ななとぽちと猫たち

夫婦と猫達との日々

お年始状のこと。

2008年01月11日 | Weblog
祖父の喪中という事で今年は年賀状を出さなかった。
最初は、祖父とは一緒に住んでいたわけでないから
ダンナの方の友人関係は年賀状出していいのかなーなんて思ってた。
私もよくわからなくていたから。
祖父が亡くなってしばらくしてそんな話を母にしたら
そうしたら(出したら)いいべって言うから、じゃーそうするべと思い
母が泊まりに来た日
母を車に乗せて年賀状買いに郵便局へ向ったわけだ。
ところが、郵便局近づくにつれ、母がなんだかんだ言い出してきた。
年賀状を出す事が納得いかなくなったのでしょう。
オレの親(じーちゃん)だぞと。
そーか、わかった!ぽち君はこれから他人なんだな!と。
そこでずっと言い合いになり、
私も、そこまで言われたらもう出さない!と郵便局通り過ぎた。
そしたら、
なんだ、買わないのか!と言ってきた。
(なんでそーいう事いうんだ)
もういらねーわ!と鼻息荒く言ったら
そーだ、出すな!出さなくていいんだ!
そう断言してきたので言い合いは終了した。

確かに、一緒に住んでいない祖父とはいえ、まだ49日過ぎてないものね。
言い合いの後でそのことを言われて、そーだなと納得したのですよ。
じーちゃんごめんなさいね。

とはいえ、欠礼のハガキも出していなかったものだから。
例年、年賀状もギリギリだったものだから…。
失礼ですよね。
今回は、年賀状頂いた方には寒中見舞いで送る事にいたします。

丸い方が

2007年12月30日 | Weblog
入って貰えないとただ場所取るだけよ

もう一つ買ったら、まーちゃんはこっちの方が好きみたい

丸くて安定感悪いんで、コロコロっとすぐ横に倒れてしまう。
その、倒れた状態の方が体に丸くフィットして寝心地もよいみたい。
今日も仕事から帰ったら中にいた

ちゃーぼうは入るよりも、上から押し潰してヘコましてる事の方が多い。

寝るより食って遊ぶんにゃ!なのだろうね

猫ふとん

2007年12月28日 | Weblog
猫用ふとんを買ってきたよ!
保温ぶとんだって。
夜は私の布団でぬくぬく寝てるけど
留守番してる時寒いだろうなーと思って。
うちは寒いから

この中で二匹が丸まってスヤスヤと
なーんて買う時にその姿を想像しつつ
うふふふ

が!
ちゃーぼう太めだから、二匹入るとちょっとキツそ~です

あれ?な事

2007年12月24日 | Weblog
シャウエッセンの本数が減ってた
あれー?いつから減ってたの?
今まで気付かなかったのはナゼ。

焼き豚の内容量が減ってたのは知ってましたよ。
焼き豚とか、めったに買おうと『すら』思わない。
自分で買ってまで食べたい物ではない
あれは贈り物でしょう?実際に贈った事は、多分ないけれど。
そんな焼き豚をチャーハンに入れるのに、たまたま買おうかなーとしてた時でした
1つ1つ形が違いますだけでは済まされない、あきらかに大きさが違う焼き豚が同じスペースに並んでいたのです。
しかも、その2つしかない。

こんなにも違うのに同じ値段なの?
そんな訳ないよね。この価格表示はどっちの?
どっちを買えばよいのか、小さい方はこれよりもっと安いのかも
が、2つのバーコードを確かめたら同じ物でした。

そしたら、今この大きい方を買わないと損じゃないって気分ですよね。
損どころか
買う時には、最後の貴重な1個を買えて得したなーです。
店出る時には満足までしてしまって。


実際、ちっとも得してないのによ


見た夢の記録

2007年12月21日 | Weblog
今朝はいっぱい夢見たよ。

こんな夢

前の職場の社長の息子が、仕事紹介してやるって言ってきた。
もう決まってて、こっちは断れない状況になってるんですよ。
せっかく今の職場で長く働こうと思ってたのにですよ。

紹介された職場は喫茶店で、だけど普通の喫茶店ではない。あやしい客しかこない。
しかも、うちから通うのには遠い場所。
いいとこなし。
ところが、明日からそこで働くって時になったのに、店が潰れるようだって聞かされるんです。
だったら行く必要なさそうだけど、一応約束だから行くわたし。
店の前にはナヨっとした男が立ってました。
私を待ってたようで、一応来てよかったと思う。
男は、店はもう閉めるから退職金ですって言いながら、千円札の束をわたしに渡そうとした。
働いてもいないのに、いらないですって断るわたし。
それよりも、せっかく仕事辞めてきたのにどうしたらいいの??と
すごく途方にくれてしまった。

