アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第二十六話.  障害を持っているということ

2008-10-05 18:33:03 | 出会った人

* 朝もやが、秋、と感じさせてくれる今日この頃です。
Bristolから汽車で15分の隣の町、 Bathは、昔は上流社会の人たちが湯治で長期滞在したという観光地ですが、先日、ジェーンオースチンという
18世紀末の女流作家のお祭りで一日楽しんできました。参加者たちの長くてストレートなドレスにボンネットの帽子といういでたちが、昔のままのたたずまいの町とよくマッチしていて、来年は私もコスチュームで参加しようかと思っているところです。

第二十六話.  障害を持っているということ

私が働いている知的障害を持つ人たちの共同住宅ラファエルハウスのスタッフを見ると支えあうということが良く分かります。

経営者はいなくて、共同責任者(マネージャー)が三人、でも上下関係はありません。住人もスタッフもそれぞれの持つ特性を出し合って自己実現に向け協力していく、というのがこの家の理念なのですが、実はスタッフもなんらかの障害を持っているといってもいいのです。

まず、私はよく英語が話せない。マネージャーの一人は視野がトンネルのように狭いので良く見えない。補聴器をつけていた人も、拒食症を経験した人も、ブレイクダウンをしたことのある人もいました。ある若いスタッフはアルファベットがちらつきよく読めないディスレクシア(失読症)。

障害や欠点を見るときりがないのですが、それぞれの持つ良い特性を見るようにすると失敗を許しあって、お互いに補い合って、明るい家を運営して行くことができるようです。

視野狭窄のマネージャーの人は奥さんも同じ目の病気で、遺伝性のものなので5人の子供たちもみんな視野狭窄です。そして6人目の赤ちゃんももうすぐ生まれます。
この大家族の家に遊びに行くたび、障害を持っているということは、その人の一部で、すべてではないということをじかに学ばされます。
                  
 

間美栄子 2008年 101  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第二十五話.  野の花からの学び

2008-10-05 18:32:14 | 人生観

* りんごとブラックベリーのパイの季節です。いつもの河原のやぶへ収穫に。薄紫色のキク科の花 Michaelmas Daisy がそこここで咲いています。この花はその名のとおり、ミカエル祭の季節を知らせてくれていますが、ミカエル祭(9月29日)は、ドラゴン(自分自身の暗い面)と戦い、それを制御する、というシンボリックなお祭りで、秋分となり、だんだん日が短くなっていくこの季節こそ、自分を見つめてチャレンジするべし、ということですね。
みつ編みにしたパンの飾りやさまざまな収穫物をテーブルに飾って秋を祝います。

第二十五話.  野の花からの学び

書家あいだみつをさんの日めくりにも「名もない草も実をつける いのちいっぱいの花を咲かせて」とありますが、ほんとにどんな小さな花も花を咲かせるんですね。そして秋はみんな種の季節です。

私の野の花ガーデンは、観察という時間をかけてすこしづつ広げてきたものです。春に芽が伸びてくると、これは何だろう、とっておいてみようかな、この花小さいけれどかわいい、とかぶを残してきたり、秋にその種を散らしてみたり。

朱色の野生のポピーが庭一面に咲いたときはほんとに美しかったです。まるで魔法を見ているようでした。種の粒は小さいし、秋にぱらぱらとまいて、冬の間ですっかり種をまいたことも忘れているので、いつも春には驚かされます。

人の人生も、もしかしたらこの種まきのようで、自分のした行為ながら、すっかり忘れている。でも自然にその種は芽を出し、お日様と雨を浴びて、いつか花を咲かせる。ちょっとした言葉やほほえみなど、そうした種といえるのではないでしょうか。

実を言うと昨夏、日本に5年ぶりに帰省した時には、長年の貧乏学生生活で心もすねていて、庭の写真を見せながら「お金がないから花の苗が買えないからね」としていたところ、ネフの店主にその態度を指摘されたのでした。その瞬間から、ネガティブ思考が止み、ぱっと心が軽く明るくなり、同じ野草の庭なのに急に素敵なような気がしてきたのです。

