by Rudolf Steiner
34. Thirty-fourth Week (November24-30)
うちの奥なるところで ひそかに感じる
いったいどうやって古いものをためこんできたのものか、と。
いま、新たに沸き起こった自己感覚によって、命を与えられる。
これは、目覚めさせ、宇宙の力を前へと注ぎ込むのだ
わたしの外界での行動へと。
そして私を育て、かたちづくるのだ。
(ウォールドガーデンのゲイト)
*光線が低く斜めになる秋は、虹の季節でもあります。
イギリスでは50歳の誕生日を盛大に祝うという慣習がありますが、半世紀も生きてこれたのだもの、楽しくやろう、というのはいいですよね。生バンドをよんで、ケイリ(アイルランド、スコットランドのフォークダンス)のパーティを開く人もよくいます。私も3年後には皆さんをケイリにご招待しますので、よろしく。
第五十三話 21歳のころ
むかし、大学生のころ、自分の書く文がぜんぶ他人の言葉のような気がして、ぱったりと文が書けなくなったことがあります。「自分の考え」がなく、他人からの借り物のような気がする。試験のときにはこの違和感でレポートも書けず困りました。
シュタイナーによると、人間は7年ごとに大きな節目を迎えながら変化しているといいます。生後7年間は身体を養い、やがてエーテル体(生命体)という、「気」のレイヤーが、母親から独立して自分のものとなります。14歳になるころには次のレイヤーであるアストラル体(感情体)が出来上がり、21歳では、自我ができ、肉体を含めた三体をまとめ統括するようになります。
私が21歳のとき体験した、文が書けなくなったというのは、この新たな自分が生まれるときのとまどいだったのではないかといまにして思うのです。
そんなふうに、もやもやしているとき、タイのスラムや難民キャンプを訪ねたのも、自分は何なのか探していたからでしょう。
第三世界を目の当たりにすることで、さらに古い価値観も崩れ落ち、自分は砂漠の一粒の砂であるかのような希薄な存在感になってしまいました。
その後、28歳でなずなを身ごもり、35歳でイギリスに移住しと、さらに7年ごとの節目を越えながら、42歳で大学院。やっと、文章を書くことができるようになったのは、ちょっと遅いけれど、そして2倍かかりましたが、砂粒から築き上げ、やっと新しい自分が生まれたということかもしれません。
(間美栄子 2009年 11月15日)
(我が家の庭の Rose hip)
* 病院の一日はいろいろなセラピストが集まって、シュタイナーの「魂のこよみ」を読む、モーニングサークルではじまります。わたしはそれから自分自身を整えて、車椅子の患者さんたちがアートセラピールームにやってくるのを待ちます。
今朝は一人の患者さんがかりんを持ってきてくれたので、いい香りに包まれていました。
第五十二話 編みすぎちゃったセーター
もう何年も前のことになりますが、古い精神病院の病棟でアートセラピーの実習をしたときに出会った入院患者さんは数多いのですが、みんな忘れがたいです。
ある患者さんは脇のところが鳥の翼のように広いだぼだぼの手編のセーターを着ていましたが、それは、夫が他の女性の所に行ってしまうということが分かったときに編んでいたもので、悲しい、悔しい、さまざまな思いをこらえているうちに編みすぎてしまったのだそうです。
別の女性の患者さんは夫が家財道具を全部持って出て行ってしまって以来、バンジージャンプ、ゆきぞりでのラップランド縦断、長距離のウォーキングと、どうしても何か凄いチャレンジをせずにはいられない心境になってしまい、どうにも落ち着かないのです。
わたしにはこれらは女性が老いるということの不安さ、かなしさだろうと思われました。
私自身、毎朝鏡を見るたびに、「重力ってすごいなー、重力には逆らえないなー」と驚くのですが、こうなると、内面の美しさを磨いたほうがよいのでしょうね。
でも、老いるということは、心も硬くなりがちで、どうやって心をやわらかく美しく保てるのか? むずかしい課題ですね。やっぱり笑う事が効くかも?
(間美栄子 2009年 11月1日)