アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第124話  イースターの前に

2013-03-25 20:13:11 | イギリスでの暮らし

Sunshine in Cold England

 

第124話  イースターの前に

 

  

今年のイギリスの春はどうしたのか、寒さが続き、いつになったら暖かくなるのか、わかりません。日は延びて、鉢植えのスイセンも伸びてきているのに、その上に雪がちらついたり。

今週は、キリスト教の暦ではイースターの前の「パッションウィーク」です。木曜日は最後の晩餐、金曜日はキリストが磔になった日。聖書には、裏切り、おそれ、かなしみ、さげすみと、さまざまな苦しい感情が描かれています。

わたしにとって3.11以来、3月は、お彼岸もあるので、このパッションウィークが二重、三重になっているように感じられます。

わたしが15歳のとき、高校受験をおえて、お彼岸に祖母のお墓参りに行ったことを覚えています。うまれてはじめて、何かを強く願い、努力して、苦しい日々をすごしてきたのが終わり、ほっとして、春の日の日ざしの中で、感謝のことばを捧げていたのだと思います。お彼岸は、あの世が近くなるときなのでしょう。

 

ひげをたらした痩身のワイズマン、ジャングルが参加していた、金曜日のアートセラピーグループは、ほかの3人のメンバーはみな体重100kg近い男性患者さんたちだったので、「Big men’s group」 と呼んでいました。

最近、二人のBig men がなくなり、とても残念な気持ちでいっぱいなのですが、ふと、天国で、ジャングルが「また Big men’s group が集まったね」と笑っている笑顔が思い浮かばれてきて、わたしも、ほほえみました。

映画、「City of Angels」でも、死に行く人をお迎えに来る天使が恋した主人公の女性は手術医でしたが、病院で働くというのは、天国に近いところにいるのだなあと、改めて思ったりしているこの頃です。

 

(間美栄子 2013年3月25日   http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第108話 イギリスで食べる和食

2012-03-17 21:39:03 | イギリスでの暮らし

      

                     木の枝にかけられたスイング(ブランコ)

 

*春ですねー。こちらは、世界はスイセンの黄色であふれています。ホーソンの木が白い花を咲かせてまるで桜のように美しい季節です。

わたしもいよいよ今年のガーデニングを開始しました。植物を鉢植えから移植したり、庭木の剪定をしたり。ふと見ると去年植えた宿根草の鉢植えに小さな芽生えが。冬の間枯れたように見えていても、春が来ればまた活動を開始する、植物は強いものですね。

 

第108話 イギリスで食べる和食

 

皆さんは3月11日の震災から一年の日曜日をどうすごされたでしょうか。

わたしは仕事でしたが、暖かい日で、いつもの森の倒木に腰をかけて鳥のさえずりを聞きながらおひるごはんを食べ、命あることに感謝していました。夕食はティクナットハンのトークをYouTubeで聞きながらマインドフルに和食を味わいました。

 日本のことを思うとき、わたしは和食を料理します。去年、原発事故の後は、日本のみんなもヨードを取るために食べているのだろうなあと思いながら、わたしもひじきの煮物やこんぶをたべていました。同じものを食べていると想像するだけでつながっているような気持ちになるのでしょう。

 わたしはあまり凝り性でないので、普段はパスタや、野菜たっぷりラーメンなどを食べていて、和食はお休みのときにゆっくりした気分で作ります。和食といっても、食材はひじき、昆布、わかめの海藻類、小豆などの豆類、ふや、高野豆腐、干ししいたけ。乾物を使っての料理なので、予定をあらかじめ立て、水で戻してというひと手間があるわけですが、イギリスにきてからはじめてふっくりしっとりやわらかな高野豆腐の煮物がこんなにおいしいということを知りました。

 お米はずっとイタリア産短粒玄米を食べています。それが手に入らないときで貧乏学生時代は、スーパーで売っている長粒種の、それも壊れている、とても安いお米を食べていたりしました。「これは日本ではくず米で、おせんべいになっていたりするのかな」と思いながらも、なんにせよ炊き立てはおいしくいただけますし(もう日本のかおり高いご飯の味を忘れたのかも)、長粒種は油がよくあい、チャーハンがとてもおいしいんです。

 漬け物がこんなに懐かしい食べ物になるとは思ってもみませんでしたが、5年前に日本に帰省したとき、なにが食べたいかと聞かれれば、「漬け物!」と自家製の漬け物を、だしてもらっていました。チベット僧の野口法蔵さんの家を訪ね、奥さんがつけたさまざまな漬け物をたっぷり味あわせてもらったときは、ほんとに極楽気分でした。

