ナナカゴ日記 ただいま幸せ60代

60代。突発性難聴。備忘録。呟き。まだまだスーパーパートw

ひがんでみても

2019年02月26日 | スーパーパートの仕事




きっと
わたしは日本では底辺の人間だから、底辺ではない人たちからは可哀想にと思われているかもしれないと思うことがある。
ひがみ?(笑)


60代なってもスーパーで働いている。
替えの効く、わたしではないくとも良い仕事に、それでも更にしがみついている。

お金がほしいからもある。

でもそれだけではない。

時間があるからだ。
健康であるからだ。


でもきっともっと裕福ならは、時間があって健康なら旅行や趣味に興じて時間を潰せることだろうな。


わたしにはそういう選択肢が無いというか、考える気持ちがあまり無いかもしれない。

友達も居ない人間だから、スーパーに身を置いて人と関わりたいのだ。
社会の一員になったつもりで仕事がしたいのだ。
片隅で良いから。

仕事をすることで自分の人生を歩いていると確信を持ちたい。勘違いだろうか?w
思いたいだけ?


本当は不安なのだ。


わたしは家に居ると限りなく怠惰で終わるからだ。
スポーツなどしないだろう。
家に居ると体を動かしたくないくらいだ。
休みが続くと食欲も落ち、内蔵も活動を弱め、体を動かさないから筋力も無くなってくる。
そもそも体質が無筋力体質で内蔵が下がっていて胃下垂。筋肉も着かない体質。太れない。動かないと弱って行くようだ。

眠れなくなり、精神も病んでしまうのではないかとさえ思ってみたり。


こういうことが怖いのだ。


仕事に行くという日は気持ちも体もシャンとする。
体を動かすからお腹も空く。ご飯が美味しい。


こんなことのために仕事をしているのかもしれない。とさえ思う。



わたしは
人に誇れるものなど何も持ってはいない。
頭脳明晰ではないから難しいことも考えられないし分からない。


スーパーの野菜を高いと思いながら、家計を気にしながらケチリながら献立を考え料理をしている。
安くても美味しいと思えるものを見つけると嬉しい。

自分で料理をしてたまたま美味しく出来ると嬉しい。



この暮らしの小さな喜びが生きている張り合いだったりすると最近つくづく思う。


そういう生き方しか出来ないようだ。

必死で生きなければならなかった日々がわたしにすっかり染み付いて、そんなに必死にならなくても良くなった今も、体のリズムが体内時計がそう動けと命じている気がする。


体が動くうち、仕事をさせてもらえるうち、止まりたくない。

人様に迷惑を掛けない程度に。


あ、先に書いた
「ひがみ」は撤回(笑)
ひがんだらバチが当たるもの!ありがたいことに
健康なのだから。
止まらなければ今のところ健康であるようだから。

でもこの健康もいつまでも続かないし、明日終わるかもしれない。
誰も先など分からない。


60代になって良かったことは、もうジタバタしても仕方がないと思えるようになったことだ。

不安ではあっても。