1-2 産後うつはなぜ起こる
「産後うつ」は、共同養育を促進するための生存戦略とわかってきました。産後うつとは、母親が出産後に発症するうつ状態です。不安や孤独を感じやすくなります。重い場合は、乳児を虐待したり、母親自身がノイローゼとなり自殺することさえあります。
下のグラフは、産後1年までに死亡した妊産婦の主な死因を示しています(2015年から2016年の2年間)。これによると、もっとも多いのは自殺で、102人となっており、がんや心疾患などの疾病を上回っています。
厚生労働省の資料をもとに作成
赤ちゃんの誕生はめでたいことです。かといって、お母さんは、毎日幸せいっぱいというわけにはいかないようです
「おっぱいは足りているか」と不安になったり、「なぜ泣くの」と自信をなくしたり、時には「もう赤ちゃんなんか いらない」と窓から投げたいという衝動にかられることも。葛藤の毎日なのです。
その葛藤の原因は「産後うつ」。産後うつの発症割合は、出産・育児に無関係な一般的うつの4倍とか。原因物質は、女性ホルモンのひとつ「エストロゲン」とされています。エストロゲンは、出産を境に急減します。すると不安や孤独を感じやすくなるのです。実際、70%の母親が不安・孤独を感じるという調査結果もあるくらいです(「子育てに関する意識調査報告書」内閣府)。
松沢哲郎氏(京都大学霊長類研究所 教授)によると、チンパンジーは5年間つきっきりで子育てにあたるが、孤独感に苦しまない―といいます。
どうやら、産後うつは霊長類全般の症状ではないようです。むしろ人類が進化の過程で独自に編み出した生存戦略といってよいのではないでしょうか。
産後うつがもたらす不安・孤独感が、母親が誰かを頼るように仕向けるのです。
乳児は生命力が弱いので、子育てを経験浅い母親の「孤育て」にしておくと、丈夫に育たないおそれがあります。しかし、むやみに他者が介入すると加害行為とみなして、子どもを守ろうとする防衛本能が働き、母親が「反撃」にでるかもしれません。サルなど動物の世界では、子どもを抱えた母親に近づくだけでも歯をむいて威嚇するではありませんか。
子育てに限らず、よかれと思ってのアドバイスも、「余計なお世話よ」と反発されることがありますね。あの心理と同じです。
前項で述べたように、人間は集団行動で狩りをして生き延びてきました。狩りは危険なので、亡くなるメンバーも多かったでしょう。グループの規模が小さくなってしまうことは死活問題です。乳児は生命力が弱いですから、リスクヘッジとして、集団で子育てを行っていたはずです。
したがって、皆が子育てに参加できるような仕組みが、遺伝子に刷り込まれても不思議はありません。それが、適時にスイッチが入って発症するのでしょう。その一つが産後うつ。
松沢氏は、共同養育の本質をこう説きます;「人間は進化の過程で必要な時には子供を預けられるようにできている。助けなくして子育てはできないようになっている」。
どこに助けが必要なのかを知らせるのが、産後うつの役目ではないでしょうか。
余談ですが;
人間は、新しい環境に入った直後は無我夢中で気が張っているので、健康状態を保っています。しかし、少し慣れて、ほっと一息ついた頃に風邪をひくなど体調を崩しがちですね。
新米ママたちも出産直後は緊張感でいっぱいですが、少し落ち着いてくると「私の育児は間違っていないかしら」「夫は、仕事にかまけてちっとも育児をシェアしてくれないし、理解すらしてくれない」と不安や不満が募り出す頃です。そんなマイナスの感情が募ると、産後うつになりやすいのではないでしょうか。
ところで、産後うつに限らず、人間の感情は理路整然に説明できるものではありません。「可愛さ余って憎さ百倍」のように相反する感情に転じることがありますし、場合によっては、同時に起こることも。これをアンビバレンスといいます。母親が赤ちゃんに対して「あなたは可愛い」と「あなたのせいで私の自由がなくなった」と相反する感情を同時に抱いたとしても不思議はないのです。
ですから、虐待防止という観点からも、母親が一人きりで子育てをするのは無理があるし、危険でもあるのです。
余談ですが;
愛知県で生後11カ月の三つ子の次男を母親が暴行して死亡させた事件。傷害致死の罪に問われた母親に対し地裁につづき高裁も実刑判決を下しました(2019年9月24日)。
産後うつの本質と多胎児を育てる実態を十分に考慮していない不当な判断といわざるをえません。
くり返しますが、産後うつは共同養育を促し、種の保存をはかるための生存戦略であり、それが、進化の過程で遺伝子に刷り込まれたと理解することができます。
産後うつの他にも、遺伝子に刷り込まれた生存戦略があっても不思議はありません。次項から順次に詳述することにします。
余談ですが;
後掲番組のサイトは、産後うつについて こう伝えています。
なぜそんな一見迷惑な仕組みが体に備わっているのか?その根本原因とも考えられているのが、人類が進化の過程で確立した、「みんなで協力して子育てする」=「共同養育」という独自の子育てスタイルです。人間の母親たちは、今なお本能的に「仲間と共同養育したい」という欲求を感じながら、核家族化が進む現代環境でそれがかなわない。その大きな溝が、いわゆる“ママ友”とつながりたい欲求や、育児中の強い不安・孤独感を生み出していると考えられています。「人類本来の育児」とも言える「共同養育」とはどんなものなのか。番組では、今なおそれが受け継がれている、アフリカ・カメルーンの部族を訪ね、驚きの子育てぶりを目撃しました。
産後うつの一因として、子育てを学ぶ機会が少ないことをあげてもよいでしょう。昔の日本、特に地方では、祖父母だけでなく、親族が寄り合って暮らす大家族が主流でした。そこでは身近に赤ちゃんに接する機会がありました。時には、子どもが子守りを任せられることも。自然に子育てを学習できたのです。ところが、都市化と孤立化が進んでしまった日本では突然母親になってしまうといってもよく、子育てに不安を抱える女性も多いようです。産後うつ・育児ノイローゼの背景にはそういう社会事情もあるのではないでしょうか。この点については後に詳述いたします。
7:27 2019/11/12
参考:
『ヒトの発達の謎を解く』明和政子〔ちくま新書〕
『家族革命前夜』賀茂美則〔集英社〕
『協力と裏切りの生命進化史』市橋伯一〔光文社新書〕
NHKスペシャル「ママたちが非常事態!? ~最新科学で迫るニッポンの子育て~」2016日1月31日放送
https://www.nhk.or.jp/special/mama/qa.html
赤ちゃんはみんなで育てるもの。わかってないのは、日本人だけかもしれない。| ハフポスト
https://www.huffingtonpost.jp/osamu-sakai/mother_b_9128724.htm
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