 ふとしたとき、昔見た映画ガイアシンフォニーの中で、「わたしは面倒くさいという言葉が嫌いなんです」と話しながら丁寧に漬け物をつけていた人を思い出します。

漬け物にこもった愛情は、微生物に伝わって、不思議な深い味に変わっていくのでしょう。

 リリーフランキーさんの「東京タワーオカンと僕と、時々、オトン」では、息子の朝ごはんに、一番おいしいつかり具合の漬け物を出すために目覚ましをかけて夜中につけていたリリーさんのお母さんの姿が描き出されています。

 いつかわたしも、おいしい漬物をつけることが出来るような人間になれるでしょうか。

 

(間美栄子 2012年 3月15日  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

     ブルーベルも伸びたがっている


第102話 冬至に思う

2011-12-21 20:39:54 | イギリスでの暮らし

     

 

102 冬至に思う

 

1221日は冬至。これで毎日暗くなっていくのが早まるのが終わるかと思うとほっとしますね。窓辺ではクリスマスカクタス(かにサボテン)も咲きはじめました。クリスマスももうすぐです。窓に色とりどりの透明な折り紙で出来たスターをはり、小さなクリスマスツリーを仕立て、ワインレッドのクッションや、マットを買って、あたたかい雰囲気のクリスマスの部屋の飾り付けをしたところです。

 

今年は誰にとっても大震災で大変な年となりましたね。平和も豊かさもあんのんとしていてはいられない、なにも永遠ではないことを思い知らされたようで、一瞬一瞬が大切に感じられます。原発事故のことで、もっと意識的に考え、暮らしていくことが必要になってきたようですが、この原発事故が人類史の中での「冬至」であってほしい、ここからさきはすこしづつ明るくなっていく、と願うばかりです。

  

私の2011年を振り返ってみると、携帯電話のカメラできままに写真を撮り始めたことがひとつ。職場の周りの自然や、木や陽ざしを撮って遊んでいると、もりのこびとになったような気がします。クローズアップにするとどんな植物も美しいものです。

毎日お昼休みに同じ木の根っこに座ってピクニックして季節を定点観察しているのですが、春のブルーベルも、夏の雲も、秋の黄葉も、虹も楽しむことが出来ました。

 

それから、日本から友達が遊びに来てくれたおかげで、ナショナルトラストに加入して、さまざまなガーデンめぐりをしました。これまではリージェントパークのクィーンズガーデンのばらと、ハイドパークのバラ園が美しい、と思っていましたが、まだまだ目を見張るばかりのすばらしいガーデンがいっぱい。

 

テートギャラリーの会員にもなったので、ゴーギャンやミロ、マグリットの展覧会や、さまざまなモダンアートもみる事が出来ました。

 

晩秋になってからは、いえにこもり、20年も前のふるいセーターやカーディガンの穴やほつれの繕いを楽しむようになりました。縫い物をするようになったとは、私も落ち着いてきたものだなあ。

 

今日は霜が降りてとても寒い朝でした。フットボールフィールドの中のコンクリートのフットパスを自転車で行くと、霜のひとつぶひとつぶが朝日で輝いて、ぎんと金の道の上を体が浮かんでいるようで、不思議な体験をしました。

 

 原発のことなど、落ち込みがちな心を、どう自分で明るくし、美しいもの、ほんとうに大切なものを見つめていくのか、日常の中の美を見つけていくのかが、3.11以降のこころのもちかたなのかなと感じています。

 

今年も本当にお世話になりました。いろいろ支えてくださってありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。

Merry Christmas.

 

(間美栄子 2011年 1215  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 


第七十話 ちょっと退屈な、イギリスで家を買うお話

2010-07-31 17:08:28 | イギリスでの暮らし

*私の勤務する病院は樹齢の古い、大きな木が多くある広いガーデンに囲まれているのですが、ある患者さんとはいつも同じ一本の樫の木の根元に腰を下ろしてアートセラピーをしています。
ふたりでそばにあるニワトコの葉や花を観察し、スケッチしていた夏も過ぎ、今は緑色の実をつけています。もうすぐこの実も紫色に変わるでしょう。刻々と季節が移りゆくのを感じます。

