1997年に公開された映画「タイタニック」(ジェームズ・キャメロン監督)はとても有名な映画ですから、多くの人が見たことがあると思います。
10年ぐらい前になりますが私は最初この映画を見たとき、タイタニックって原発のことだ、と思いました。
絶対に沈没することはない、と造った人も乗っている人もみんな思い込んでいた巨大客船。もちろん救命ボートの数も足りませんでした。
一等客室には金持ちが、三等客室には貧しい人が乗っており、船の中に教会も警察もある、という正に社会の縮図。
霧の中を高速で進んでいたら、想定外の大きさの氷山が目の前に現れ、避けようと努力はしたものの衝突。大きな亀裂が船体にあいてしまいます。
これでは沈没してしまう、と分かる人にはすぐ分かります。でも、衝突してすぐのころ乗客の中で「これは危ない。」と思った人はごく少数で、多くの人は音楽を聞きながらお酒を飲んだりして、のんびり指示を待っていました・・・・。
・・・・肝心の船長は迅速な命令を出さず、その周りを固める航海士の一人は
「直ちに沈没するものではありません。」
と乗客に言って回っている。
そのうち船が傾いてきて、敏感な人が
「ちょっと、船が傾いてない? 何だか気分が悪くなってきた・・・。」
よ言っても周りの人は
「そんなことないよ。気にしすぎ! ただの船酔いだよ。」
と相手にしてくれない。
そういう私はパーサーの一人で必死になって救命胴衣を乗客に配りまくっている。
「早くこれを着てください!」
と言っているところへ別のパーサーがやってくる。
「何この救命胴衣。本当にこんなので命が助かるんですかね? 品質保証のマークはついているんですか? それとも本船での使用の許可はもらっている商品ですか?」
と私が手にしている救命胴衣をじろじろ眺めたり、つついたりしている。私が
「これは他の船でも使われている救命胴衣ですよ。この船に乗っている人には役には立たないんですか? 早く着たほうがいい。」
と言っても
「使用の許可をちゃんともらっているの?」
ときかれる。
「時間があるなら、許可をもらいに申請に行ってもいいですよ。でももうすぐ、この船は沈没するんですよ!」
とこういう無意味なやりとりをしている間にどんどん貴重な時間が過ぎていく・・・・。
・・・・もっとも実際のタイタニックの乗客の多くは救命胴衣をつけていても、海水の冷たさに凍死しています。じゃあ、救命胴衣をつけることは全く無駄か、というとそうではありません。
監督の創作ですが、映画の中でローズは助かりました。それは運よく小さな偶然や条件が重なったからです。もしローズが救命胴衣をつけていなかったら、映画の最後のほうのシーンで水上に浮かんだり、助けを求める笛を泳いで取りに行けたかどうか疑問です。
タイタニックでは船がどんどん傾き始めるとパニックが起こります。その中には救命ボートに乗ることをあきらめて、美しく死んでいこうとする人もいます。また救命ボートの座る場所を他の人に譲る人もいます。祈りながら天国へ行こうとする人、最後まで楽器を引き続ける人。
しかしこういう人は少数派で、ほとんどの人は助かろうと救命ボートの周りに群がります・・・・。
・・・・船長はふつう
「救命ボートには女性と子どもを優先して乗せるように。」
と指示を出す。しかし残念ながら子どものことを優先して考えない船長もいる。こういう船長の船に乗っていると小さい子どもを抱えた親ほど困り、苦しむことになる。
しかし船の傾きがひどくなる前に頭がいい人、カンのいい人、知識のある人は沈没するとすぐ分かっている。そして早めに救命胴衣を着せた子どもを救命ボートのほうへ連れて行こうとする・・・・。
・・・・私がこのタイタニックの沈没事故を思い出して悲しい、と思うのはやはりどうしても一等客室の乗客のほうが助かっている率が高いことです。もちろん一等客室の乗客でも死亡した人はいますし、二等や三等客室の乗客で助かった人もいます。
しかし割合で言うと、やはり金持ちほど助かっている割合が高いのです。
(事故による生存率は一等船客は60% 二等船客は44% 3等船客は25% 乗務員は24%)
これは100年前の話で現代人の意識は変わったから、もしタイタニックのような事故が今再び起きたとしても、違う結果になる、という意見の人もいるでしょう。また人間なんて時間が経っても大して変わらない、という意見の人もいるでしょう。
原発事故の場合はどうでしょうか? やはりお金持ちのほうが放射能の被曝を受けにくくなるのでしょうか? イエスかノーかどっちか一つ選べ、と言われたら、私はイエスと答えます。
