平群に紀氏神社があると聞き、行って見ることにした。紀氏は紀伊国を地盤とする豪族であり、何故ここに神社があるのだろうか?
長屋王の墓に近く、田園の中にこんもりと林に覆われたところに神社はあった。正確には平群坐紀氏(へぐりにますきし)神社という。創建年は不明だが、8世紀にはその名が文献に見えるらしい。
参道は玉砂利に敷石が拭かれている。右手は社務所兼宮司の居宅らしく、宮司の常駐する神社は平群に2社しかないという。
祭神は天照大神、天児屋(アメノコヤネ)命、都久宿禰、八幡大菩薩の4柱と、何ともチグハグな印象を受ける。
まず、本殿は西向きであり、これでアマテラスが主神というのは無理がある。アメノコヤネは春日神であり、八幡大菩薩に至っては神仏混淆の名残だろうか。
元々は都久宿禰を祭ったのではないのだろうか。都久(つく)はミミズクの古称であり平群木兎とされる。平群、葛城、紀氏は武内宿禰の子とされ、漸くここでリンクが繋がる。
しかし祭神に紀氏は出てこない。何故紀氏神社なのだろうか。
拝殿前は、3つの小屋に囲まれている。座小屋というらしい。左右(南北)の小屋は土間だが、西の小屋は板張りになっており、なんのためにこうなっているのか分からない。
本殿を覗いてみると、階段に菰がかけられていた。
結局、何も分からなかったが、不思議な神社だった。外界から取り残されたという感がある。
神社を出ると、老弱男女20人ぐらいの集団が喋りながら道を歩いていた。何なんだろうか、この地は。