが隠れている・・・。
 日本航空のスチュワーデス一期生たちが、空港で並ぶ姿の白黒写真を使った装幀です・・・。

 戦後GHQの占領下で、彼女たちはアメリカ総司令官夫人の査察を受けるために、やっと立ち上げた日本航空の飛行機の前に整列した。
 しかし、その飛行機もフィリピン航空からの借り物で、前日には日の丸を大急ぎで塗り、フィリピン航空のマークもそのままに体裁を整えた。
 一期生たちはマスコミのフラッシュを受ける中で、ロングのタイトスカート姿で皆様、まるでモデルであるかのように歩む写真です。
 私は、そんな彼女たちや創業時に日本航空にいた人々をひとりずつ訪ね、JALの広報の協力を得て、アーカイブズに通い、資料を漁った。
 1300倍の競争率で突破した彼女たちは、おばあちゃまになっていたとはいえ、美形が多かった。綺麗なヒトはずっと綺麗なのね。
 ちなみに私も日本航空に五年ばかり勤務して、その後、東宝演劇部戯曲科に所属しながら、執筆活動を始めた。そもそもJALの勤務も、海外エッセイなど書いてみたい、、、という下心があったのね。
 しかし、JALの国際線スチュワーデスは、士農工商ではないけれど、厳格な身分制度が・・・???
 JALではかつてはスチュワーデスを採用ごとに期に分けたが、カバー写真の元祖スチュワーデス一期生たちは「神話のヒト桁」、そのあと10期からは「化石の二ケタ」、「美貌の100期」「知性の200期」と続き、私が入社した成田開港あたりになると、「体力の300期」と言われ・・・。何しろ大量輸送時代を迎えていて、500人乗りのジャンボジェットが主流という時代で、その後400期になると、「隣横丁の400期」と言われたと、後輩が言っていましたよ。
 スチュワーデスも高値の花から⤵。という身分制度。。。
制服があるところっていうのは、どうしても軍隊形式になるのでしょうかね。

 そんな時代でも、私は、機内で和服を着てしゃなりしゃなりと歩く着物サービスを行ったり、ファーストクラスについた時には、オードヴルからワゴンで、女性パーサーはロングドレスなどという時代。その原点が創業時にあったというのは、執筆過程で知った。
 ちなみに、一期生たちが、マスコミの撮影に応じ、この時に着用していたこのロングタイトスカートは、業務を行うのには歩きにくくて適さないという意見が噴出、この日、一日限りでお蔵入りとなったそうである。
 それにしても、戦後100パーセント民間会社として出発した日本航空には、様々な試練が待ち受けていた。
 だいたいにおいて、日本の航空は太平洋戦争で零戦が名を轟かせてしまったばかりに、敗戦を迎えると、全てを破壊するようGHQから通達されたのだった。そんな中から、どうやって・・・・。
 
 それは二年ぶりに帰って着たTverの無料配信で「エアガール」をみてください。パソコンからでもスマホからでも無料で見られるらしい。
 そして、日本航空のその後も知りたい方は、文庫を読んで欲しい。
 ちなみに、近頃人気の白州次郎は、ここでは悪役です。
 戦後の新聞などを見ると、白州さんは民間企業の敵。海外に利益をもたらす人物だったのです。
 銀座で殴りかかる財界人あり。
 一体、誰でしょう?

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統一教会の合宿

2022年11月23日 11時51分39秒 | 日記
安倍襲撃事件は、きわめて影響力のある事件となっている。

わたしも学生時代を思い出してしまった。
1978年大学入学。
このころ統一原理ーと当時はいっていたーは、ある意味、キャンパスで避けてとおれないほどに浸透していたのではないだろうか?

