花田凌鑑

火気利用生産公社新館

昨日深夜からどうしようもない深い悲しみが夕方まで続いた

2009-05-13 00:56:21 | 字訓から

かなし【愛・哀・悲】

どうしようもないようなせつない感情をいう。

いとおしむ気持ちが極度に達した状態から、悲しむ気持ちとなる。

「かなし」という感情は繊細なものであるから、これに当たる適当な字がなく、愛・哀・悲 などが用いられる。

愛(という字)は、後ろに心ひかれて、顧みる人の形。
古音はat'。
蔚 鬱に声が近く、思いが心の中に満ちて、どうしようもない感情をいい、「かなし」の語義と最も近い。

哀は、死者を哀しむ意。

悲は、悲声。
非には否定の意がある。
心のうちにもどかしく、思うにまかせぬことを嘆く意もあり、これも「かなし」の意に近い。


まさにそんな感じ漢字だったなぁ・・・

いまはだいじょうぶかな。



新シリーズ・字訓から090412

2009-04-12 22:46:12 | 字訓から
危機を乗り切るための予言と超予測 井村宏次・著



普段からシンクロニシティが起こりやすい体質というか、
そっち方面にアンテナを張っているということになるのか、
そうなのか、どうなのか・・・

なので、その法則の背後に見え隠れしている、言霊・音霊などにも関心があるわけです。

葉室宮司ーやまとことばー白川文字学を辿っていく中で、
1月には奇跡的な体験をしました。

それは、まさに神とのコラボ。白川さんのいうところの、ほんとうの「遊」であったのかもしれません。

それを、体感できたということで、確かなリアリティーとなっているわけです。

しかも、独りでそれが起こったわけではなく、

別の人にもそれが起こり、同じように体感し、同じように確かなリアリティーとなっているのです。

こんな日本は・・・などと、将来を悲観しがちにならざるを得ないことが次々と起きているこの現代においても、起こるんですね。

もっと神々の世界が身近で、ともにあった時代にうまれた文字や言葉、そして、その背後にある「みえざるリアリティー」を感じる事が出来れば、こんな楽しいことはなかなかないんじゃないのかなぁと思いますね。


白川静の字訓を入手しました。
勉強が一段落したり、寝る前などに読んでいます。

ぱらぱらとめくったり、その日印象に残ったことば、そのときなんとなく浮かんできたことばなどを取り上げながら、書き綴っていくこともしてみようかなぁと、おもいます。

というわけで、その記念すべき第1回目は・・・

かみ【神】についてです。

メモ

神秘的な力をもつ、神聖なものをいう。

すべての自然物や獣畜の類、また雷鳴のようなものも、
神威のものとして神とされた。

髪や上とは異なる語である。

神はもとの字は申であり、電光屈折して走る象形文字。

春雷によって諸蟄が解けて春耕という古俗?

神は自然神であったが、宗周鐘(そうしゅうそう・霊王の時代、前571年 - 前545年頃)に人格神の意に用いている。