野の花は生き物の本質を教えてくれるようで、「伸びたい」というのは、そういえば人間もそうであったのだった、なんて、いまさらにして気づいたり。
そういえばわが娘も、野草のようにたくましく、ということで、ナズナ(ぺんぺん草)と名付けられたのでしたっけ。 


間美栄子 2008年 915  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第二十四話. ドキュメンタリー映画の構想

2008-10-05 18:29:07 | 出会った人

*なずなの子供の頃からの友達に久しぶりに会ったりすると、年月が経ったことを知らされます。みんな背が高くなったり、きれいになったり。
イギリスではGCSE 試験を済まし、16歳で義務教育が終わりますが、そこから高等教育や職業訓練のために、何らかの学校に進む若い人たちは、なんと全体の3割しかいないのです。イギリスはこの先どうなっちゃうの?とすこし心配なところですが、日本の社会とは正反対で、外からのプレッシャーがないから気楽なのか、あまり陰湿な感じがないのが、まだましともいえますか。何はともあれ、こちらは9月から新学年で、また新しいスタートであります。なずなはスーツを着てCollegeでの勉強が始まります。


第二十四話. ドキュメンタリー映画の構想

阿賀に生きるの佐藤真監督が亡くなって、ちょうど一年になりますね。

テレビのない私となずなの趣味のひとつに、新しい映画の構想について話し合う、というのがあります。死期を告げられたひとりの女性が世界中を旅をして、いろいろなものを食べて、いろいろな人に出会っていく。というストーリなのですが、コメディタッチでと、シーンを考えていました。

ところが先日、ジャマイカ人の友人、カレンが、がんで、わずか3ヶ月で亡くなってしまいました。子供病院の婦長をして、教会のことをして、いろいろなところに旅行をして、とエネルギッシュに人生を楽しんでいた人で、何よりもカレンは、人に親切で,きづかってくれる人でした。
お正月には私の日本からの友人たちを自宅に招いてくれたばかりで、この夏には日本に行きたいと話していた矢先でした。

夫のウィリアムもあらためて亡き妻の人柄に打たれ、カレンが仕事のほかにもしていた、未熟児のための医療環境整備のためのファンドレイジングを引き継ぐことをはじめました。

彼女をなくして思うのは、いま毎日毎日を楽しんでいくということです。すれ違う人にも微笑を投げかけることができる、道をゆずることができる、一瞬一瞬が貴重な瞬間であるように生きていけたら、と思うところです。
いつも会うたびに‘How are you?’ とたずねてくれたカレンのように。

どうやらわたしたちの新しいドキュメンタリー映画はそんな風に生きている人の日常生活を撮ることになりそうです。
そして映画の主人公のように、今まで食べたことのない異国(トルコ)の食べ物を食べてみたのでした。

(間 美栄子 20089月1日) 


第二十三話.   喜びのある日々

2008-10-05 18:25:11 | 人生観

* 私の庭は野の花ガーデンなので、「雑草」というのはなく、草取りをするのは、生い茂ってほかの植物の迷惑になるとか、来年増えすぎるとか、牛が食べると毒になる植物ということになります。特に気をつけて見回りをしなくてはいけないのが、Bind weed で、朝顔のような白い花が咲くのですが、ほかの植物に絡まって窒息させてしまうので、「他人に頼らないで自分でちゃんと生きなさい」なんて言いたくなってしまいます。

第二十三話.  喜びのある日々

私がラファエルハウスの住人の付き添いで行く教会の牧師さんは、すごくいい笑顔のジャマイカ人で、彼の顔を見ただけでも気分が良くなってしまうのですが、先日のお話はとても心を揺さぶられたので、シェアーします。

彼がアフリカのルワンダに行ったとき、一人の女性からお祈りをしてくれるよう頼まれました。

その女性は、大量殺戮で、目の前で家族全員を殺害され、自身はレイプされ、HIVをうつされてしまったというのです。
廃人のようになり、何年かの心を閉ざした年月の後、信仰に導かれ、喜びのある日々を送ることができるようになっている、と語る彼女の姿に牧師さんは深く感動し、どんな苦難の中でも「喜び」を見出すことができるのではないか、と私たちに説いてくれました。