第七十話 ちょっと退屈な、イギリスで家を買うお話

この夏は3年ぶりに日本に帰省して、両親に顔を見せたり、同窓会に出たり、旧友たちとカラオケに行ったり、さらには、東京でアートセラピーのワークショップとトークをする、という予定まであったのですが、トンブリッジウェルスで家を購入するプロセスが思うようにはかどらず、飛行機が予約できず、今回は日本行きをあきらめることになりました。

こちらの「家を買う」というのは、日本の「マンションを買う」みたいな感じでしょうか。家を新しく建てるということが無い国なので、みんな家族の大きさの変化にしたがって何回も家を買い換えていきます。私は定年65歳までの18年住宅ローンを組んだのですが、支払額は借家を借りる月々の家賃と変わらないので、若いカップルでも家を借りるより買う、というのが普通のようです。弁護士が売買の中に入り、契約の書類を作るので、費用はかかりますが、ストレートにことが運んだ場合は3ヶ月で手続きできるので、簡単といえば簡単かもしれません。

私の場合、一人暮らしになるわけですから、誰の都合を考えることもないし、どんなサイズでもいいので、条件はただ一つ、「広い庭があり、森に面している」ということで、インターネットで探し、物件を実際見るのに一日使い、その場でこの家、と決定。予算をはるかにオーバーしていたのに無理押し。

普段暮らしているときにはあまり意識しないものですが、なにかことが起きるとき、決断をしなければならないとき、人の性格というものははっきりと見えてくるものです。私は、自分の向こう見ずなところ、オプティミスティック、という面を再認識したわけですが、まあ、そうでないと、この森に面した家は買えなかっただろうから、弁護士の費用がどのくらいかかるとか知らないでいて、かえってよかったのでしょう。

ところが運悪く、評判の悪い大きな弁護士のカンパニーにかかってしまい、プロセスはスローダウン。オプティミスティックすぎて、ブリストルの借家からトンブリッジウェルスの新しい家に直接引っ越せると当てにしていた私は、まだ引越しの準備もしておらないのに、5日のうちに借家を明け渡さなくてはならなくなってしまいました。

あわてて、貸し倉庫にピアノや洗濯機などを入れて、古いセカンドハンドの家具や山のように積み上げられていた自分が描いた絵など、資源リサイクル場に5往復もして捨ててと、おかげで大々的な「ふりだしにもどる」ことになりました。でも、これでなんとか過去を後にして、新しい生活を始めることができそうです。リュックサックひとつでイギリスに移住したときのことを思い出します。

自分自身の、物を捨てない、掃除をしない、という悪癖は今度こそ直さなければならないなぁと思い知らされた次第です。

(間美栄子 2010年 8月1日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)


第六十三話 イギリスの田舎「コッツウォルド」のストラウド

2010-04-20 06:25:33 | イギリスでの暮らし

*春ですね。病院の周りのフットパスを行くと、フィールドでこひつじたちがちちを飲んでいたり、はねまわっていたり、昼寝をしていたりと、かわいらしい姿を眺めることができます。
アートセラピールームでは患者さんたちと「春の木」をやさしい茶色の幹に、薄緑の芽、そしておひさまの黄色で描いています。

第六十三話 イギリスの田舎「コッツウォルド」のストラウド

私の第二の故郷とも言えるストラウドでは、当時毎朝運河ぞいの道を歩いて
通っていましたが、春には白鳥がそこで雛を産み育てていました。
うわさでは誰かが白鳥に腕をへし折られたということで、「シャーシャー」という親鳥の警戒して人を脅す声もひどく恐ろしく感じられたものです。
この運河はかつてはテムズ川につながっていて、羊毛の運搬に使ったのですが、今は植物が生い茂り、舟の行き来はできません。

ストラウドのおへそともいえるMills Café は、コートヤードにテーブルといすが出してある、たっぷりのサラダとキッシュが人気のカフェで、その店主は日焼けした顔にいつも笑顔のマギー。

マギーはLETS (Local Exchange Trading Systems)を通して太極拳を教えた生徒さんなのですが、交換にマギーが夜カフェでやっている「トーンニング」に私も参加していました。「トーンニング」は、「オンチ」という人たちも出したい声を出して、それぞれの声が一緒にハーモニーを作っていくのですが、普通の歌を歌うのとは違って、原始的な、体とつながった感じで面白いボイスワークでした。

