中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

井口基成伝 鍵盤の血脈 第二回・・・井口一族の消息、姉弟も、愛子先生のご子息も、ああ、いまは。

2016年01月27日 16時59分15秒 | 日記
毎年、年賀状がなかなか書けなくなりました。

怠惰というのもあるのですが、書いている仕事をしているので、オフのときはあまり書きたくない・・・というのもあって。

でも今年は、どうしても書かなくてはいけない状況となりました。
「モーストリー・クラシック」の連載、井口基成伝が始まったからです。

連載第一回の最後のところにも書きましたが、これはもうずうーーーーーーーーと長年温めてきたテーマでした。

井口家ご一同さまには、ほんとうにお世話になったのです。たださまざまな事情があって、出版にいたらないこととなり・・・・。

で、ほんとうに久方ぶりに、井口基成伝のためにファイルした名刺ブックを開きました。

唯一、女優の井口恭子さんとは毎年年賀状のやりとりがあって、数年前までは彼女の舞台などをときどき見にいったりしていたのでしたが、このところすっかりご無沙汰となっていたのでした。

連載第二回には、彼女のお父様、つまり井口基成の弟さんの証言も出てきます。
おばさまの証言も出てきます。
いとこのかたの証言も出てきます。

みなさま、お元気なのでしょうか?

基成先生のご長男は、かつて東京工業大学の教授をしてらして、インタビューは同大学の教授室でした。
その後、筑波大学にいらしたということですが、ご自宅のご住所を教えていただいてなかったのです。

「HANAKO物語」は二年前に出版された本で、80年代創刊時の編集長が書いたものですが、なんとこのなかに、基成先生の次男が登場していました。
体型がそっくりだったとのこと。
三軒茶屋にそれは、それは凝りに凝った酒をおいたバーを開いていたようです。

ほかにお嬢様がたもいらっしゃいます。

そういう、かつてインタビューさせていただいた方々に、お年賀状を出したのです。

その結果、そのまま返ってきてしまった年賀状もあって、わたしは、ど、どうしたらいいのか!、と思い悩んだ次第です。

基成は誕生したときには、家で「もとしげ」と呼ばれていた、そんな話もご姉弟から聞いたものでした。

東芝につとめていた基成の妹、愛子先生・・・中村紘子はじめ錚々たるピアニストを育てた・・・のご長男も、前立腺癌をわずらわれて、亡くなってしまいました。祈

遅すぎた・・・遅すぎたのです。


井口基成伝はじまるのです

2016年01月12日 11時01分31秒 | 日記
モーストリークラシックに、連載した「小澤征爾異聞」。
これが終わりました。
というか、本当は、同誌のエハラ編集長は、じつは、じつは、井口基成伝を書いてほしいといってきたのでした。
井口伝については、おおお、何年前になるのでしょうか?

数えるのも怖いほど、むかーーーーしから、取材をしていて、それが、まずは井口家の事情で、出版はちょっと先にしてくれ、とご親戚筋からいわれ、そのあと、今度は出版社の事情であとにまわされーーーー先に朝比奈伝でしょう。朝比奈さんがご存命なのだから、ということでーーーーといろいろな事情でのびてきたという経緯があります。

現在、わたしめは、小澤征爾伝を執筆中で、とても井口基成伝に頭がいかない・・・・!
と、申し上げると、むむむ、それじゃ、先に小澤さんいきますか・・・・・ということになり、連載がすぐに始まったという次第です。

この小澤征爾伝は、今年、中央公論より、タイトルを変えて出版予定です。

この小澤伝が終わるや、「では来月から井口伝、いいですね。おねがいします」
とエハラ編集長!
ええええ!!!
わたしの小さい仕事部屋。
そこには小澤サン関係の資料が散乱。
ここに井口先生資料をブレンド・・・・。もう、、、、ごった煮状態の仕事部屋です。

でも、なんとか始まりました。
第一回の書き出し。。。プロローグ。
単行本のときには、プロローグを最後に書くわたしは、七転八倒でしたよ。

そして、第二回。かつて使っていたワープロに書いた原稿など・・・も出てきまして、井口さんとの長ーい、おつきあいが思い起こされたのでした。

関係者のかたがた、お待たせしました。
井口家のご親戚ご一同も、ご協力いただきました。なかにはご逝去されたかたもいて、胸が痛みます。今後ともよろしくおねがいします。