お金持ちになったら、昇進したら、試験が終わったら、あと二年したら、ではなく、今この瞬間に「喜び」を感じることができると。

なにかを達成したからでも、一緒に笑いあう人がいるからでもなく、健康でもなく、何もなくても感じられる「喜び」とは、いったい何なのでしょうか。

(間 美栄子 20088月15日) 

(世間から遠ざかっていたわたしがルワンダでの大量殺戮のことを知ったのはかなり遅く、映画「ホテルルワンダ」で知りました。)


第二十二話. ティクナットハンとイエンさん

2008-10-05 18:15:14 | 出会った人

*川原ではピンクの花のヤナギランの群生が風になびく季節となりました。
にわの草取りをしているとき、ぼんやりとしていると、きまって、ネトルに刺されて、ぎゃーっ、やられた!ということになります。ネトルはイラクサで、植物であるのに、私にはどうも動物であるような印象があり、飛び掛ってくるような気がするのですが。ちょっと触っただけなのに、何時間もひりひり痛むのですよ。ネトルはわたしに、マインドフルに草取りをしなさいと教えているのでしょうか。

第二十二話. ティクナットハンとイエンさん

「もしあなたが詩人なら一枚の紙に雲を見るでしょう。」で始まる「ビーイングピース」という題のティクナットハンの本を知っていますか?

むかし悩みを抱えていた頃、わらをもつかむおもいで、ベトナム人のお坊さんティクナットハンのリトリートに、当時3歳くらいだったなずなも連れて参加しました。
ティクナットハンはすごく優しい声で穏やかに話すのですが、特に印象深く覚えているのが、愛している人に愛していると告げよう、というダルマトークで、あるお父さんは小さな子供に「私はあなたを愛しています」といいながら涙を流していました。
歩く瞑想、お皿を洗う瞑想、の実践もあり、食べる瞑想ではワカメがゆらゆらと海の中で揺れているところを思い浮かべながらワカメの味噌汁をいただいたりしました。ワカメとわたしが「相互生存」していることをかんじながら。

それから新潟で友達とティクナットハンの読書会をはじめました。海のそばの家で、その友達がいつも心をこめて食事を用意してくれて、みんなでいただく夕ご飯は、まったくもってビーイングピースで、心と体の栄養になっていました。
もうひとりのメンバー、カナダ人のイエンさんは仏教に詳しく、私たちの質問に答えてくれたり、分かりやすく解説してくれたりしていました。

その後、イエンさんは新潟大学の哲学科で日本語で博士論文を書いたとのことで、それを聞いたとき、徹して生きているのだなぁとうれしく思いました。
帰省したとき、新潟祭りの夏の民謡流しの先頭に立って、かなり派手に楽しそうに踊っている人たちの中にイエンさんを見かけましたが、もうすっかり新潟人なのでしょうね。

(間 美栄子  20088月1日) 


第二十一話.  豚にかまれても

2008-10-05 18:14:21 | シュタイナー

*私の生まれ故郷の新潟市の小針浜にある、海の見えるレストラン、ネフ、のホームページに、イギリス便りとして私のメール通信がでています。バックナンバーも載っていて、なんだか本を出版したみたいでうれしいです。いろいろな写真も載せていこう、と友人(ネフの店主)がアレンジしてくれたのです。http://www.tiny.jp/nef/

第二十一話.  豚にかまれても

イギリスにはシュタイナーの人間観、世界観に基づく、キャンプヒルという、知的障害を持った人たちをサポートする、農業やクラフトを主体とした共同体がたくさんあります。このエピソードはそのキャンプヒルのなかでもやや特殊な、精神的なブレークダウンをした人たちの、リハビリテーションのコミュニティで、一年間アートセラピーの実習をしていた頃のことです。

アンドレアスというドイツ人の若いボランティアがその農場で働いていました。くりくりの巻き毛のその男の子は、わたしのグリム童話を用いたアートセラピーのグループにも参加して、後かたづけも手伝ってくれていました。
ある時、びっこをひいているのでどうしたのか尋ねると、「いやー母豚にふとももを噛まれてしまって。でもついていますよ、まだ歩けるから。」と、にこにこ笑うのです。