マギーのほかにもストラウドのLETS で知り合いになった人はユニークなひとたちが多く、緑の党のクレアーとポールの夫妻には今も刺激を受けています。かれらはコミュニティファームで農作業をしたり、ホームレスの若者を自宅に泊めてあげたりとコミュニティ活性化のためにさまざまなことを精力的にやっているのです。

女性同士のカップルの人たちもいましたが(イギリスではゲイ、レズビアン同士の結婚が認められています)彼女たちは、現在フォスターケアーにある子供たちをふたりで育てています。

イギリスは一歩都会を出るとほとんどが田舎なのですが、ストラウドのようなオルターナティブ田舎は、自然あり、面白い人たちあり、と私にとっては理想郷のようなところといえます。少し早いですが、定年退職後はやっぱりストラウドに戻ろうか、などと考えたりして。

(間美栄子 2010年 4月15日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)


第三十六話 車窓にて

2009-07-18 17:58:46 | イギリスでの暮らし

*久しぶりに庭に出てみると、もう、薄青紫色の小さな犬のふぐりの花が咲いていました。
皆さん「英13歳の少年父になる」という最近のニュースをお聞きになったかもしれませんね。このニュースの裏には、深刻な社会事情がありまして、どうしてイギリスではティーンエイジャーが簡単に親になったりするかというと、国からの手当てで、住む所も、生活費も、まかなえるからなのです。
手当てと人間のモチベーション(やる気)とはかなり難しい関係にあるようです。イギリス人よ、誇りを取り戻してくれ、とわたしも(納税者)いいたい!

第三十六話 車窓にて

わたしはよくカンファレンスやワークショップ、インタビューなどでいろいろなところに汽車旅をします。タンカーが沈没するようなすごい嵐の朝、旅をしたときもあったし、すばらしい朝焼けで、ひらめきがわくようなときもありました。

でも、ウェールズの旅はちょっと緊張します。だって駅名が,まるでキーボードをでたらめに打ったかのごとくのウェールズ語で書いてあるので、どこを走っているのやらわからないのです。私の家の近くの丘からセバーン川の向こうに見えるウェールズは、すぐそこなのに、外国なのです。

さて、カンファレンスにいくと出会うのは、極東アジア出身の博士課程の学生たちで、台湾、中国、香港、韓国と、国は違っていても共通なのは、孔子の教え、儒教がまるで血液の中に流れているかのようで、控えめで、陰日なたなくがんばることを美としている価値観、文化がそこにあります。

なずなのピアノのコンペティションに行くと、そこにきている若い人たちの多くは極東アジアの子弟で、「おいおい、イギリス人のこどもたちはもう楽器を習うという辛抱強さが、なくなっちまったのかい?」と思ってしまうほどです。

イギリスの何でもWell Done! のおっとりした文化の中で育ったなずなですが、極東アジア的価値観もなぜかもっていて、これからどうやって折り合いをつけて行くのか楽しみなところであり、大変でしょうなーといったところです。

(間美栄子 2009年 3月1日)


第三十五話 古風なジャパニーズ

2009-02-22 18:55:47 | イギリスでの暮らし

*日が長くなってきましたね。春ももうすぐそこ。
24日はShrove Tuesday という日で、翌日からレントという、キリスト復活のイースターまで続く、苦しみ、ガマン、の季節となります。レントの期間中(約一月半)肉や卵を食べるの断つクリスチャンもいて、この日は最後のチャンスなのでパンケーキ(クレープ)を焼いて食べるのが慣習です。クレープに砂糖とレモン汁を振りかけてくるくる巻いていただきます。

第三十五話 古風なジャパニーズ

こちらのわたしの部屋に藍色の、白く「徳」と染め抜いたのれんがかかっています。それを見ると昔、ある人からよく連れて行ってもらった、新潟古町のスタンド赤ちょうちんを思い出します。大正時代の粋な人で通っていたおかみ、徳さんは、わたしのような娘っ子は無視でしたけれど、常連さんしか入れないそのお店に行くのは、タイムトリップのようで好きでした。いったいどういうコスチュームなのか、いまだに分かりませんが、頭にターバン、人形のようなおしろいとお化粧の太った女のギターの流しの人が来たりしていました。

なずなは8歳のときに学校の小さなオーケストラに入りたくてバイオリンを初めました。
うちに誰か日本人の人が置いていった、「美しき日本のうた」という本があり、ある日、なずながその本を見てバイオリンを弾きだしました。
私も知らない古い唱歌が流れてくるので、その侘びしい音楽と英語ペラペラの小さい女の子との組み合わせがおかしくて、笑い転げてしまいました。そして外国で暮らしているとこんなふうに純粋培養の古風なジャパニーズができたりするんだなーと思いました。

