中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤俊夫さんの講演会

2016年10月25日 09時53分04秒 | 日記
小澤俊夫さんは小澤征爾さんのお兄さんだ!

もう二年、いや、さ、三年ほどまえになってしまうのだろうか。わたしが俊夫先生に取材させていただいたのは。

そうそう、あれは小澤征爾さんが、サイトウ・キネン・フェスティバルで「子どもと魔法」を指揮して完全復帰をはかった年のこと。
天皇皇后両陛下も、10数年ぶりに松本にいらした。

小澤さんは、この短いオペラを指揮し、ー40分ぐらいかー後半は別の指揮者で、ファルスだった。
2013年で、まだ東日本大震災の傷も癒えてない・・・いや実際、いまも癒えてないが、ー両陛下は、そんなときにファルス、つまりコメディのようのものはご覧になれないというわけで、前半のオペラだけを見て退出なさったのだった。

その晩は、松本のホテルでパーティがあった。
そこで、俊夫先生がいらしたわけである。
わたしが名乗ると、「あなたが書いた斎藤先生の伝記読みましたよ」と。
わたしも俊夫先生の昔ばなしの再話が好きで、語り口がリズムがある・・・つまりそもそもは口承文学だから、覚えやすい、リズムにのりやすいものになっていくはずであって、ーーー俊夫先生とはいちどゆっくりお話ししかったわけです。
また征爾さんの成長するまでを語れるのは、さくらおかあさんが亡くなってしまったあとは、俊夫先生しかいない・・・・ということで、「小澤昔はなし研究所」へお邪魔して、二時間半ぐらいか、徹底的にお話をきくことができたわけだった。

日本女子大で講演があるというのを、今年の松本でのパーティで先生から伝えられた。

わたしは、愛蔵の浦島太郎ほか、小峰書店から発刊されたものをもって日本女子大へ。

浦島太郎でも、ほかの昔話でも、三回繰り返す・・・・というのがある。
これはグリム童話でもほかでもそうらしい。
世界的に伝承文学を研究している高名な学者は、これはギリシャの詩人がそもそも作り、それが世界中へ伝播していった、という説をとっているらしいが、俊夫先生は、これは口承文学として、伝えるとき、語るときに心地よいからという説で、わたしは俊夫先生に大いに同意した。

だって、音楽でもそうですもの。
同じメロディを三回繰り返す・・・けっこうあります。
だから斎藤秀雄は「三回目は違うように弾くように」と教えたくらいで、三回繰り返すというのは、人間の生理ではないかとおもった。
講演終了後、音楽でも三回繰り返しますよね、そうだよね、リズムなんだよね、という意見をやりとり・・・・。

俊夫先生は、柳田國男と面識もあり、それどころか、口承文学のあとをたくされた、、、という立場にあり、それを語るとき、演台でおもわず、涙ぐんでいらしたようだ。

征爾さんを語ったとき、お父さんを語ったとき、泪もろい、とおっしゃり、わたしは、「先生もですか?」「そうかもしれないね」というやりとりがあった。
先週も、おもわず、まだ20代だったときに大家柳田國男からいわれた言葉を、まざまざと思い出したようです。
感動的だった。

休憩を15分はさんだものの、二時間、立板に水のごとく、講演は進んでいった。
すごいね!
征爾さんが81歳なのだから。。。。

家には、絵本の「浦島太郎」もある。これはとても美しい絵本だ!!!




小澤征爾さん関係・・和波さん岩崎洸さんと、「女王井口秋子」

2016年10月19日 16時42分06秒 | 日記
和波さんからご招待いただいて、昨日は、東京文化会館へ。
ヴァイオリンの和波さんと、岩崎洸さん、ピアノの土屋さんのピアノ・トリオの演奏会でした。

和波さんはもともと能弁で、岩崎さんもそうなのですけれど、和波さんが主宰ということでか、岩崎さんは控えめにしてらしたですね。
岩崎さんは、斎藤秀雄門下のチェロの俊秀で、子供のときから斎藤秀雄と議論をするようなタイプで、先生からも一目おかれた生徒だったようです。
そのお姉さんというのが、岩崎淑さんで、おうちも家族全員が音楽家だったらしく、・・
わたしは10年ぶりくらいで、客席に岩崎淑さんを見つけました。