茨城での高校時代、AFSでアメリカ留学を果たし、1年後、わたしの学年に入ってきた一つ年上の生徒節子(仮名)がいた。
たまたまわたしと節子は、東京の同じ大学に進み、同郷だということもあって結構行動をともにしていた。
大学一年の心情というのは開放感にあふれたもので、どのクラブや部活動にはいるか、などということが最重要テーマのようにして過ごしていた。

キャンパスをふらふらしていて合気道部の部室をのぞき、その体験中に鎖骨を骨折してしまった節子は、親から合気道だけは止めてくれと懇願され、やめた。
それからどのくらいの時間がたったか、たたなかったのか忘れてしまったが、まだ大学一年だったことはたしかで、節子は統一原理に入った・・・といってきた。

アメリカでの一年間の留学生活で、片田舎にホームステイしていた彼女は、毎週末通う教会からキリスト教に魅せられて行った。<祈り>に興味をもったといっていたように記憶している。
その習慣をいたく気に入ったようで、そういうものを自分ももちたい!
それで、原理研究会の合宿にいったら、その教義がすとんと、こころのなかに入り込んでしまったというのである。
日本人が寺でお葬式をあげ、結婚は神前でというなにかわからないような宗教、、生活に密着した信仰を持ちたかったのだろう、と感じた。ともかく手近な、聖書について質問すると返事がすぐに返ってくるということで、信者になったようなのである。

この明るい性格の彼女の勧めで、わたしと友人の松子(仮名)は、原理研究会をのぞいたのだった。
わたしは幼稚園がキリスト教で、聖劇をしたり、小学校からなんと中学生になっても、その幼稚園での日曜学校に行っていた。
中学時代は聖書を読むのがすきで・・・小説のように毎晩寝る前に読んで、なんと夜空にむかて手を合わせて、アーメンなんて、一人でして満足していた。
キリストの歩いたエルサレムの道はどんなところなのだろう、とか、小説や漫画の舞台にいってみたいとおもうように、聖書にでてくる荒野の光景を思い浮かべたものである。
お葬式ではお寺にいくけど、教義はわからない。母の実家関係の葬式では、念仏のかいた紙が配られ、皆でとなえる葬儀がおこなわれ、それはそれで楽しかった・・・というと語弊はあるが、寺の地獄絵とか、いろいろな飾り物???、仏像を見るのも心が和んだ。念仏となえると、こころが落ち着くのよね。

しかし、それらは東京での日常生活のなかにはない。
わたしには、同じクラスに松子という友達がいて、気があった。
なんでも見てやろう・・・が主流の時代?でもあり、わたしは節子にさそわれるまま、松子とともに、原理の話をきき、なんと一泊だったか、二泊だったか、合宿にまで参加したのだった!!!
聖書の解釈としては面白いな・・・と思った記憶がある。
でも、それは信仰というのとは違う。そこにいる原理研究会のリーダーのような、見栄えのする男性と言い合ったことをおぼえている。
松子は、彼に少し魅力を覚えたような気がした。
それでも、聖書についてあれこれ知りたいけれど、それは学問とか勉強であって信仰ではない・・というのが、わたしの結論だった。

でも松子は・・・・地方から東京に出てきて下宿では孤独感もあったようだった。この時期特有の恋の悩みなどもあって、ぐんぐんと統一原理に惹かれて行ってしまった。
どのあたりに惹かれたのか、というのは忘れてしまった。
それで入会してしまったのである。

それからが大変だった。
夢中になってしまった松子は、親と断絶した。引き離された。。。という感覚を親は持っただろう。

わたしは遠く四国から上京した彼女の父親と渋谷で会い、「よしえちゃんが、紹介しなかったら、こんなことにならなかった」とも責められた。
大学一年の夏休みは、フェリーや飛行機で、彼女の実家に友人たちと数日を過ごして、家族たちともたのしい交流をしたのだった。

地方の裕福な家だったから、そうとうな額を松子は寄付しただろう、と思う。もともとおカネに頓着しなくてもいいほど、使いかたをみればわかる。
教団から要求され、引き出したのだろう、といまなら想像できる。
当時は、そんな考えにはおよばず、もっとも、わたしに対しても、いわばご利益のある印鑑かわないか、、、といってきたが、わたしときたら、そういうものが全く信じられないのである。