ケアーミーティングではこのシュタイナーベースの共同体の中心メンバーの夫妻が難しい言葉を使って色々話していたけれど、今思うとアンドレアスの笑顔から学んだことのほうが大きかったような気がします。

アンドレアスは指に包帯を巻き、「いやー患者さんと、動物の囲いの杭をたてていたら、木づちで指を打たれちゃって。でもついてますよ、指がもげなくて。」といつものように、にこにこ笑うのでした。

彼は今頃ドイツの大学で建築を学び、卒業するころでしょう。

(間 美栄子 2008年7月15日)


第二十話.  心の中の炎

2008-10-05 18:13:38 | イギリスでの暮らし

*夏至の季節、北の国であるイギリスは、夜10時になってもまだぼんやりと明るいのです。我が家の庭では、3年前に草むらから掘り起こしたバラが、板塀や家の壁に10メートルにも伸び、まるで桜のように満開に咲いて香りを放ち、明るい夏至の夜に不思議な雰囲気をかもし出しています。

第二十話.  心の中の炎

わたしは学生ヴィザでイギリスに滞在しているので、週20時間しか働けません。アートセラピーの実践をしたいと思っても、学生ヴィザでは個人経営はしてはいけない法律になっているし、と状況が限られて、自分ではどうにもならないという閉塞感。でもその中で考えたのは、このいきづまった状況が学びの時なのかもしれないと。一見与えられている様でいて、じつは自分で選んでいる状況、ともいえるのではないか、と。

以前に紹介した、ポジティブサイコロジーのテッサ、の夫ファビオはイタリア人で、わたしに「心の中の炎」ということを教えてくれました。
彼は外国人としてイギリスに暮らすことをポジティブにとらえていますが、それは、もしイタリアの小さな町にずっと住んでいたら、なにくそ、と思うことがないからだといいます。イギリス人の外国人に対する馬鹿にしたような態度。それにへこたれることなく、それをもすら燃料として、強さが養われていき成長していきます。そんなファビオはロンドンに住む何人かの架空のイタリア人の日常や内面を描いた小説を書いているところです。

わたしのPhDのスーパービジョンでは、いつも超難解な単語を使って話す新米指導教官の一人が、私が書いた原稿があんまり文法的に貧しく、幼稚な表現なので中身がまるで読めなかったといってくさったけれども、「あと何年かして、もっと英語ができるようになったときをみて御覧なさい」
と、心の中でひそかに炎を燃やすのでした。

(間 美栄子 20087月1日)


第十九話 長屋のくらし

2008-10-05 18:12:15 | イギリスでの暮らし

* 鳥のさえずりが響き渡る季節となりました。ひときわ美しい歌を高いところから聞かせてくれるBlack Bird は、日本語ではクロウタドリというのだそうです。Black Bird の親が、一生懸命地面をほじくって得たみみずを、後ろでぼーっとつっ立っている、羽毛がふわふわなだけに親より大きい体の雛にあげているのは、なんだかおかしくて笑ってしまいました。

 第十九話 長屋のくらし

イギリスの家は、たいがい壁を接してずらーと繋がっています。友達から「それはテラスハウスでしょ」と言われ、ああそうか、と思ったけれど、「やっぱりうちは長屋なんだよね」と思う時もあります。声や匂いまで筒抜けで、左隣のインド人の人の壁からはカレーの玉ねぎの香ばしい匂いが漂ってきます。

右隣の家の夫婦は明るく気のいい人たちで、ガレージの屋根の上にパンなどを置いておくので、カケスやカモメや鳩やカラスたちが、大喜びで食べています。ストラウドの時の隣人は外国人が嫌いで、きれいに花をうえ、白雪姫と七人の小人なんかしつらえて、完璧、人工、という庭でしたが、鳩が小鳥のえさを食べたりすると、「あっちいけ、この鳩やろう」とどなって、いじわるでした。という具合に人柄を隠せないのが、長屋なのです。

