* 朝もやが、秋、と感じさせてくれる今日この頃です。
Bristolから汽車で15分の隣の町、 Bathは、昔は上流社会の人たちが湯治で長期滞在したという観光地ですが、先日、ジェーンオースチンという
18世紀末の女流作家のお祭りで一日楽しんできました。参加者たちの長くてストレートなドレスにボンネットの帽子といういでたちが、昔のままのたたずまいの町とよくマッチしていて、来年は私もコスチュームで参加しようかと思っているところです。
第二十六話. 障害を持っているということ
私が働いている知的障害を持つ人たちの共同住宅ラファエルハウスのスタッフを見ると支えあうということが良く分かります。
経営者はいなくて、共同責任者(マネージャー)が三人、でも上下関係はありません。住人もスタッフもそれぞれの持つ特性を出し合って自己実現に向け協力していく、というのがこの家の理念なのですが、実はスタッフもなんらかの障害を持っているといってもいいのです。
まず、私はよく英語が話せない。マネージャーの一人は視野がトンネルのように狭いので良く見えない。補聴器をつけていた人も、拒食症を経験した人も、ブレイクダウンをしたことのある人もいました。ある若いスタッフはアルファベットがちらつきよく読めないディスレクシア(失読症)。
障害や欠点を見るときりがないのですが、それぞれの持つ良い特性を見るようにすると失敗を許しあって、お互いに補い合って、明るい家を運営して行くことができるようです。
視野狭窄のマネージャーの人は奥さんも同じ目の病気で、遺伝性のものなので5人の子供たちもみんな視野狭窄です。そして6人目の赤ちゃんももうすぐ生まれます。
この大家族の家に遊びに行くたび、障害を持っているということは、その人の一部で、すべてではないということをじかに学ばされます。
( 間美栄子 2008年 10月1日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)