統一原理に入信すると、どうしても別のコミュニティにいってしまう。
大学二年になるとゼミだけは一緒だったが、生活は不明となった。
そのうちに彼女は家族との確執からなのか、何が原因か、腎臓をこわし入院、さらに一年大学を休学してしまい、ますます縁は遠くなってしまった。

わたしの大学一年の時間は、統一原理と濃厚な関係がある。
こうして、二人との付き合いは深まることは無くなってしまった。

その後、最初に入信した節子は、卒業すると、自民党の議員ー弁護士出身ーの事務所に勤務した。へえ、そんなことまで教会は面倒みてくれるんだ、と思った。
それに彼女と原理との関わりについては、彼女はわりと平静に語るので、狂信的とは思わなかったのである。ただ、わたしのほうは就職戦線で、あたふたして苦労していた時期で、教会だと就職は簡単なのね、と思った、節子は教会内でも優遇されていたのではないだろうか。

時が飛ぶ。
そうして、何年かがたち、ふたりは韓国にいって合同結婚式に参加したのである。

節子にそんなお見合いで、結婚なんて、というと、「うちは両親もお見合いで、写真をみて、だいたい結婚をきめたようなの」
ということで、まったく抵抗がない。
わたしが恋愛に憧れていたのとは違う。
「なにか、希望とかきいてもらえるの』
というと、「わたしは外国人がいいと希望をだした」ということだった。やはりアメリカへの憧れなのだろう・・・。

その後、彼女は披露宴の写真をみせてくれた。韓国では結婚式?をあげたが、両親にも披露したいので、目黒の雅叙園で行ったというもので、節子は文金高島田、相手はイタリア人で、紋付羽織袴で、ご家族ご一同がずらりとならんだ写真だった。そこに新郎の家族がいたかどうかは記憶にはない。
ふーん、幸せになれるんだな・・・と。

一方、松子のほうは、家族との断絶は明らかながら、日本人?男性と結婚して、地方都市で暮らしていた。

まったく別の道を歩き始めたわたしたちは、彼女がなにをやっていたのか、わからない。
でも、ある日、電話があって、世界婦人連合??・とかなんとか「女性の世界大会があって、安倍晋太郎さんの奥さんが会長をつとめる国際会議があるから、参加しないか」との電話である、「勝共連合」だとか、「人間はすべての行動が政治的である」とかいうようなことを口走っていて、、、なんともわたしはついていけなくて断ったのである。
その後、また電話があり、「お金に困っているの。30万円かしてくれない」とか「ツボを30万円で買ってほしい」とかなんとか。
こちらは夫と勤務先の寮住まいで、基本給が安いことこのうえない時代で、そんな金額はおいそれと出せない。
ほかの友たちの名前を行って、回そう!としたのだが、そこには電話できない・・・とかいっている。
それでも、ないものはないので、断るしかなかった。

彼女はいま、どうしているだろう。
その後、子供にも恵まれ、四国でくらしているらしい。
我が家がなかなか子供ができないときは、神のご加護がない、みたいなことをいわれた、最近、統一教会のなかで養子縁組なんていうことがおこなわれていたとしり、神のご加護は信者でもダメだったのか、子は持たなくてはいけない、子育てはすべきという教えかと。
家族主義を重視したとおもえる安倍さんだったが、ああ、安倍さんのお家も、子供がなくて・・・逝ってしまったのだね、、と思ったところである。

もし節子や松子と友達でいられたら、わたしの生活も、また彩は変わってしまったかもしれない・・・とこのごろ、そんなことを思い出すことが多い。
統一教会はわたしの人生もかえたということができる。
ちなみに、節子のほうはローマに長く住んでいて、10年ほど前だろうか、突然連絡があり、統一教会をやめた、、、と聞いた。
もし彼女に会うことがあったら、いろいろ詳しい話を聞くことができるのかもしれない。








