中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾異聞 最終回となりました。

2015年11月24日 13時02分30秒 | 日記
産経新聞発行の月刊誌「モーストリー・クラシック」で連載してきた、「小澤征爾異聞」が最終回となりました。

当初の予定を大幅にこえて、長い連載となりました。
わりあい読者の反応がよかったときいています。

編集部では毎月、アンケートをとってるようなのですが、一番面白い記事に選ばれてきたときいています。
もっとも、一番つまらないのに選ばれた回もあるようです。
それはそれで、書き手としては納得し、そういう過激な!?反応も喜ばしくおもっています。

おそらくあの回だと、いうことが想像できますので。
小澤さんの、これまで語られていなかった暗闇を書いた回が、そうだろう、と想像できるからです。

小澤さんは天皇、ぼくはいつまでたっても、首相どまり・・・といったのは、指揮者井上道義さんでした。
それほど小澤さんは神聖化されてまいりました。

わたしが朝比奈伝を書いたとき、ここまで書くのか、と、やはり、そのように感じた読者はいたはずです。
でも、わたしが朝比奈さんを大好きで、それなのに、さまざまなことを書いたということを、結局は朝比奈ファンも認めてくれたものです。
人間ですからね。人間くささがあるはずなのです。

そういうところが、ほんとうに愛おしい・・・とわたしは感じるのです。
それで、もっともっとその人物が好きになっていくのです。

人間はミステリー・・・それがわたしの執筆動機です。

小澤さんを探る旅は、来年までつづきました。

詳細は、来年発行予定の中央公論新社の単行本にご期待ください。

なお、来月からは、ピアニスト井口基成、妻秋子、妹愛子の評伝となります。


日本航空の聖火号 文藝春秋ー巻頭エッセイを書く

2015年11月09日 17時02分36秒 | 日記
今年「日本航空一期生」を出版したあと、いろいろな出会いがあった。取材中はもちろんだったが、出版後にはさらに多くの日本航空0Bのかたたちと出会い、また再会を果たすことができた。

4月、出版を記念してJAL一期生の会をしようと、提案してくれたのが鷹司信兼さんだった。
その後、その会に大勢参加してくださった、鶴丸会の会に呼んでいただいた。

鶴丸会の歴史は古いらしい。つまり一期生というようなパイロット、客室、整備の方々などが大勢会員になっているのだ。
其の席には、1964年の東京オリンピックの聖火号を操縦、客室サービスをした方々がいた。
その話を、11月10日発売の月刊文芸春秋の巻頭エッセイにわたしは書いている。

その後、さらに客乗0B会に招かれた。これは男性パーサー出身者だけでつくられた会です。
女性は、わたしと、志賀ごず江さん。志賀さんは、二年間スチューワーデスをして21歳でパーサーと職場結婚、専業主婦になるもその後、慶應の通信教育で四年間法学をまなび、なん、なん、なんと13年かけて1990年に司法試験に合格したというのだ。スチュワーデスの期はJALで「神話の一ケタ、化石の二ケタ、美貌の100期、知性の200期、体力の300期」といわれ、わたしが体力という最底辺にくらべて、志賀さんは、化石の方なのである。
すごい!一期生の小野悠子さん(本で第一番目に登場します)も、すごいタフなチャレンジを子育てのあとにしたかただが、JALの先輩がたというのは、ほんとうにど根性がある!!!感激しました!
また、そのほかにも、1980年代に飛んでいたわたしが面識のあるかたがたが、ずらり!
訓練所長だった成田さんも!
お隣でよくよくお話すれば、成田さんの義理の弟さんは、文学座のたかお鷹さんだというではないか!!!

司会の黒木さんもしゃべりもすごい!
さすがにあちこち講演をしまくっているかたである。
なに、癌になってしまったって!食道がん・・・それも話の明るいネタにしてしまってらっしゃるのは、もうもう尊敬にあたいします。

会長の入江さんも、ソフトな語り口ながら、確固たる芯を、当時から見せつけられてきました。栃木ご出身というのは、今回はじめてしったのですけれど。わたしも茨城、北関東のなまりはなかなかぬけませんです。
ご一緒にとんだ大先輩と、このように再会できたことが、ほんとうに嬉しくおもいました。
当時、編集者から勧められたときは、「あまりいい思いでないから。。。。」といって、ともかく最初はぐずぐずと筆が進まなかったわたしです・・・・。ありがとう、和気さん。