私たちの前にこの家を借りていたグレンさんは「本物の自然」愛好家で、庭の芝生を一回も刈ったことが無く、伸ばしっぱなしで8年を過ごし、ついに追い出されたのでしたが、髭や髪の毛も伸ばしっぱなしという伝説の人で、残された数々の石を見るとわたしと似たような趣味をしていて、会ってみたいような気もします。

当時の隣人のベルギー人のおねえさんは鮮やかな色のバラをたくさん植えて、大輪のバラの花一つ一つに念入りにスプレーをして凝るタイプの人でしたが、近所の子供によると「グレンさんの自然王国から這い出してきた蛇を、怒って切り刻んで鳥にあげちゃったんだよー」ですって。
まあ、長屋には私たちも含めて、いろいろな国のいろいろな人が住んでいるものです。

(間 美栄子 2008年 6月15日)


第十八話.  101 wishes

2008-10-05 18:11:37 | 人生観

*6月のイギリスはバラが咲き、いろいろな花が花盛りで、一番いい季節といえます。我が家の野の花ガーデンでは、毒のある背の高いジギタリスが、白、桃色、あか紫と50本も咲いていて、きれいです。ジギタリスはこちらでは、Fox –glove ( きつねのてぶくろ) といい、大きな蜂たちが袋状の花の中にはいっていくのをながめているのは楽しいものです。

第十八話.  101 wishes

私の大学院の同朋テッサは、ヨガの先生であるのはもとより、研究者としての実績を着実に積んできているのみならず、イタリア語も習得してイタリア人の夫の家族とも話すことができる、という器用な人なのです。休みの日も、市民農園で野菜を育て、家の壁のペンキ塗りやらの内装を全部自分でしてしまう、とおそらく座ってぼんやりしていることはなさそうなのですが、いつもにこやかで、ゆったりと上品でいます。
この小さな体の(おまけにベジタリアン)どこにそんなエネルギーを潜ませているのでしょうか?

そんなテッサがしてくれた話のひとつに101 wishes があります。
あるとき、テッサが紙に101の望みを書きだしたのですが、そのままどこかにしまい忘れていたものが、数年後ひょんなことで出てきて、見てみるとヒマラヤに行く、などの難しいものを含めて、かなりの数の望みがすでに叶えられていた、というのです。
私も思い当たるふしがいくつかあります。たとえば、広い庭があって、キッチンが庭に面していて、光がさして、と具体的にこうであってほしいという条件、間取りを思い浮かべたら、自然がいっぱいの今の借家を見つけられたのです。

きっと、くよくよしたり、自己憐憫に溺れている間はあたまもぼんやりしてよく考えられないし、なにもできないのですが、開き直るとすっきりして糸口ができたりするのですね。101の望みを書きだすのはけっこうたいへんですが、テッサはこれを「ポジティブサイコロジー」と呼んでいます。私は小さな希望を思い浮かべ、自らが実現する、その喜びの積み重ねが大きな夢の実現につながるのだと思っています。
わたしの101 wishesは大半がガーデンのことですが、そうやって花を咲かせているうちに、明るくなって、ついてくるだろうと期待しています。

(間 美栄子 2008年6月1日)


第十七話. 岸辺のアルバム

2008-10-05 18:10:58 | イギリスでの暮らし

*お元気ですか。私は昨日、永住権申請のための、Life in the UK test というのを受けてきました。テキストによると、イギリスでは両親がそろっている子供は65%、片親と暮らしている子供は25%、そして義理の親を含めた家庭(stepfamily)の子供は10%、ということで、このような数字を暗記してテストにのぞんだのでした。

第十七話 岸辺のアルバム

「岸辺のアルバム」は30年も前の、ジャニスイアンのWill you dance? が主題歌、八重歯の国広富之が高校生の息子、中田喜子が米人兵と付き合う女子大生、杉浦春樹が冷たいお父さん、八千草薫がお母さんで、竹脇無我がお母さんに思いを寄せるサラリーマンを演じていた、当時は衝撃的であった山田太一ドラマですが、イギリスでは「岸辺のアルバム」のように、みんなバラバラな家族をよくみかけます。