『鍵盤の天皇ー井口基成とその血族』

2022年11月02日 21時03分06秒 | 日記
反田恭平くんの書いた本がちょっと評判になっているらしい。
彼は学校を作りたいといっているようだが、それはこの本の井口基成が戦後の日本ではじめた「子供のための音楽教室」をおもわせる。

だいたい反田くん自身が、「子供のための音楽教室」の出身なのである。
ということは、彼がその後進んだ桐朋学園は、井口基成の時代と変わってしまったのだろうか・・・という考えにいきつくのである。

そもそも反田くんは、ショパンコンクール2位ということで騒がれたが、すでに日本には50年前に同様に2位をとった内田光子がいる。
彼女は、井口基成門下である。子供のころ教えた先生は松岡貞子さん。
松岡さんは、基成の高弟であり、彼女の証言をこの本にたっぷり盛り込めたことは幸運であった。

基成は、その後、父親の転勤で欧州に渡った光子のレッスンもウィーンへ見学にくるように父親から招待されている。
基成が「子供のための音楽教室」を桐朋音楽大学まで発展させた時代は、現代の日本より、さらに世界の音楽シーンに日本の名前をとどろかせていたともいえるのである。




鍵盤の天皇ー井口基成とその血族

2022年05月22日 16時19分09秒 | 日記
月刊「モーストリー・クラシック」に連載中の「鍵盤の血脈 井口基成」が単行本になります。
5月23日、中央公論新社より発売されます!

基成の死までで、タイトルは、

「鍵盤の天皇-井口基成とその血族」 (単行本) ハードカバー
中丸 美繪 (著)

こんなに手のかかった本はありません。企画から20年、連載6年。
その上、まだ連載中なんです。

昨年春に、「そろそろ単行本にしませんか」
基成の死が近いと感じた編集者の言葉だ。
ところが、基成は最期まで精力的に活動する男なので、体がボロボロになろうと、恋愛をしようと、公の仕事も何もかも成し遂げようとするのである。その上、酒好きで付き合いがいいときているので、私の取材した150人ほどの協力者から得られた証言は尽きることがない。

それでなかなか終わりません!

秋の初めになって、「ともかく基成の生涯部分だけでも単行本に。そのあと、井口秋子、井口愛子について連載していたらいいじゃないですか」
「ともかくまとめて読ませてください」
彼も6年待ってくれたのね。

その六年分をまとめて読み、「このまま行けます!」と、彼は結論を出した。
しかし、12月の時点では、まだ基成は生きている!

こうして連載と、基成の死までを描く作業と、ゲラの同時進行が始まったのである。
そんな曲芸、私したことありませんでした。

ゲラで読むと、連載だから冒頭と前回の最後が重なっていたり、途中話が前後していたり、ここはもう少し書き足したい・・・などあって、手間取るのです。

こうして12月は足早に過ぎ、年末年始に全てやることを課されたものの、それはあまりに残酷だ?という声が部長から上がったとか。家族が可哀想とも。私は仕事づけでは、一体誰がお雑煮を作るのでしょうか・・・と思ったものの、お正月は正常心で迎えることができました。
ともかく枚数が・・・・。ページは600ページ超え。ぶ厚過ぎます。

また、
校閲の方も大変なのです。何しろノンフィクション。周辺の時代状況などもバッチリと書いておりますので、その確認作業が・・・・。
こうして、私の持ち時間にずれ込み、なんとこの歳で徹夜をする羽目に!
「三日で戻してください」は、よくぞいってくれました。
凄いよね。

こうして、最初二月末刊行予定は、三月末に。

さらに徹夜で私の脳細胞が壊れたのでしょうね。

私は「殺される!」という妄想を抱くように成り!!!???笑・・・・発狂して、「無理です!!」
「誰がそんなに早く発行することを望んでいるのだ!」
年度内に刊行したいと編集者はいうけれど・・・。

ノルマがあるのですね。
ああ、辛いね、ノルマ。そういえば、保険会社に幹部候補として勤務したものの、最初の年は営業・・・それでノイローゼになってしまった人がいましたっけ。

