花田凌鑑

火気利用生産公社新館

へんな虹がでたようですね

2011-05-31 23:28:25 | Weblog
震災2日前の余震の夕方にへんな虹をみたのですが、今回の画像を見る限り、禍の感じはありません。
さしせまった感覚もいまのところありません。
もう起こってほしくないという思いが強くて冷静な予感ではなくなっている感じもあるので、あまりあてにできません。

仮にその虹がそうだとしたら、あさっての朝要注意です。

消息筋情報みたいなのも耳に入り、今回はすこし気になります。

なにも起こらない事をともに祈りましょう

植樹をした安達太良山も・・・

2011-05-30 00:28:30 | Weblog
台風は土佐沖で進路を急に北に変えたと思ったら消滅してしまいました。


植樹&温泉で2度ほど訪れた、安達太良山のふもとの二本松市。

原発の汚染濃度が比較的高い地域になっています。


とちくるってしまった人が多い中で、この市長さんはまともなようです。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1071


これから多忙になりますが、なにか情報が入りましたら更新したいと思います。


3ヶ月ーあらためてそれぞれ最大限の備えを

2011-05-28 23:28:06 | Weblog
震災から3ヶ月ちかくー

この国難ともいうべき大きな禍に対して、それをどのように受け止めて、この3ヶ月ちかくを過ごされたでしょうか?

目にしたものといえば、隠蔽、虚偽、保身・・・国のトップレベルから庶民までー


これまでの生き方ではだめなんだ・・・反省すべき点は多いに反省し、新しい世界をつくりだしていくー

というような人はほんの少数に過ぎないような気がします。


スマトラ地震の大きな余震は約3ヶ月後に発生したようです。

次にくる大きな揺れで、震度6以下でも壊れるようにつくられている原発たちは果たしてもつのでしょうか?

前回は幸いにも東京の大規模停電、大規模火災は発生していません。


いま、台風が近づいていますが、

台風が去った後に注意が必要かもしれません。

また、台風の進路が大きく変わったところが震源になるという説も巷で存在します。


とある消息筋からも禍のメッセージの報告を受けています。

どうもいまいちな個人的な予感も少しある感じです。


いまいちど、みなさまそれぞれ出来る最大限の備えをすることを願ってやみません。

おすすめの本とお知らせ

2011-05-23 23:51:09 | Weblog
「祈り」についての記事は多くの方にみていただいたようです。ありがとうございます。

これからさらに世界は激動するのでしょうか?

情報収集に時間をかけたいところですが、

来月より仕事がさらに多忙となることが決まってしまったので、当ブログの更新も月1~2ヶ月に1度ぐらいとなるかもしれません。


いまの仕事や生活をやめなければならない状況になったとき、田舎にひっこんで作物を育てようと思いいろいろ本を探しているのですが、

なんだかとても癒される本があったのでリンクなしで紹介します。

ナライカナイの日々
森岡 尚子 著

それでは

次の更新がいつになることやら

「祈り」について

2011-05-08 14:43:16 | Weblog
GWが終わろうとしています。

今年は植樹、育樹、「祈り」のGWでした。

ダライラマ14世による震災49日法要に参加し、国内外の僧侶たち、参列者と、国境、宗教、宗派を超えて、ともに祈りました。

フツノミタマノオオカミ神社では、これ以上国を揺るがすような大きな災いが起こらないよう、ともに祈りました。
(休みが続けてとれなかったもんで、往復夜行バス1日滞在の強行軍で、関西方面のみなさまに会う時間がありませんでした。ごめんちゃい)


「祈る」機会が多かったので、「祈る」ことにについて、いろいろ考えさせられました。


「祈る」ときに、何に対して「祈る」でしょうか?
何を「祈る」のでしょうか?
どう「祈る」のしょうか?
誰に対して「祈る」のでしょうか?

自分に対して?神・仏に対して?

それは、あらゆる欲望を満たすためのものでしょうか?
それは、心からの「祈り」でしょうか?



その「心」というのは、揺らぎ、移ろい、浮かんでは消えてゆくものです。

そんな「心」の「祈り」でいいのでしょうか?


「無心」の「祈り」でいいのでしょうか?

「無」「空(性)」といったものの理解からの「祈り」でいいのでしょうか?



揺らぐ事のないもの、「魂」の「祈り」でいいのでしょうか?


「魂」はどういうものでしょうか?
「魂」はどこからきているのでしょうか?


ここまで記すれば、いつも当ブログをお読みいただいてる皆様にはだいたいお分かりいただけると思いますが、続けたいと思います。



仮に名付けられたものにすぎず、それ自体、単独で存在することのない「自分」に、
仮に名付けられたものにすぎず、それ自体、単独で存在することのない「自分」から、
何かに向けて、何かに対し、「祈る」?

これって「祈り」としてどうかな?




「魂」の「祈り」について見いだしていきましょう。


スピリチュアルな世界では、「魂」は「おおいなる魂の一部」であるとか、
人の生における「魂」は「おおいなる魂」から、一部切り離されている状態、
といったような表現があります。

名付けられた仮の個々ですが、日本人と名付けられたものの一人でもあり、地球人の一人でもある。
肉体は地球の構成要素の一部で出来ているといえたり、太陽系の・・・銀河の・・・宇宙の・・・といえます。
「魂」も然りです。


「魂」で「祈る」とき、どうなるか?
神社、寺院、教会、モスク等、で「祈る」とき、なにが起こるでしょうか?
それぞれの神さま、仏様の「御魂」も「おおいなる魂」の一部ですね。

そうなると、神仏に対して「祈る」ということにはならずに、
「魂」が、神仏の「御魂」とともに、さらには、「おおいなる魂」とともに「祈る」ということになります。


どうでしょうか。


三魂一体といったところでしょうか。

こういった理解の上での「祈り」ですからね。それは揺るぎないものとなるとなるでしょう。


でも、すべてはゆらいでるものでもありますからね。表裏一体ということでしょうか?


話しはそれましたが、


「おおいなる魂」から、一部切り落とされている状態、というなかでは、
神社、寺院、教会、モスク等、での「祈り」となると、
神さま、仏様の「御魂」と「おおいなる魂」と繋がる、という意味愛に(変換したらでてきて、はっとしたのでそのままに)なりますね。
そのためには、「無心」ー「無」や、「空(性)」の理解の上でということで、お経や聖典などの教えを読むにはそういった意味もあるのでしょう。


というわけで、

「魂」で、ともに「祈り」ましょう

「魂」で、ともに愛しましょう

敦賀で漏れ?で、津波でどーんか?そっち方面ちょっといやな感じですね

2011-05-03 07:19:07 | ゆんゆん
GWもいろいろと忙しく、なにか情報が入ったらすぐお知らせというわけにはいかないようです。


きな臭くなってまいりました。というより、うさん臭いですね。

ウサマビーンラーディーンが2年ぶり4度目の死亡ということで、
報復という名のもとにテロを起こそうとしているのでしょうかね。

福島はまだまだ1もやばそうだけど、4が不気味ですね。
制御出来ないものをなんとか抑え込もうとしてあまりうまくいってないという段階ですからね。
こちらも注意が必要です。

自分的には北陸方面の地震の予感はありません。
以前から、最近まで、自分の予感はまったくあてになりませんが。

予感というよりは、咄嗟の閃きのような直感のようなものと、夢見がなんとなく使えそうです。
人によって得意、不得意があると思うので、それをみつけることが大事ですね。