旧相模国戸塚宿所在の清源院にある於萬の方葬所跡
清源院は、東海道線戸塚駅からほど近い小高い丘の上に所在する。清源院の開基は、1620年、京都知恩院の末寺として、徳川家康の側女であった於萬の方によって創建されたもので、清源院の名前の由来は於萬の方の法号「清源院殿閑誉理崇大禅定尼」に依ったものである。この時代に、火葬をすると言うのは大変珍しい葬送方法であったと考えられるが、於萬の方は自らが創建した寺院の裏山で荼毘に付されたと伝えられている。石碑にも「當山開基清源院殿尊骸火葬之霊跡也」と記されている。多くの他寺にあるような開山師の大きな墓碑と比較していかにも質素なもので、墓碑というよりも、単なる史跡碑に近い。
境内には戸塚宿に在住した俳人の墓碑や芭蕉の句碑もある。芭蕉の句碑については、改めて記述する。
古の葬所の跡や木下闇 呑舞
季語「木下闇」には、傍題として、青葉闇、木の晩、木暮など多様であるが、夏の木立が鬱蒼と繁って、昼でも薄暗い様子を表している。於萬の方が眠る場所として相応しい。木下闇を詠んだ有名人も多い。清源院は一見の価値がある。戸塚へ吟行される折りには是非立ち寄られることをお勧めする。
須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇 芭蕉
霧雨に木の下闇の紙張かな 嵐雪
売卜先生木の下闇の訪はれ貌 蕪村
灰汁桶の蝶のきげんや木下闇 一茶
秀次の墓へ径あり木下闇 汀子
平成28年8月3日記