緊急出版の意味合いもなく、まだ連載は続いているし、このままだと、単行本で基成は死に、連載では生きている。。。。ということになりかねない。
モーストリーの編集長はそれでもいい、、、なんていってくれましたが、どうもそれはおかしい、、、、と思ってしまう。

それに体力持たないです。
600ページ越えを三日とか、一週間とか、・・・・

結局、寄り切りで、5月末刊行としてもらいましたが、それでも最後はバタバタ・・・でした。

というわけで、晴れて、発行の準備が整いました。

カバーから帯から、基成のプロフィールをカバー袖に入れるとか。。。。全部叶えていただきました。

お疲れ様でした。

夫は、珍しく、読んでいます。
ディテールが面白い、、とかいって。。。基成が魅力的だと、時に声を出して笑っています。
ぜひ、読んでください。図書館で注文してください。



内容)

斎藤秀雄とともに、日本の音楽教育をリードし多くの優秀な音楽家を育て、演奏家としても生涯活躍した井口基成。そして、妹・愛子、妻・秋子。「井口一門にあらざれば、ピアニストにあらず」とまで言われ、今日のピアノ界に深く浸透した影響力と、愛憎渦巻く人間のドラマを描くノンフィクション。
1戦前~戦後、終始人気演奏家だった(途中で演奏活動を止めた斎藤秀雄とは対照的)、2人望のあるリーダー格(「男気がある」江戸英雄の評)、3優れた音楽性とレパートリーの広さ(バロックから近代まで、演奏会で音楽史を弾ききれる)、4門弟3000人と言われる名伯楽(妹・愛子、妻・秋子も含めた井口一族から多くの名演奏家を輩出)、子供のための音楽教室設立、桐朋学園音楽学部の創設など、音楽教育への貢献。桐朋学園大学学長をつとめた。5楽譜の校訂者としての業績(春秋社版の楽譜「世界音楽全集」。スカルラッティからドビュッシーまで)
以上、「ピアノ界の天皇」と呼ばれた井口基成の「功」のみならず、スキャンダルや挫折など「負」の側面もあぶり出し、その人間像の全容にせまる。

広瀬すず主演 エアガール 芸術祭参加作品

2021年12月06日 15時54分19秒 | 日記
エアガールの再放送がありました。中公文庫「日本航空一期生」がその元となりました。
白水社から最初に出ましたが、その後中公文庫となり、取材を追加し、加筆修正もいたしました。ぜひ、中公文庫で読んでくださいませ。

この作品の総合プロデューサーを内山聖子女史。
ドクターXのプロデューサーです。

春に放映後に、彼女がテレビ朝日の取締役になったとかなんとかききました。
春の放映の後にも、電話いただきました。同じくプロデューサーの神田さんとともに。

放送界での試写会の時、NHKの人に感心されたらしい。
曰く、ーNHKの朝ドラでもないのに、よくこんな力の入ったもの作った!

 とか、ー一回だけの放映ではもったいない!!!

とか。
 ドラマの話が早く進行しすぎると言うことでしょうか。
確かに、他にもたくさんエピソードがあります。

この作品を気に入ってでしょうか。来年、NHKの朝ドラは、航空関係のものになったらしいです。
この作品使って欲しかったわ!


それにしても、
芸術祭参加作品となって、感慨深い。

今年は三月の放送、そして四月には、日本航空協会で講演をさせてもらいました。
850名の申し込みがありました。
結局、コロナのために、zoom講演会となり、アクセスは1000を超えたと言うことです。

航空協会のホームページにはその講演会がアップされています。
自分では、恐ろしくて???!!見ておりませんが、今でも見られると聞いています。

あの時は、うちで飼っていた猫ーちいこちゃんの一周忌の命日と重なってしまったので、なんと猫の写真までzoom
で紹介させていただきました。
「オペラ猫」と呼んだりしていて、自己顕示欲が強い猫でした。
なぜ、オペラか!
 鳥の真似をして鳴く、歌うのです!
 猫とも思えないような、鳥を真似した声で、鳥をおびき寄せます。ある時は、30羽くらいの鳥を呼び寄せ、ジャージャーという鳴き声の鳥はなんと言う名前でしたか。枯れ木に花がさいたように鳥が集まっていて、隣の家の犬が興奮して、塀に鼻をぶつけてしまって血を流してしまったようです。ー罪な女。