あとは、自分が死を待つ夢。
火葬場のような殺風景な場所。周りにも人がいる。
わたしはその日死ぬことになってて、皆でただひっそりとその時を待ってるのです。
椅子に座って、その時はいつ来るのだろうかと冷静にその時を待っているわたし。
特別悲しくもなく、辛いわけでもない。深くも考えずそれを受け入れている。
もう、わたしが死んだ後の準備も出来ています。
それを見て、わたしにはもう明日は来ない、存在もしていないんだなと思う。


前の職場の男性が電話が掛けてきてくれた。
ありがとうと最後のお別れを言った。その時だけちょっと泣いた。


多分良い前兆の夢だと思うよ。そう思ってたら幸せだから。

私を忘れないで

2007年12月11日 | Weblog
昨日じーちゃんの初七日で母の実家に行ったのだ(母と)

残されたばーちゃんは、私にこんな事言ってた。
電気消したらじっちは出てきてくれんのがなーと思ったけど
出てきてくれなかったわい
みたいな事を。
それを聞いて私ちょっとウルウルした。
で、他にもずいぶん私に話し掛けてきていたんだよ。

その後ばーちゃんは、ちょっと横になってくるつって、別の部屋に行った。

一眠りして戻って来た時に、
伯母さんや母に向ってこの人は誰だい??って言いながら
私のことを指さしたんですよ。

教えて貰って、私だって気づいたようだけど
ショックだったよ。
ばーちゃんボケちゃうのかと思って。
あの年で、自分の体も思うようにいかないってのに、
じーちゃんの面倒本当に良くみてたから
大変だったろうけど、それがあるからむしろ?今までしっかりしていられたのかなって
そう思う部分もあるんで
じーちゃんがいなくなって、急にガクっときたらどうしようと心配になる。

もしそうなったら寂しい。


父の方の実家で、じーちゃんが先に亡くなった時は
今は亡きばーちゃんがすでに認知症状態だった。
じーちゃんが死んだ事もすぐ忘れてしまってた。

その時は父の実家で葬儀をしたから、家の周りにたくさんの花環が並べられてた。
ばーちゃんは、並んでる花環を見ては
誰か死んだのか?と人に聞き、「じーちゃんが死んだんだよ」って誰かが言うと

「じーが死んだのか!じーが死んだのか!」と驚き、その後オイオイ泣くんだよ。
ひとしきり泣いて疲れて、しばらくすると
また、誰かの葬式か?と言い

それが何度も何度も繰り返された。

私ら子供の頃は皆元気だったのに、身近な人がどんどん老いていくのが寂しい。
いずれ誰しも年をとるんだもんね。
なんだかそーいうの寂しくって。

おねしょの罠

2007年12月05日 | Weblog
おねしょの罠とは、私が尿意を我慢し続けた状態で寝ている時に
夢の中にて仕掛けられる、おねしょをさせよう、させようとする
どんだけしつこいのっていう罠です。
子供の時なら易々と引っかかっていそうな
最初のうちは、夢の中でトイレを探すものの
絶対に変なトイレしか出てこず
簡単には引っかかっからなかった。

例えば、仕切りが全くなく、広い空間に便器だけがズラリと並んでいたり
トイレと言うよりも、風呂?だったり

そこでするにはかなり勇気が必要。
私、さすがにそこには出来ないからと我慢我慢。


夢の中で勇気持つと負ける

私、ある時までは夢の中でした時には、その時点でもう終わりと思ってました。
いくら大人とはいえ、間違いもあるだろうと。

ずっと、毎回変なトイレだったから我慢する事になり、結果助かってたんだと
そう思っていた

が!ある時、ついに普通のトイレが夢に出てきてしまった

普通のトイレなら、何の迷いもなく入ってしまいます

そこに入らない理由なんて一つもありません

とうとう私は夢の中でスッキリしてしまう事になります

夢でスッキリしたら負けです

が、まだ負けてはなかった
今スッキリしたばかりなのに、またトイレ行きたい
なぜ?
私は夢の中で何度もトイレに入った
延々と

スッキリしたつもりだけを味わった

つもりだけを味わいつつ、ずっと尿意を我慢し根性で寝ていた。

こんなの誰も褒めてはくれないが、偉かった
というより、寝ながらえらい目にあっていた。

で、ようやく起きて本当にスッキリ出来た時に、思った

大人はそう易々とおねしょはしないんだなと。

だから、勇気出して大丈夫なんだと。


それよりも
私の場合、体に悪いよ。


大腸検査

2007年11月29日 | Weblog
昨日が空腹感で一番辛かった
ぽちが普通に食べてるの見ながら
こんなのが数日続いたら、まず体に力が入らなくなるけれど、
そんな事より精神を病むよなと思った。
昨日の夜下剤服用して寝たのに
夜中全くトイレに行きたくもならず、朝起きてからようやく。