おかあさんにもおとうさんにも、それぞれほかのパートナーがいて、せっかく大きな家を持っているのに誰も住んでいないで、高校生が一人でいたり。
なずなが小さい頃の同級生の親は別居をしていても、それでも子供が小さいのでまだ交代で面倒を見ていましたが、高校生ともなると、お金だけ与えてほおっておくこともできるわけで、体は一人前でもまだ心は危ういのに、かわいそうと感じることも多々あります。

でも、昔の夫も今の夫も、義父兄妹も、全員一緒に食卓を囲んだりしているのを見ると、あっけらかんとしていて、いいなとも思います。夫も妻も相手を所有しているのではなく、気持ちが離れてしまったら、そして他の人を好きになったりしたら、その気持ちに素直になることもよい訳で、子供たちもそれを受け入れているようです。
シングルマザーもここではほとんど普通、と言ってよく、私には大変暮らしやすい社会であるわけですが、一人一人が生きたいように生きれるようなんとか工夫する、いろいろな家族の形があって、いいのかもしれません。

( 間 美栄子 2008年 5月15日)


第十六話.  地方進学校トラ年生まれ女子の研究

2008-10-05 13:02:30 | 人生観

*5月のイギリスは、ブルーベルというユリ科の植物が、ぶな林の中に、まるで青いじゅうたんを敷き詰めた様に咲くのですが、我が家の庭にもこのブルーベルと忘れな草がたくさん咲いているところです。私の勉強のお供、メイプルの木も、黄緑色の花を咲かせています。
May Day は春のお祭りで、生の音楽で色とりどりのリボンを持ってポールの周りを踊るメイポールダンスが、まるで織物がおられていくのを見ているようで楽しいです。

第十六話  ある地方進学校のトラ年生まれ女子の
卒業後30年の女性観の推移の研究

間さんはいったい毎日コンピュータに向かって何をやっているのだ、ひまじん!と思われていることでしょう。あまり興味ないでしょうが、やっている研究は「イギリスにおける非主流派のアートセラピーの実践について」で、アウトサイダーについてやるところが私らしいと思っています。フィールドワークは、ユニークなアートセラピスト20人にインタビュー。北へ南へと人々を訪ねています。この研究は社会学研究の範疇に入るわけですが、社会学というのは何について調べても結局全部人間が社会の中で経験していることなので、テーマはなんでもいいわけです。

いずれ社会学者となった暁には(ならなくても)、昔の同級生たちにインタビューして卒業後の人生について語ってもらいたい、なんてアイデアがあるのですけれど、どうでしょうか。特に私にとっては女性観というものがずっと課題であり続けているので、そのへんをひとつ。強いといわれる寅年生まれの女性がどう生きているのか、みてみたいなあ。(そもそもわたしが何で日本を飛び出して帰らないかというと、イギリスでははるかに男女平等が進んでいるからなのです。)

人の体験の聞き取りというのは20代の頃にもやっていて、原水爆禁止運動の一環でテープを持ってヒロシマを経験した方のお宅にお邪魔したことがありました。「天井が焼け落ち、梁の下敷きとなった女の人が、助けてーと頼むのだけれど助けられなかった」と声を詰まらせていたその方の姿を覚えています。

私の祖父から話を聞いたこともあります。祖父は昔は「陸の孤島」と呼ばれていた雪深い松之山で農業などをしていたのですが、現地で、ここは何々だった、あそこは何々があった、と説明しているうちに俄然元気を出してきて、曲がっていた腰がぴんとなり、わたしが追いつけないほどの速さでスタスタ山を登って行ったのは、可笑しかったでした。
という風に普通の人の普通の人生が研究テーマになったりするのが社会学で、そんなことをやっているのは、やっぱりひまじん?