メジロと言う鳥は何羽捕獲してきたでしょうか。
時に、蛇やトカゲまで。持ってこなくていいのよ_____それなのに、ちいこちゃんは家に持ち帰って、見せに来ます。

もともとチイ子ちゃんは、我が家を選んで、入って来た猫でした。
猫って、飼い主を選ぶと言うけれど、私は選ばれてしまったのです。

いや、チイ子ちゃんの話ではありません。

「日本航空一期生」です。この本のドラマ化の話です。それが航空協会講演会でも話したことでした。

広瀬すず演じる女性は、実は、いろいろな人物の複合体です。テレビ朝日のプロデューサーたちがテレビ化したいと言って来た後に、何か書かなかったことは・・・・と言われた時の雑談で話したものです。
それは、私の知り合いのお母様のこと。

新橋の仕出し屋で、戦後でなく、戦前にエアガールの試験を受けたのです。でも、知り合いの方も詳しいことはわかりませんでした。エアガールにはならず、結婚してしまったからです。ただ、試験を受けた時には、マスコミの取材攻勢があり、その写真だけが手元にある、と言うのでした。今回、航空協会の協力を得て、全力で、その写真の出所を調べ、試験の写真が枢要あることもわかりませいた。その写真も、講演会ではお見せしました。

戦前の新橋には、航空会館が現在の位置にあり、当時は最新式のホールがありました、そこで新劇の人々の芝居が行われていて、航空と言うのは、時代の先端を言っていた。航空会館は、東京で一番高いビルでもあったのです。
そんな空に、女性たち、男性たちが憧れるのは当然のことでした。
内幸町にはNHKもありました。

この女性は結局は空を飛ばす、新劇の老舗、民芸の俳優下元勉さんと結婚したのでした。私の知り合いは、二人の間の長女です。

エアガールという呼称は、戦前のもので、日本航空が募集をした時も、だからエアガールとなったのでした。
ただそれは和製英語だったため、すぐにスチュワーデスと改められたのでした。
スチュワーデス一期生!!!

私の「日本航空一期生」はスチュワーデスの話ばかりでなく、むしろ戦後初の民間航空がどのように航路を開拓し、自らの手で路線を拡張して言ったかというものです。その中の汗と涙と笑いの物語というもの。

ぜひ読んでくださいね。





エアガールその後

2021年04月05日 17時35分30秒 | 日記
3月24日付けの日刊ゲンダイの、<テレビみるべきものは>の欄は、「スペシャルドラマ エアガール」について紹介されていた。
見出しは「連続ドラマでやってもいいほど濃い内容だった」。

わたしのところには、「泣いた」という、それもなかには「三回泣いた」というものもあって、それは??
広瀬すずちゃんが網膜剥離になるところでしょうか?
あちこちの書店でフェアにもなっているとのこと。

白州次郎が、ある意味、敵役というところも、これまでと違って驚きをもって迎えられたようです。


日刊ゲンダイ(3月24日号=23日発行)

20日夜、スペシャルドラマ「エアガール」(テレビ朝日系)が放送された。原作は中丸美繪の「日本航空一期生」。
戦後の占領期に「日本の空」を取り戻そうとした人たちを描くノンフィクションだ。この原作を踏まえ、ドラマは2つの軸で進む。