で、朝から病院へ
テレビを見ながら
9時から2時間半かけて、ラムネっぽい味のニフレックを飲み
1リットル飲んだあたりで、ようやくトイレ行こうかなって感じになってくる。
お尻押さえながら激しく催すのかと勝手に想像してたが

どちらかというと、水のせせらぎのような静かな催し方だった

何度か水状のを出しに行くうち
トイレットペーパーがあまり柔らかくなかった為、お尻がヒリヒリ痛くなった
一緒にいたご婦人も、あ~ケツが痛い、とぼやいた

午後1時半頃、呼ばれ
腕に痛い注射をし、ようやく検査開始
車で行ったので麻酔は無しだったが、麻酔しなくとも問題なし
全く痛くはなかった。
ただ嫌な感じはあるけれど。
カメラが最後まで入りきっていく過程が妙な感じ
お腹の中で、エイリアンうごめいているみたいな
入りきったら、後は抜きながら空気入れつつ見ていくから
そこはもう楽だ

モニターに写し出される自分の腸を、じっくりと見た。
ピンクでやたらヒダヒダして、ピンクの表面はピカピカのつるんつるん
腸の中って結構キレイなもんなんだなぁ
そして、もう抜けるって最期のあたりで、

私、確認しましたよ!

痔がありますねと先生言うから

はい、痔ですねと私も言った

私が見ても、グルッと一周鬱血してたのがわかった
こりゃまた痛そうだわな~なんて思ったとこで

大腸は心配ないですね~で終わりました。

先生が上手で良かった。

もしかして

2007年11月27日 | Weblog
検査の前の食事について

私が貰った用紙には、
摂取を控える食品のとこに、絶対に卵って書いてあるんだけどな。

本当は食べて良かったのかもしれない。
調べたら、他のとこでは卵は食べてよいって書いあるももの。

早くに知ってたら食べてたのに。

今さら、もう遅いんだよ

飢え

2007年11月27日 | Weblog
幼なじみが、『ホームレス中学生』を職場の人に借りて読んだらしくて
面白いんだって言う

笑えんの?
いや、笑えるんだけど、泣ける
って言うもんだから、
私も読みたくなって買ってしまったのです

田村少年と兄と姉がアパートで3人暮らしてた時期
家で食べてよいのは1日一膳のご飯のみ。

足りる訳ないのだが、それだけでいかにお腹を満たすかを皆で考える。

その結果が、とにかく噛むという事。
最初はうまくいかないけれど、慣れるとずっと噛んでられるようになるらしい
お米は噛み続けると甘味が増し、やがて味がなくなる
匂いすらしなくなった時をゴールと決めてそこでようやく飲み込む。

ゴールを目指して時間をかけ噛み続けるのだ

しかし、お姉ちゃんゴールに到達しても諦めなかった
無味の状態になってからも噛む事を止めなかったのだ。

お米と自分の可能性を信じて。

ドロドロの無味の状態になって噛みつづける事により
一瞬フワっとお米の味がする瞬間を発見するのだ

それを田村家では『味の向こう側』と呼び
それからは、ゴールのさらに先、
味の向こう側を目指し、何度もそこに行く事となるのだ。


苦しみの中から生み出された奇跡のような発見。


それにしても
カステラが食べたいなぁ。
家にないから余計に食べたい。

飢えを感じる。

明後日は大腸内視鏡検査なのだ
それで昨日から食事制限をしている。

2日続けて夕食はおでんにしてるが、
練り物より私は本当はたまごが一番食べたかった。
たまごは食べてダメみたいで、我慢なのですが。

そんなだから、お腹いっぱいになっても、なんか満たされないのだ。
田村少年達が家でご飯一杯しか食べれなかった状況を考えたら贅沢なんだけど

明日は病院で渡された検査食だけだ。

食べたいものが食べれないってだけでも悲しいのに
お腹一杯食べれないのって、どんだけ辛い事か

私にもわかる
入院時の絶食状態の時は、ベッドの上で1日中食べ物の事だけを考えてしまってた
こんなに食べ物の事考えた事ないって程に
普段あんまり食べない私でもそうなる。
そうなるのだよ。

若い頃の事も思い出した。
家を出てしまい、仕事を見つけるまでは持ってるお金で食べ繋いでたが
もう本当にお金がないって時があった

住むとこはあっただけ良いが。
その時は、ポットに紅茶をいっぱい作り砂糖で甘くしてそれでお腹を満たした。
お腹がちゃぽちゃぽした。

あの時期、お茶碗に山盛りのご飯を、今まさに食べようとしているって夢を何度か見た。
なぜか、いつも食べる寸前に目が覚めた。

飢えは本当につらいのだ。そうなって初めてわかる
食べれる事がどんなに幸せなのか
全然当たり前じゃないのだ。
その事に感謝しなくては

それだけじゃなく、飢えている人がいたら力にもならなくちゃ。
誰も飢えない世の中になるように。