「僕がビルを買ったワケ」blog

現・「新宿44ファンタジータワー」支配人のブログです。
blogは支配人になるもっと昔から 2007年スタート

「死刑裁判の現場〜ある検事と死刑囚の44年」のコメント欄でのやりとり

2018-09-02 15:48:24 | Weblog
(私)
そもそも死は罰なのかな?だとすれば被害者も罰を受けた事になるけど。寿命尽きるまで、反省の日々を送らせる、それが本当の罰ではないでしょうか?

(相手)
最悪な刑罰による重犯罪の抑止、被害者遺族などの感情における仇討ち的な刑、反省を前提としての更生、もちろん拷問に値する強制懲役を容認できる世の中ではない、世界基準に追随するのが正しいとも言いきれない…難しいですね…だからこそ議論しなければならないと思います。

(私)
なるほど、拷問に値する強制懲役を容認できる世の中ではない、これで納得。しかし、死刑は安楽死みないなもの。余程不治の病で苦しんでる人にさえ安楽死を許さないのに、なぜあっさり殺してやるのだ?
足立区の女子高生ドラム缶殺人なんて、どれだけむごい拷問の末殺されたか。いっそあっさり殺してくれと思っただろうに。生き地獄を味わった被害者を想うと足が震えてくる。しかも少年法に守らられるなんて最悪の結末。これじゃ抑止も何もあったもんじゃない。未成年なら何をしてもいいと宣伝しただけ。死よりも恐ろしいのは半殺しです。半殺しの状態で一生生かしてはいかがでしょうか?そうすれば長期にわたり拷問する必要は無くなります。男の場合、男の最も原動力である局部を切断し、両手両足を切断し、それでも殺さず最新の医療で生かし続ける。絶望の中、寿命尽きるまで生き続ける。これが生涯かけての反省です。どうでしょう、死刑よりも恐ろしいでしょう?死刑が廃止されても、十分抑止に繋がると思います。

(相手)
安楽死の話しはやはり死に値する野蛮な懲役や2?3年で重度の拘禁症になるとされる劣悪な禁固ありきと考えます
実際は被害者遺族の心は何をしても晴れません
私の考えは極論ですが死刑に限らず交通の反則金から全て防犯(犯罪抑止)にあると思います
しかし殺人率と死刑の有無も警察力や貧富などが加味されていないので微妙
思うのは、私も含め誰かが利己的な理由で人を殺めると想像し、死刑があるから踏み止まる、終身刑ならば殺る、どうだろうか?やはりわからない…

(私)
私なら死刑の方がむしろやる。終身刑の方が恐ろしい。死は、いずれ誰もが経験せねばならないことであって、けして罰ではない。皆、普段から死を意識せず生きている(つまり一生死なないくらいの考えで)だから極端に死を恐れる。死は、いうなれば無意識。では無意識とは?つまり分かりやすく言えば寝ている時の状態。つまり死そのものは簡単に言えば寝てるのと同じで、苦しみも無ければ悲しみもない、つまり“無” ということは、本当に恐れているのは死そのものではなく、死ぬ瞬間の苦しみと、この世の幸せ(富など)を失う事への恐れ。殺人を犯す人間は、概ね後者ではない。では、一瞬の我慢さえ出来れば死など怖くない。それとも天国と地獄があって、地獄に行きたくないから?なんて確証のない空想が抑止になど繋がる筈もない。要は何が言いたいか、失うものも無い、半ばやけくその殺人者にとって死などむしろ怖くないってこと。無意識なんだから。それより意識がある中で、永遠に続く苦しみの方がよほど辛い。

(相手)
たしかに、取り返しのつかない誤ちの対価に絶望感を設けるならば死こそが極刑とは言えませんね
色々な方々がいるのであえて回りくどい言い方にしますが、加害者にはどんな罪を命じても被害者及び被害者遺族に対する贖罪は無いとして執行部官の精神的負担も考慮した結論を出す時期にきているのですかね?
私のようなクズな親の元に生まれた小学生の子どもも成人判例で…話しがずれましたm(__)m

(私)
議論の必要があると言うなら、死刑の前に、死そのものをきちんと考える必要がありますね。学校でも教わらない、どんな偉い人でも知らない、それが死。だって、この世は生きてる人だけ(死の経験が無い人)で構成されているのだから。死を知らないのに、死を罰だと断言すること自体が恐ろしい。社会に出た事のない学生が社会を語るようなもんで、浅知恵と想像のとても確証のない世界。
私はこう思いますよ、たとえば歯医者で麻酔をせずに治療したらどうなりますか?激痛に耐えねばなりませんよね、それが償いです。死は、麻酔をするようなもんです。一度麻酔をしてしまえば、殴ろうが切り刻もうが痛みはありません。大切なのは、生きてこそ、痛みを覚える、という事です。つまりは生きてこそ償わせることが出来るのです。かと言って、卑劣な殺人者の人権だ何だと言うつもりはありませんよ、きちんと何らかの形で生き地獄を一生味わって頂きます。
あとは、殺人の場合、被害者も死んでいる訳で。遺族は、被害者は神様に認められ、人間界を卒業し天国に招かれた、そう思いたい筈。それなのに、その同じ場所に加害者を送り込むのはいかがなものか?加害者は地獄に行くから良いとでも?そんな確証のない空想に死後を委ねるのはリスクが高すぎる。もしも天国も地獄も存在しなかったらどうする?
人間、不治の病になって、初めて死を意識する。しかし実はそれじゃちょっと遅い気がします。今、元気な人も、普段から少しは考えてほしいもんです。(私は宗教家ではありません)

(相手)
自分もそうだと思います。制度の不備という話ならば、
裁判官や検事、弁護士の能力も個人差があり、そのために量刑にバラ
つきが出てしまうのは避けようがない。実質当事者主義そのものに
限界があることになるけど、そのことはここでは問題にしていない。
この事件というより、番組は死刑囚と個人的つながりができた検事が
初めて人を死刑台に送った心の葛藤に悩んでいる、という感傷の話です
自分から制度に疑問をもって死刑囚に面会して検証したわけではなく、
私信をもらってその人に興味を持ち、情がからんだというような話です


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。