一つは「エアガール」と呼ばれた、現在のCA(キャビンアテンダント)の大先輩たち。戦争で両親と兄を失った佐野小鞠(広瀬すず)もその一人だ。
新たな職業の苦労も「先が見えないほうがワクワクしていい」と前向きな小鞠。兄の戦友だった三島優輝(坂口健太郎)との淡い恋も含め、広瀬が魅力的に演じた。
そしてもうひとつの見どころが、戦後初となる「日本の航空会社」設立をめぐる物語だ。
松木静男(吉岡秀隆)は、「戦後日本航空業界の父」と呼ばれ、日本航空の社長や会長を務めた松尾静磨がモデル。
当時、海外の航空資本と手を結ぼうとしていた白州次郎(藤木直人)と激しくぶつかる。
「(吉田茂の)側近という立場を利用して日本の未来を海外に売り飛ばすだけのブローカーだ!」
と白州に詰め寄る場面は圧巻だ。
1951年に日本航空の前身である「日本民間航空」が就航してから今年で70年。
「はじめて物語」として見応えがあり、連続どらまでやってもいいほど濃い内容だった。
脚本は今秋放送の日曜劇場「日本沈没ー希望のひとー」(TBS系)も手掛ける橋本裕志だ。(碓井広義=メディア文化評論家)


 



エアガール

2021年03月17日 17時29分02秒 | 日記
『日本航空一期生」は広瀬すずちゃん主演「エアガール」の原案です。
敗戦後六年、ナショナルフラッグを誕生させた人々の、創業時代の苦難と喜びを、当時の関係者を取材して描きました。

この本を読んで感激してくれたのが、今回「エアガール」のプロデユーサーです。
テレビの現場も女性が多く進出しておりますね。

今回のエグゼキュティブプロデューサーは、「ドクターX」の女性敏腕プロデューサー。

この企画の発案者は、その下で働くいくぶん若い、将来を嘱望されるまたまた女性プロデューサーです。
彼女は、お父さんが医学研究者で、生まれがドイツだということ。
お年は聞いていませんけれど、幼年の頃、日本を感じされるものは「日本航空」の飛行機とか、ジャルの支店に掲げられた鶴丸しかなかった、というところから、円が360円の時代だったと思われます。

そんな彼女が、本書に感動してくれて、企画を持って来てから、三年以上が経つでしょうか。

私が執筆に費やしたのが五年、その前の構想段階を含めたら、ほぼ10年がかり・・・。

その間には、取材に協力してくださった方でお亡くなりになった方も。。。。

だって、敗戦後6年の時に、紳士淑女だった方々ですから、取材の段階でも70ー90歳。

今はない銀座にあった日航ホテルが、創業時の本社でした。数年前に取り壊されてしまいましたね。
元は時計屋だった三階建。
社長室は畳敷きでした。
チェックインもここ。その時スチュワーデスも一緒で、ここからまだ羽田エアベースと言われた東京飛行場までバスで行くのエス。スチュワーデスの前に、バスガールをしていたと言ってもいいですね。そして、ホテルから運ばれて来たサンドイッチやッコーヒーを持って、タラップを上って行く。
そういう風景を知っている方は、どれくらいいるでしょう。

そういう私も、小型機の最後の世代を知っているくらいです。

さて、
今回、広瀬すずちゃんが演じるスチュワーデスは、私が取材したスチュワーデスの一人ではなく、そのスチュワーデス一期生の集合体ともいうべき人物になっています。
恋愛を描くのには、ヒロインをフィクション化しないと、ですね。

様々な一期生がいましたよ。

英語に熱心、極めて堪能で、のちに語学学校を創立した或る一期生。
「エアガール」募集の締め切りギリギリに願書を出した一期生。
新橋の小料理屋出身だった方。
赤坂の置屋にいた方。
さらに、さらに・・・。

様々なところから、一期生は集まって来て、いや、集めてこられた方もいました。


そして、私が描きたかったのは、松木役で登場する吉岡秀隆さん演じる松尾靜磨なのでした。
彼が白州二郎と丁々発止のやり取りをして、日本の民間航空の明日を築いたのです。
まさに「民間航空の父」なのです。
白州次郎も、これまで讃えられて来た人物ですが、私の本には適役として描きました。

そして、当時の世論もマスコミも、初めての民間人閣僚たる白州の立場を擁護しませんでした。
日本が敗戦から立ち直るために、日本人としての矜持を持った国民がほとんどでした。
あの時、もし松尾さんが頑張らなかったら・・・・。

今の日本の空はどうなっていたでしょうか。

何しろ、航空禁止令・・・つまり戦時に暴れまわって敵国を恐れさせた零戦の末裔たちの国の飛行機野郎がいるのです。それを恐れたアメリカの政策・・・そんな中で、ナショナルフラッグを立ち上げた人々の苦難と喜びを描いた本は、そのままそのエスプリをドラマに移しました。

どうぞお楽しみに!!