お金がたくさんあったら遠い外国へ避難することも長期滞在することも比較的簡単にできるからです。
しかし私は絶対にお金持ちのほうが助かって、貧乏な人は助からない、とは簡単に区別できないと思っています。
映画の中のローズ(一等客室の乗客でしたが、実際には破産した家の娘)もさまざまな偶然、勇気、知恵、助けてくれた人の存在などにより、助かりました。
また客室の種類に関係なく、平等に多くの人が放射能被曝を避けられる方法というものを専門家の方に考えてほしい、と思っています。
このような話にお付き合いくださり、ありがとうございます。でも私はタイタニックの映画を見るとどうしても、原発を連想してしまうんです。
この映画のことを駄作のように言う人もいます。理由はいろいろですが、例えば現存している絵画がタイタニックとともに沈んでしまったとしているのはおかしい、という指摘があります。
でも私が思うには、あの映画はドキュメント作品ではないですし、空想の設定(ローズをとりまく主要人物のほとんどが実在していない。)の部分があってもおかしくない芸術作品です。
ただ監督がタイタニックそのものや沈没のようすをものすごくリアルに撮影しているので、そこへ観客の目が行きがちになりますが、そこへところどころ比喩的な映像を混ぜているんですよね。
甘くておいしいお菓子をずっと食べている、と思っていたら、ところどころ小さい塩の粒が混ざっていて「まずい! 不良品だ!」と思う人がいるようなものです。
私自身はこの映画が100%リアルを目指した作品でなくてよかったな、と思います。
例えば私にはローズすらローズ以外のものに見えてくることがあります。
若くて活発で魅力的なローズ。どちらかと言うと、ぽっちゃりタイプのローズ。赤い髪のローズ。
名門貴族の出ですが、実際には一文無しのローズ。
そのローズが足の親指だけで立つシーンがありますが、つまり重めの体重をあの小さい2点だけで支えている、ということです。
実に危ない。いつ倒れてもおかしくない。
実際倒れてレオ様に支えられていましたが、レオ様がすぐそばにいるローズは運がいいですよ。
最新式巨大客船の運命も実は、小さな点だけで支えられていた程度のものだったのかもしれません。
10年ぐらい前になりますが私は最初この映画を見たとき、タイタニックって原発のことだ、と思いました。
絶対に沈没することはない、と造った人も乗っている人もみんな思い込んでいた巨大客船。もちろん救命ボートの数も足りませんでした。
一等客室には金持ちが、三等客室には貧しい人が乗っており、船の中に教会も警察もある、という正に社会の縮図。
霧の中を高速で進んでいたら、想定外の大きさの氷山が目の前に現れ、避けようと努力はしたものの衝突。大きな亀裂が船体にあいてしまいます。
これでは沈没してしまう、と分かる人にはすぐ分かります。でも、衝突してすぐのころ乗客の中で「これは危ない。」と思った人はごく少数で、多くの人は音楽を聞きながらお酒を飲んだりして、のんびり指示を待っていました・・・・。
・・・・肝心の船長は迅速な命令を出さず、その周りを固める航海士の一人は
「直ちに沈没するものではありません。」
と乗客に言って回っている。
そのうち船が傾いてきて、敏感な人が
「ちょっと、船が傾いてない? 何だか気分が悪くなってきた・・・。」
よ言っても周りの人は
「そんなことないよ。気にしすぎ! ただの船酔いだよ。」
と相手にしてくれない。
そういう私はパーサーの一人で必死になって救命胴衣を乗客に配りまくっている。
「早くこれを着てください!」
と言っているところへ別のパーサーがやってくる。
「何この救命胴衣。本当にこんなので命が助かるんですかね? 品質保証のマークはついているんですか? それとも本船での使用の許可はもらっている商品ですか?」
と私が手にしている救命胴衣をじろじろ眺めたり、つついたりしている。私が
「これは他の船でも使われている救命胴衣ですよ。この船に乗っている人には役には立たないんですか? 早く着たほうがいい。」
と言っても
「使用の許可をちゃんともらっているの?」
ときかれる。
「時間があるなら、許可をもらいに申請に行ってもいいですよ。でももうすぐ、この船は沈没するんですよ!」
とこういう無意味なやりとりをしている間にどんどん貴重な時間が過ぎていく・・・・。