(間 美栄子 2008年5月1日)


第十五話. 「うらみます」 VS 流れの始め

2008-10-05 13:01:09 | 人生観

* イギリスでは大掃除は年末ではなく、Spring cleaningといって、春に行われます。皆さんは新年度、新学年で、何か新しいことをはじめているかもしれませんね。こちらの新学年は9月なのですが、木々の芽ぶきは、やはり新しい始まりを感じさせてくれています。

第十五話 「うらみます」VS 流れの始め

「間さんは実家に置いてあった「もの」は皆処分したんですか?」とある友達にメールで聞かれ、ドキッ。じつは、夢の中でその友達の実家に行って、古い物がとってあるのを見て、羨ましがっていたのですから、変なものです。私も結構しつこい、ということが夢から分かります。

昨夏の帰省は、兄一家が実家を建替え、両親との同居を始めるため、持ち物を処分しなくてはならなくて行ったのです。

何十冊も古い日記帳をとってあり、私が子供の頃から哲学していた文章があったはず、と思っていたのに、実際は好きな男の子のことが多く、ちょっとがっかりしてしまいました。

たくさんの写真を見ては、いつもいろんな人に遊んでもらっていたのだなぁ、と改めて感謝。友達からの手紙も読みかえしたり。ある友達がわたしの大学受験のために送ってくれた、「湯島天神の学業お守り」も見つかり、いまはこちらの私の勉強部屋に掛かっています。

レコードやテープも処分しきれず、また取りに来るから、といって残して逃げてきたのですが、中島みゆきの「うらみます」が、なぜがなずなに大うけでした。これが日本人のメンタリティかぁーと。

「もの」は使ったり、眺めたり、世話をしてあげないと光らないので、余分なものは手放すということで、等身大に収めたほうがいいということでしょうか。

古い日記帳も友達からの手紙も処分したけれど、そうしたらこうやって、違う形で、また文章を書くことと、この通信が始まって、流れ始めたのですね。

実家も長期滞在できる場所ではなくなってしまったけれど、いまイギリスでの永住権を申請するところなので、これも流れのままか、と思っています。

(間 美栄子 2008年4月15日)


第十四話. スーパーマザーのデボラの思い出

2008-10-05 13:00:30 | 出会った人

* もう四月ですね。こちらではまた時計の針を一時間進めて、夏時間が始まりました。昨日、エクセターの川のほとりを歩いていたら、ハクチョウたちがくちばしでよしを切って巣を作ってふ化の準備をしているところに出くわしました。

第十四話 スーパーマザーのデボラの思い出

シングルマザーで学生をしてこれたのも多くの人の恩によってのことで、なずなの同級生のお父さんお母さんに、いつも放課後、なずなを預かってもらっていました。「お父さん」というところがイギリスらしく、いろいろな働き方があるのでお父さんたちが結構家にいました。12歳以下の子供は一人で家にいてはいけないし、子供を学校までわざわざ迎えに行かなければいけないのも「イギリス」で、たいへんでした。

親御さんたちの中の一人、デボラはシングルマザーで、花模様のワンピースにデニムのジャケットで羊飼い犬を連れて堂々と歩いて、子供たちの送り迎えをしていました。前々夫との間の成人した息子たちも合わせて5人の子持ちで、「私のしてきたのは親業よ」と言っていましたが、シュタイナースクールの先生になるコースも受け始めていました。

なずなはデボラの子供たち、犬たちと混ざり合って大きくなり、まるでいとこ同士のようになっていました。わたしが夕方迎えに行くと、たいてい大騒ぎで、デボラは怒鳴って注意していましたが、私などはたった一人の娘に手を焼いていたので、彼女の懐の大きさに感服していました。

ところが、子供たちも大きくなり、やっとデボラが先生になって一年して、彼女はがんになり、イースターの頃、亡くなってしまいました。
今度はお父さんのアンディが子供たちと一緒に住むことになり、もっと大騒ぎとなっているその家族に会いに、なずなはいまでも休みになると汽車を乗り継いで行って一緒にキャンプなどしています。デボラの命日にも行って、夜お墓の周りの地面にたくさんキャンドルを置いて子供たちみんなで歌を歌ったそうです。

亡くなった知人のことを書くことが多いですが、それは、その人のエッセンスがその人を知っていた人々の中に残るというように、違う形で永遠に生きることになるからかもしれません。亡くなった人の笑顔、よくしてもらった思い出など、その人の光の部分がよく見えるような気がします。わたしには、これが広い意味でのレザレクション(キリストの復活)ではないかとおもえるのです。