エアガール

2021年03月05日 17時58分45秒 | 日記



広瀬すずちゃん主演の「エアガール」

いよいよ明日は、メーキングビデオなども見られるようです。
コロナ禍のなかで、フェイスマスクをつけながらの演技ご苦労さまでした。

監督は、いろいろなところに出向いて、ノンフィクションらしい映像を集めたともプロヂューザーから聞いています。
楽しみだなあ。

実在の人物の白洲次郎役の藤木直人さんと、「日本航空界の父」ともいわれた、JALで最初専務をつとめた松尾靜磨役の吉岡秀隆さんのぶつかり合いも楽しみ!!!
これは、わたしが取材、調査するなかで、初めて明らかになった事実です。
白州次郎ファンは多いと思うけれど、あの時代は、なぜ民間人が政府の要職についているのだ!という国民は多かった。

さらに白州次郎さんは、外資導入を率先しておこなったようで、たとえば八幡製鉄所なども、アメリカに売却しようとしたらしい。
銀座のクラブで、永野重雄がなぐりかかったらしい。

占領下の貧困な日本で、どんな産業を日本が興していくか、どれを切り捨てるか、などが、マスコミをふくめ、世論として真剣に考えられた時代でもあった。

反して、郵政民営化はどのくらい議論されたのかな・・という気もしてくる。国の大きな制度の転換期、国民がどれほど目を光らせることができるか。
これまでの白州次郎のイメージが少しは変わるのではないだろうか。

文庫も新しい、広瀬すずちゃん、坂口健太郎さんのならぶ、ほぼブロマイド形となりました。ぜひ紀伊国屋書店ほかで、手にとってみてください。




日本航空一期生

2020年12月08日 17時54分52秒 | 日記
広瀬すずちゃん主演の「エアガール」というドラマが来年春放映予定となった。

広瀬すずちゃんは、FACEシールドつけて撮影していた。
これは、わたしが書いた中公文庫「日本航空一期生」のドラマ化なのです。

夏に撮影が行われたのだけれど、2月末からテレビ朝日は、というか芸能界は、志村けんさんやキャスターなど感染者が続出でしたものね。
撮影時も、ごくごくかぎられた人数で撮影所入り・・・ということで見学にはいけなかった。
いぜん米倉涼子さんが、わたしの本「杉村春子 女優として女として」(文藝春秋)を演じたときは、京都撮影所まで編集者らとお見舞いにいったのだっけ。懐かしいなあ・・・、あのころ米倉さんはまだ初々しい役が多かったが、最近の楽天のコマーシャルなどをみると、Dr.Xの大門役などみると、十分にアクの強い女優へと成長なさいました。「杉村春子」を悪女としてとらえたやつだったものね。三人の男たちを・・・と。

お話をもどしましょう。
ときは戦後、GHQ占領下の東京。
ゼロ戦でアメリカ軍を困らせた日本は、戦後の占領下では飛行機をもつことを禁じられた。学術的な研究すらも禁止で、それがいまのJAXAの後進性にもつながっているかも・・・。
そこから、飛行機会社を作る人々の血と汗の物語というわけです。

戦後すぐから飛行機は飛んでいたのですよ。
マッカーサーは横須賀からきたけれど、海外の民間の飛行機は羽田飛行場に!
フィリピン航空や中華航空、そういった会社に学んで、日本の民間航空会社ははじまった。それが日本航空の原点です。