中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾異聞ー「モーストリー・クラシック」

2015年05月14日 14時16分39秒 | 日記
「モーストリー・クラシック」の連載も三回となる。月刊といえど、書いたらすぐにまた翌月の準備をするという状態です。

また、周辺取材もすすめていて、先日はミューズ川崎で演奏会をした徳永二男さんのところにいってきました。

演奏会は盛りだくさん。徳永さんのトークも、会場の響きの話からはじまり、またお父様がヴァイオリニストだった話も加わり・・・。

徳永さんのお父さんは、九州の八女生まれだという。その後東京音楽学校から、東京交響楽団にはいり、徳永さんは、ヴァイオリンが涙か汗かわからないくらい汚れるほど、スパルタでお父様からしごかれたのだという。

斎藤秀雄門下で、斎藤からもこっぴどく叱られたはずです。
いえ、ご本人も、楽屋にお訪ねするとそういってらっしゃいました。

演奏はさすが、長年N響のコンサートマスターをつとめただけあって、・・・・というか、斎藤秀雄が認めた才能・・・だから、技巧的にも素晴らしい。ただけっこう大胆で、細かいことは気にしないというタイプかな、という演奏でした。

そういえば、お兄さんのチェロの徳永兼一郎さん(N響首席チェリスト)も、だいぶ以前に大腸がんで以前になくなってしまったけれど、そういうかたでした。
斎藤秀雄伝の取材のときに、御聴きした話によると・・・
「学生のとき、近くの高校生たちとけんかをして停学になったことがあっった。ほかの先生は学校のためにならねえ、とかいったけど、斎藤先生だけは、停学になって暇だったら、チェロやれ、といった。遅刻以外、音楽以外で先生に怒られたことはない」
と面白いお話を披露してくれた。

もっとも、その音楽のこころは、斎藤からしっかりと受け継いでいて、こうも話してくれた。
「歌えといわれても、自分ではやっているつもりでも、表現として現れてこないことがあるんです。その気分だけなって錯覚をおこすんです。先生の情熱は確かに激しく、『浄夜』にはそれが出ている。先生の「浄夜』は官能的で感情が豊かだった。
 感情が入るといい加減なテンポにもっていくことが多いけれぼ、テンポにも厳しかった。N響では最近まで先生がボイングを書いた楽譜をつかっていたんですよね。先生のは色鉛筆をつかっているし、消した上にまた書いてあったり、譜面はぐちゃぐちゃだからわかる。N響にはすばらしい指揮者がたくさんきますが、解釈で先生とおなじことをいう。懐かしいな、これ先生がよくいってたな、と思うんです。たとえば、ブラームスの三連音符とほかの作曲家のそれとは違うとか。感情、フィーリングでやるのは危険なんです」
 
兼一郎さん、いいお話ししてくれたな・・・・といま、そのページをくっておもいました。
屈託のないお人柄。これって徳永兄弟の特色なのですね。
そうそう、兄弟でN響といえば、堀伝、了介兄弟も。あちらも、屈託ない、性格が好ましい方々。オーケストラって、やはり首席ともなると、人柄というのが大切なんだなあ・・・・N響はその辺をみて採用したのかな・・・と理事長の有馬大五郎さんのことにも思いをはせる私。


一方で有馬さんは、小澤さんのことはどうおもっていたのなあ・・・とおもいます。


「日本航空一期生」関連では、鷹司さんの会のときの集合写真を、鶴丸会のかたからおくっていただきました。


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