松本の小澤フェスの総括している元エプソンの武井さんと並んでらしたですね。
武井さんは、武井さんで、こんど11月に食事をすることになっています。というのも、小澤征爾伝のために取材をし、また武井さんとは、このフェスがはじまったときからもう20年も知り合いなのです。わざわざ諏訪から出てきて演奏会に・・・「和波さんは、おれの誕生日のときに諏訪にきて演奏してくれたのよ」といってました。和波さんはいきとどいたかた。

いまや、小澤フェスに最初からいるのは、岩崎さんが抜けてしまったので、和波さんと、あとお二人くらいでしょうか。

昨日、演奏会では珍しくトークがはいったのですが、和波さん曰く。
「コンサートで演奏家がおしゃべりするのが世界的傾向になってしまったらしく、今回もトークがあるのか、という問い合わせがあり、しゃべらないでさっさと演奏してくれというかたもいるとおもいますが、ちょっとだけ・・・・と」話しはじめました。
「まだ結婚している」と紹介されたピアノの土屋さんも、よく話されるかただというのがわかりました!
わたしは、おふたりに取材をもうしこみました。

また岩崎淑さんに、「モーストリー・クラシック」で井口基成伝を連載しているとお伝えすると、11月に、井口秋子先生門下の「秋玲会」があるとのこと!!!
すごいです!
さすが「女王井口秋子」です。
「モーストリー・クラシック」前号、前々号は、秋子先生の誕生からドイツ留学までのところを書きました。
お弟子さんがまだいらして、なんと毎年か一年おきだかに集まり、芸大のお弟子さんと桐朋のお弟子が交互に幹事をつとめているそうです。

開催場所はゆかり成城学園前。
あそこに、井口家はあったのですよね。

さすが女王だ!!!!




小澤征爾さんと、日本フィルー今年、創立60周年になった!

2016年10月08日 11時31分32秒 | 日記
9月27日、ピエタリ・イン記念首席指揮者就任披露演奏会があった。
今年、日本フィルは創立60周年を迎えるということで、その演奏会に先立って関係者を招いた祝賀パーティーもあった。

理事長の平井さんがちょっとさわりを述べてらしたが、「日本フィルの経営的に辛く苦しい歴史」は、わたしが現在執筆中の小澤征爾さんも大いに関係している。

文化放送がそもそも創立した日本フィルだった。当初は渡邊暁雄が常任指揮者である。
ところが、東京オリンピック後の不況で、文化放送・フジテレビの経営が悪化。
そのあたりで、それまで客演していた小澤さんが登場してくるのですね。

渡邊暁雄を退かせて、小澤さんを首席指揮者にして立て直しをはかろうとするのだ。
ところが、当時、サンフランシスコ響の音楽監督をしていた小澤さんとの契約は、年に2、3回帰国という契約。
小澤さんの人気は高かったが、定期会員数は減少してしまった。

そこから日本フィルの苦しい歴史が!
そもそも「財界4天王」といわれた水野成夫・・・・彼が文化放送の社長になって日本フィルをつくった。ところが、経済が苦しくなったとき、まっさきに切り捨てられそうになる・・・
いろいろな手段で企業は、日本フィルに迫ってくる。

当時、日本フィルはN響と並び称されたオーケストラで、定期演奏会のプログラムもきわめて充実していた。
これは渡邊と事務局、文化放送の日本フィル担当者の意思が、藝術性、アカデミックなものをめざしていたためで、特筆すべきなのは、日本人作曲家への委嘱である。
数ヶ月、彼らを食べさせるために支払いをおこなって、作曲に没頭させた。ここから武満徹や黛俊朗や、池辺晋一郎などもデビューしていった。
これがなかったら、日本人作曲家はそうそう育たなかっただろう。

日本フィルの会員は多く、そのなかには独身時代の美智子さまも!
若杉弘さんもいた!

