Deep Talker by AQ

AQの徒然Part2です。

2013-02-05 01:50:26 | 日記
哀しい…


真実を見極める力の無さ…に愕然とし

読解力の無さにともなった感情的に仕分けする思考法に

思わず嫌悪いだき その反動で再び自身を攻める自己



疲れ…観得ない疲れ…

それは、この私を蝕んでゆく

物理的疾患より脅威を増して破壊的な猛威をふる



病で死を迎えるのか

それ以前に他の形で失われいくのか?

今は漠然とし 何かが目前を流れてゆく

memo8

2013-02-05 01:33:16 | 日記
「自己の内側」


不安に打ち震え 渇望と嫌悪で混沌としている。

愛と注目を求めながらも 不幸の終止符となるべき「死」への恐怖に

絶えずおののいている。



この「混沌とした不安」を抑制したり 否定したり 軽蔑したりするなら

現実を完全に見失う事になってしまう。

その試み自体が「混沌とした不安」の一つにすぎないからだ。



混沌とした不安自体は 雨とか ハエとか 病気と同様に

宇宙を構成する一部である。


それを聖なるものと見なしたからと言って それが消滅するわけでは無い。

逆にそれは 心の安らぎをもたらし 

善と悪が対立する精神分裂症的な二分法から開放する。



「無為」=力まず つくらず



物事は作られるものでは無く 内側から生じ 内から外へと

自然に形を成してゆく。



人は自然の外に在る 切り離された存在では無く

世界そのものの必要不可欠なプロセスの中に在る「存在」である。


memo7

2013-02-05 01:02:28 | 日記
人類が憤慨と不満に覆われたものになってしまうのは

死・苦痛・恐怖・飢えなど言う事実があるからでは無い。


狂っているのは これからの現実に直面すると言う焦り うろたえがのた打ち回り 

自分をその経験から抜け出させようとしてしまうところにある。


人類は、「私」は自分の体験から切り離されてると考えつつも 混乱と苦悩に巻き込まれてしまう。

そのため 体験を自覚する事もできず その経験を消化する可能性も失ってしまう。


この瞬間を理解するには 「私」と言う自分自身をそこから切り離してはならない。

全存在をかけて それを自覚する必要がある。


ところが誰も 十分間呼吸を止めようとはしないように

これは絶対にしなければならない と言うたぐいのものでは無いしている。 


…がしかし、現実には それが自分にできる唯一の事である。

それ以外の事は 全て狂気の沙汰に等しい 不可能な企てなのだ。 

                    アラン・ワッツ