間 美栄子   2008年4月1日


第十三話. 笑いのエクササイズ

2008-10-05 12:59:55 | 出会った人

* 我が家の庭では今、レンギョウが咲いています。
イースター、キリストの復活祭は、春分の後の最初の満月の後の日曜日、ということで、毎年日が動くのですが、今年はそれが、珍しいほど早くやってきます。(3月23日です。)
イースターの朝は、まだ子供が起きる前に、葉の出る前の固い芽だけの枝に、いろいろな絵や色を塗った卵を下げて飾っておいて、春が来たこと(光の復活)を喜び合います。


第十三話 笑いのエクササイズ

シュタイナーのアートセラピーの学校の同級生だったクリスチーヌは当時、がんと共生していました。持ち寄りのホームパーティをしたとき、みんなで歌を歌い、ストーリーテリングを聞いて、一人ずつ出し物みたいにやっていたのですが、彼女は笑いのワークショップに参加してきたといい、それを紹介してくれました。
 
それはまず笑ってみることから始まります。おかしくないのに笑えないって? ハ、ハ、ハと声を出してみる。誰かほかの人の目を見て握手する。
そのうちに笑いが本当になる。最後にはみんなお腹を抱えて笑い転げていました。
ミアンダリング(曲がりくねって)という言葉をはじめて教えてもらったのもクリスチーヌ。そんな今はもう亡き人の思い出が、彼女から借りてそのまま、ずっと使わせてもらっている家具たちにしみこんでいます。

人間とはなにか、人生とはなにか、幸せとは何か、子供の頃からずっと考えている私ですが、もしかすると答えは思いもよらず簡単かもしれません。
案外と、幸せとはこの笑いのエクササイズみたいなもので、幸せと思いはじめることで、幸せになれるのかもしれません。

(間 美栄子  2008年3月15日)


第十二話 映画Piano (邦題ピアノレッスン

2008-10-05 12:59:05 | イギリスでの暮らし

* BRISTOLにあるWatershed、港を再開発してできたウォーターフロントの映画館は、新潟でいえばWIND、のような変わった映画をやるところで、先週は日本の普通の人たちの映画特集が満員御礼でした。(私たちは入場できなかったのです)
むかし新潟で冬にアジア映画祭があって、アジア各国のあったかいスープを飲んだりしたなぁ,なんてふと懐かしく思い出しました。

第十二話 映画Piano (邦題ピアノレッスン)

映画ピアノの主人公エイダは夫を目の前で落雷によって失い、おしになってしまいます。そして、話せない代わりにピアノを弾いて辛い感情を表すのです。
そのピアノの曲は激しく、悲しく、ちょっと狂っていて、砂浜に置き去りにされたピアノと海の映像とともに、胸に迫ってきます。

主人公に幼い娘がいたこともあり、ずっとじぶんの思っていることが英語で表現できずにいたわたしは、そのピアノの曲を自分自身のテーマソングのようにして、いつもいつも聴いてきました。

こちらに来た直後は、気持ちがオープンで、どんどん英語で話しかけていたのですが、時とともにそれがなえてきます。私のように、批判家は、うまく話せないことを恥じて、口を閉ざしてしまうのです。もう何年もイギリスに学生として住んでいるのに、とイライラしたり、あせったり。
日本企業戦士の奥さんなどは、かえっておっとりとしていて、いいみたい。それと気持ちの丸い人は、自分を責めたりしないし、ボーイフレンドができたりして、英語の上達が早かったみたいでした。

5年もたち、都会のブリストルに移った頃から、話せないなら頭も悪い、というように人に見られることに、もう、ほとほといやけがさし、かなり落ち込み、ついにわたしはおしになってしまいました。電話は大嫌い。もうぜんぜん英語で話したくなんかない。

それでも修士論文を書き終えた頃、やっと少しずつ回復してきて、ひらきなおりがはじまりました。ふときづくと、なずなに、そのピアノの曲を弾いて、と頼むこともあまりなくなりました。いまでもまだ時々、一人でこっそりCDで聴いてはいるけれど。
  
        
(現代作曲家のマイケル=ナイマンによる そのピアノの曲の題名は 'The heart asks pleasure first')

 

間美栄子 2008年 31  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef