正暦寺(しょうりゃくじ)は、天理市と奈良市の中間辺りを東の山道の終点にある。
昔は大寺だったそうだが、今では一坊しか残っていない。道の両脇には石垣が続き、当時を偲ばせてくれる。
この寺が有名なのは紅葉である。夏にも訪れたが緑紅葉に、さぞ秋は綺麗だろうなと思った。
今回訪れてみるとほぼ紅葉に覆われていた。紅葉というと、あまり大きくならない。根本で直径20cm、高さで4-5mという印象があるが、ここの木は大きい。密集しているので迫力が有る。
11月の中頃から、奈良から臨時バスが出ている。
ところで、奈良では廃寺や規模縮小の寺が多い。石上神社を南に700m行ったところに内山永久寺跡がある。当時は奈良の3大寺院に数えられていたそうだが、現在では池を除き完全に廃棄され、柿畑となっている。
廃仏毀釈の波に飲まれたと書いてあるが、これは政府の政策ではない。政府は明治元年に神仏分離令を出したが、廃仏とは言ってない。寧ろ民衆が積極的に寺を壊し、仏像や経典を廃棄し、または売り払った。
この運動は明治4年まで続いたらしい。
このような短期間で何故蹂躙が容認されたのか、また破壊を免れた寺も多いのか、疑問が残る。
当時、寺は特権階級であった。寺領を有して経済的基盤があり、戸籍を管理していた。そこには賄賂などが横行して腐敗が進んでいたという。それでも、祖先の墓を管理し供養する寺を何故こんな短期間に打ち壊したのか、これは相当、民衆に嫌われていたからだと推測している。
それでも、神仏習合に関係なさそうな、例えば興福寺も、五重塔を薪用に25円で売りに出したとの記録がある。
明治維新は一種異様な時代である。