中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾異聞第5回 小澤のボストン響デビューを目にした渡邉康雄さんインタビュー

2015年07月27日 13時49分55秒 | 日記
モーストリークラシック連載の小澤征爾異聞も第五回。

今回はピアニストの渡邉康雄さんのインタビューを載せることができました。

渡邉さんは、父曉雄が指揮者。
芸大付属高校で作曲科、そしてボストンの留学してピアノを学んだそうです。

そして、ニューイングラインド音楽院在学中に小澤さんのボストン響デビューをきくことになります。
その日は、チケットもぎりの仕事をしていたらしいですよ。

小澤さんが指揮者としてどういうふうに、楽員の心をつかんでいくか、また、小澤さんのそのころの音楽がどのように衝撃的だったかをかたってくれました。

お育ちのよさも、インタビューで随所に感じられました。
それはやはり正直で、率直で、性格がよい、というところです。
祖父は、自民党創立時の第一代総裁です。
ですから、従兄弟に鳩山邦夫元首相などがいるわけで・・・。
そのなかで、音楽の道を選んだのは、やはりお父様の影響・・・「だって音楽やるしかないでしょう」というわけです。

小澤さんの日本デビューは日本フィル。そのときの指揮者が曉雄さんですから、そちらからも小澤さんのお話をきいているようですし、皇室での室内楽などにも、よくいってらしたようです。

小澤さんって、そういう皇室などでも、まったく普通と同じようで。。。
「え、おれ、指揮するの?きょうはうまい飯たべられるとだけおもってきたのに」___なんていうことも平気でおっしゃるかただそうです。
天皇直訴は、しっていたけど、そういう口のききかたをするかただったのですね。
よほど民主主義的感覚が発達しているというか・・・。

朝比奈千足さん、オーストラリアの叙勲パーティー

2015年07月14日 15時17分26秒 | 日記
朝比奈隆御大のご長男である朝比奈千足さんが、オーストラリアに対する長年の功績が認められ、勲章を受けられました。

ごく親しい方々が集う受賞パーティーにお招きをうけ、行って参りました!

わたしが評伝を書いた朝比奈隆さん。そのときに率直なお話を御聴き出来たことは、この評伝が評価をいただくことにもつながったとおもいます。(2009年、織田作之助賞大賞をいただきました)

ちくちくと胸が痛むような出生だった朝比奈隆さん。

取材をしていても、お母様のお話がなかなかきけず、おかしいなあ・・・とおもいつつ。
「うちは墓が二つあるんだよ」
などと、おっしゃって、菩提寺まで教えていただき、お訪ねしたり・・・。

なにか秘密がある・・・・。

そういう感じを、千足さんも、子供のころから抱いていたといいます。
そして、慶應を卒業して、ハンブルクにクラリネットと指揮のために留学。

そのとき、お父様から明かされた真実。

でも、わたしは思いました。偉大な仕事を成し遂げた人物って、かならず子供のころに苦しい時期がある、若いときに苦いことがある・・・と。
朝比奈隆さんが、あれほど音楽に情熱をかたむけたのも、アイデンティティーをもとめたからでしょう。
「オーケストラ、それは我なり朝比奈隆、四つの試練」

読んでみてください。

それに御大が晩年うちこんだブルックナー。
この日、かつて黛敏郎が司会をつとめていたときの「題名のない音楽会」を、元テレビ朝日の担当ディレクターが映し出しました。朝比奈千足さんが、登場した日のものです。
そこで、黛さんが、「あなたはこのごろブルックナーをさかんに演奏会でとりあげているけれど、それに原典版なんですよね」

そうです。ブルックナーは、千足さんが帰国した演奏会でとりあげられ、まだそのころブルックーナーを指揮する人は日本にはいなくて・・・・それをお父様は、すっかりいただいてしまったというわけだった??・

「千足さんがもちこんだなによりの証拠ですね」
 と、わたしがいうと、「こんなの撮ってたんだね。自分ではすっかり忘れていたよ」
 と千足さん。

わたしには、「渡邉康雄さんも取材していたほうがいいよ。曉雄さんのことあるからね」
おふたりは、大指揮者の息子という関係で?、ずっと交流をしているのだとか、と。

なんと、なんと、その前日に、わたしはピアニストの康雄さんのご自宅にお電話をして、取材を申し込んでいたのでした。


千足さんは、オーストラリアに移住することも考えているそうです。地元のオーケストラを日本の国内大演奏旅行につれてきたり、あちらの生活は、ほんとうに素晴らしいようです。

この日は、かつての慶應時代、ワグネルのオーケストラのご友人や、マネージメントのかた、オーストラリアやドイツ留学中のお知り合い、テレビ朝日関係者など、和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。わたしは、取材をさせていただいたのと、慶應音楽三田会の関係もありました。

天国のお父様も、きっと喜んでいらっしゃるでしょう。

二次会は、若輩のわたしは、ご遠慮させていただきましたが、千足さんのおくさまから、オーストラリアのおいしいチョコレートをいただき、音楽三田会会長の作曲家、小森さんとパーティーを後にしました。
小森さんは、広尾在住のはず。ごいっしょの方向なら、タクシー相乗りとおもっていたのですが、なんと、広尾から中目黒に引っ越しされたとか。
ううう、広尾は、坂が多くて、タクシーたくさんとおっているから、すぐにのってしまう。家族みなでそんなことをしていたら、月に10マンタクシー代がかかってしまって・・・という理由だそうでございます。

むむむ、わたしもつい、タクシーをつかってしまい、むむむ、とおもっている日々なのでございます。



小澤征爾さんと日本フィルハーモニーの問題 本荘玲子さんの証言

2015年07月06日 12時16分51秒 | 日記
「モーストリー・クラシック」の「小澤征爾異聞」の連載が第5回を迎えました。

この号では、小澤征爾さんと、日本フィルハーモニーの問題をさぐります。

小澤さんが日本のオーケストラえ、初めてポストを得たのは、日本フィルの副指揮者としてでした。

渡邉曉雄さんが創立指揮者で、彼のアシスタントだったのです。

その後、指揮者としてコンクールなどを獲得して、華々しく日本にも帰国するのですが、N響と問題をおこします。

そのとき、小澤さんを励ましたのも、日本フィル。

いつも仲間のような存在でした。

渡邉曉雄さんが退くと、小澤さんが首席指揮者になります。

そして、今度は・・・・・????

小澤さんの日本フィルとの関係は、その後、小澤さんが世界的活躍をするようになってからも、おこなった興味深いことがつぎつぎとおこります。

日本フィルも、「1に日フィル、2に桐朋、3、4がなくて、5にN響」といわれたと、本荘玲子さんが証言してくれました。
本荘さんも、日本フィルにエキストラとしていっていました。