中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

中丸三千繪コンサートに井上道義さん

2017年06月22日 10時12分10秒 | 日記
紀尾井ホールで、三千繪のリサイタルがあった。ふた見ると、井上道義さんがきている。
妹のリサイタルにいらっしゃるのは、久しぶりではないか!
「道義さん、どうして? みちえから連絡がいったんですか?」
「いや、こっちから連絡したの。どうしてるかな、と思って」
 
わたしは、小沢征爾さんの伝記を執筆中で、道義さんにも取材をして自宅を訪ねている。マンションの一階の部屋は、そのマンションの一階すべてを占領しているような広い部屋で、庭にでるとプールがあり、そこにアヒルがいた。なんでも、まひるという名前だそうだ。

小澤伝は脱稿寸前になってきて、道義さんにはいちど原稿の確認をとりたいと思っていたところだ。
「京都で講演会をするから、来ない?」
 芸術についてだそうで、これまでだれもいわなかったことをいう・・・という。行きたい!!!

 道義さんは、アバドに才能を見出された人物だ。
 アバドがなくなったとき、小澤さんは朝日のインタビューで、「自己管理がうまいクラウディオなので」治るとおもっていた、とかなんとかいうコメントをよせていたが、産経新聞に載った井上道義の追悼文は、もうすこしアバドがどんな人か、道義さん自身のことをも交えて書かれた心に響くものだった。
 小澤さんはカラヤンやバーンスタインに可愛がられ、ひきあげてもらったが、それと同じことが道義さんにも起こったはずなのだ。

ところが、彼は自分からアバドを離れてしまった。

それは自分は斎藤秀雄とチェリビダッケの弟子と自認していて、アバド・・・に、とは思わなかったこと。
アバドの音楽も好きじゃなかった、ことなど。

小澤さんはカラヤンを最後までしっかりと師として仰いでいた。
 
率直な道義さん。
大阪フィルを辞めた理由もたずねてみた。
それはどうやら、自分が思ったことをできない状況にあるから、ということらしい。
大阪フィルは、大阪の補助を京都ほど受けられない。
組合が強く・・・・など。
音楽はお金がかかるものである。
そういうことらしい。

小澤さんですら、原発には大反対らしいのだが、自分で声をあげることはない。
それは企業にスポンサーになってもらわなくてはならない、ということがあるから、とお兄さんの俊夫さんはいっていた。

音楽とお金・・・・。

これはそもそも音楽が王侯貴族のものだった時代から、ワーグナーの時代をへて、かわらないですなあ。



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