しかし、小澤さんが芸術院賞受賞の際に、昭和天皇に直訴するも、日本フィルは解散・・・・。

一ヶ月たたないうちに、小澤さんは新しく旗揚げされた新日本フィルの首席指揮者に移ってしまった・・・・。
一方、日本フィルのほうは・・・。

このあたりは、来年出版予定の小澤征爾伝を読んでくださいね。
ガッチリと書いて、数日前に150枚を編集者に渡しました。

この日本フィル60周年、パーティーには、創立指揮者渡邊暁雄さんの長男でピアニストの康雄さんもきてらした。
鳩山邦夫さんとは従兄弟関係で、去年彼のコンサートには、邦夫夫妻の姿もあった。
「小澤さんの本はいつできるの?」
わたしは康雄さんにもインタビューしている。
「来年です」
「小澤さんが元気なうちに出版しないとね」
「そうなんです。康雄さんの取材で、とくにオフレコというのはないですよね?全部、べつにかまわないですよね?」
 康雄さんは、小澤さんのボストン交響楽団デビューを聴いている。当時、ボストンのニューイングランド音楽院に留学していて、なんとその日は、そのシンフォニーホールのチケットもぎりをしていたというのだ。
父上から聞いた話あり、N響事件の話あり・・・なかなか康雄さんの話は充実していて、それこそ美智子妃殿下まで登場して、それに小澤さんがこういったなんていう話まであるので、いいのか・・・ということもあった。
「僕の話のなかに、オフレコ・・なんていうの、あったかなああ』
「そうですよね。では、遠慮無く書かせてもらいます」

ちょっと歩くと、音楽評論家の東条さんが!
「小澤さんは、日本フィル時代から知ってるよ、僕はそのころ東京FMに勤めていて、日本フィル録音していたりしたから」
とのこと。なんでも小澤さんの再婚のときには日本フィルの練習所まで週刊誌記者が押し寄せてきて、「そのころ小澤さんもそうとう生意気だったから」、詰め寄られて、「あなた、大学出ているんでしょ、こんなくだらないこと!」なんて、暴言もはいたという。まわりにいった日本フィル関係者が、なにもそこまで言わなくてもと、ヒヤヒヤしていたらしい。
東条さんとはランチをすることになっている。

インキネンのプログラムは、ワーグナーである。
わたしは、当然シベリウスだとおもっていたのだが・・・。

インキネンの肖像入りの一筆箋が、サントリーホール入り口で配られた。思わずわたしは「かっこいい・・・」とつぶやいてしまう。
演奏には、ほとほと感心。
オーケストラのメンバーも肝のすわり方がいつもと違った!
歌手は、インキネンのお友達のおふたりで、平井理事長によると「お友達価格で引き受けてもらった」とのこと。
とくにソプラノのリーゼ・リンドストロームがよい。
ベーレンスを思わせる髪型でもあり、ソプラノスピントがばんばんくる!
パンフをみると、「トゥーランドット」のタイトルロールも歌っている。なるほどそうよね。声にそれほど重さも特徴もないが、正確で危うくない。
わたしはまた彼女の声をききたいとおもった。
「ジークフリード「と「神々の黄昏」からの抜粋だったが、これがうまくつながれていた。これまでで一番、日本フィルの演奏会を堪能した晩となった。
スタンディング・オーベーションで、拍手が鳴り止まなかった。


やはりワーグナーというのはすごい!
これで日本フィルも一皮剥けた・・・これからも剥ける・・・。
作品が楽員を成長させ、オーケストラを成長させ、指揮者をも成長させるということはあると思う。

そういうば、小澤さんのワーグナー「リング」というのはなかったのは、残念だなあ・・・しかし、ピアノの本庄さんによると、「小澤さんには振れない・・・」とのことなのだが。
小澤さんにオペラを勧めたカラヤンは、オペラを振らなかったら、ヴェルディもワーグナーも知らないで終わってしまう・・・といっていた。。。

ワーグナー自身がライフワークときめ、26年間にわたって作曲しつづけた壮大な作品である。
わたしは「神々の黄昏」が好きだ!