・・・・もっとも実際のタイタニックの乗客の多くは救命胴衣をつけていても、海水の冷たさに凍死しています。じゃあ、救命胴衣をつけることは全く無駄か、というとそうではありません。
監督の創作ですが、映画の中でローズは助かりました。それは運よく小さな偶然や条件が重なったからです。もしローズが救命胴衣をつけていなかったら、映画の最後のほうのシーンで水上に浮かんだり、助けを求める笛を泳いで取りに行けたかどうか疑問です。
タイタニックでは船がどんどん傾き始めるとパニックが起こります。その中には救命ボートに乗ることをあきらめて、美しく死んでいこうとする人もいます。また救命ボートの座る場所を他の人に譲る人もいます。祈りながら天国へ行こうとする人、最後まで楽器を引き続ける人。
しかしこういう人は少数派で、ほとんどの人は助かろうと救命ボートの周りに群がります・・・・。
・・・・船長はふつう
「救命ボートには女性と子どもを優先して乗せるように。」
と指示を出す。しかし残念ながら子どものことを優先して考えない船長もいる。こういう船長の船に乗っていると小さい子どもを抱えた親ほど困り、苦しむことになる。
しかし船の傾きがひどくなる前に頭がいい人、カンのいい人、知識のある人は沈没するとすぐ分かっている。そして早めに救命胴衣を着せた子どもを救命ボートのほうへ連れて行こうとする・・・・。
・・・・私がこのタイタニックの沈没事故を思い出して悲しい、と思うのはやはりどうしても一等客室の乗客のほうが助かっている率が高いことです。もちろん一等客室の乗客でも死亡した人はいますし、二等や三等客室の乗客で助かった人もいます。
しかし割合で言うと、やはり金持ちほど助かっている割合が高いのです。
(事故による生存率は一等船客は60% 二等船客は44% 3等船客は25% 乗務員は24%)
これは100年前の話で現代人の意識は変わったから、もしタイタニックのような事故が今再び起きたとしても、違う結果になる、という意見の人もいるでしょう。また人間なんて時間が経っても大して変わらない、という意見の人もいるでしょう。
原発事故の場合はどうでしょうか? やはりお金持ちのほうが放射能の被曝を受けにくくなるのでしょうか? イエスかノーかどっちか一つ選べ、と言われたら、私はイエスと答えます。
お金がたくさんあったら遠い外国へ避難することも長期滞在することも比較的簡単にできるからです。
しかし私は絶対にお金持ちのほうが助かって、貧乏な人は助からない、とは簡単に区別できないと思っています。
映画の中のローズ(一等客室の乗客でしたが、実際には破産した家の娘)もさまざまな偶然、勇気、知恵、助けてくれた人の存在などにより、助かりました。
また客室の種類に関係なく、平等に多くの人が放射能被曝を避けられる方法というものを専門家の方に考えてほしい、と思っています。
このような話にお付き合いくださり、ありがとうございます。でも私はタイタニックの映画を見るとどうしても、原発を連想してしまうんです。
この映画のことを駄作のように言う人もいます。理由はいろいろですが、例えば現存している絵画がタイタニックとともに沈んでしまったとしているのはおかしい、という指摘があります。
でも私が思うには、あの映画はドキュメント作品ではないですし、空想の設定(ローズをとりまく主要人物のほとんどが実在していない。)の部分があってもおかしくない芸術作品です。
ただ監督がタイタニックそのものや沈没のようすをものすごくリアルに撮影しているので、そこへ観客の目が行きがちになりますが、そこへところどころ比喩的な映像を混ぜているんですよね。
甘くておいしいお菓子をずっと食べている、と思っていたら、ところどころ小さい塩の粒が混ざっていて「まずい! 不良品だ!」と思う人がいるようなものです。
私自身はこの映画が100%リアルを目指した作品でなくてよかったな、と思います。
例えば私にはローズすらローズ以外のものに見えてくることがあります。
若くて活発で魅力的なローズ。どちらかと言うと、ぽっちゃりタイプのローズ。赤い髪のローズ。
名門貴族の出ですが、実際には一文無しのローズ。
そのローズが足の親指だけで立つシーンがありますが、つまり重めの体重をあの小さい2点だけで支えている、ということです。
実に危ない。いつ倒れてもおかしくない。
実際倒れてレオ様に支えられていましたが、レオ様がすぐそばにいるローズは運がいいですよ。
最新式巨大客船の運命も実は、小さな点だけで支えられていた程度のものだったのかもしれません。