以前、ある男友達に、「間さんの後ろにはお酒のボトルが並んでいるというイメージなんだよな」と言われたけれど、そんなに人のエピソードを聞くのが好きなら、その人の言うようにあかちょうちんのおかみになったらいいのかも。そして変な日系人の流しの音楽つきでね。

(間美栄子 2009年 2月15日)


第三十二話 ラフカディオハーン;もっと高いところに

2009-02-11 16:47:28 | イギリスでの暮らし

* 新年明けまして、おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。景気後退もなんのその、大晦日には近所でもたくさんの花火が上がっていました。今年も良い年になるといいですね。わたしたちは101ウィシュを更新し、また新たなる望みの実現に向けてがんばりたいと思っています。
さて、お正月といえば年賀状、年賀状といえば富士と日の出。今回は富士にまつわるお話です。

第三十二話 ラフカディオハーン;もっと高いところに

私に影響を及ぼした本の中に、ラフカディオハーン、日本名小泉八雲の「心」がありますが、この本には彼が日本で出会った、いろいろな人のエピソードが綴られています。そのひとつに、明治初期の激動のさなかの日本を旅立ち、ヨーロッパを放浪したある一人の若き侍がどう苦学し西洋から日本を見つめなおしたのかを描いた物語があります。

長い年月を経て、その若者が日本に帰る船が日本の陸地に近づき、甲板は外人が富士を見ようと騒がしくなっています。
ところが彼らには富士が見えません。すると船員が、「目線が低すぎる。もっと高いところをみるのだ。」と教えてくれます。富士は雲の中にその頂をそびえていました。

異文化の中で暮らし、さまざまな価値観や考え方を学んだ彼が、この瞬間、日本文化の精神性の高さを富士を象徴として理解し、ついに帰郷したことを涙して味わうのです。

新聞も読まず、インターネットもせず、テレビも見ないで(明治初期のよう)10年を過ごしてきた私は、まるでもう日本のことを忘れてしまったかのようでしたが、心の深いどこかには、「もっと高いところにあるはずの日本」への気持ちを潜ませてきているのだと思います。もしわたしにそれが見えないなら、目線が低いということでしょうか。ニュースには現れない、日本文化の精神性の高さがどこかにまだあると信じ、いつかそれを探してみたいと思っています。

(間美栄子 2009年 元旦)


第三十一話.  異国で暮らす

2009-02-11 16:46:28 | イギリスでの暮らし

* 師走で皆さん忙しい事でしょう。私は今日はキャンドルライトでクリスマスキャロルを歌ってきました。
今年もメール通信におつきあいくださってありがとうございました。
いろいろなところに行った話、そしてシュタイナーのことなど、書きたいエピソードは、まだまだたくさんあるのですが、さらに数年かかってしまいそうです。どうぞ気長にお付き合いください。それでは、笑いがいっぱいの、よいお年をお迎えください。           
                                   
 第三十一話.  異国で暮らす

イギリスにいて、さまざまな理由でいろいろな国から来た人々に出会います。いつもお世話になっている大学のコンピュータテクニシャンのエクタは中国系マレーシア人で、子供たちの高等教育のためにイギリスに移民しましたが、エクタもホームオフィース(内務省)を相手取って裁判をしたといっていました。

アサイラムシーカーの人たちのことを考えると、私などは働けるだけでもありがたいといわねばなりませんが、ふと,このちょうどの経済状態で異国で暮らすというのは、巡礼をしているのに似ているのではないかと思いました。
お金、もの、家族、友人。自由とは何か。幸せとは何か。人間とは何か。人生とは何か。限られた状態の中で、さまざまなものの価値が見えてくるというかんじです。
そんなことやらを考えながら、毎日歩き続けていると、いつか、たどり着く、そんな信念が、一見何の変わり映えもしないいちにちを感謝の言葉で終わることができるようにしてくれています。

11年前の冬、フィンドホーンでイギリス移住を決意して以来、シュタイナーの哲学、アンソロポソフィーを学んだり、アートセラピーを学んだりと自分をストレッチしてきましたが、先週ついに、イギリスでの永住権をもらうことができ、初めてほっと、リラックスしています。

不思議なことに、いつもああだこうだと言い争いをしているなずなとわたしが、それぞれ学校や職場で一日を楽しく過ごし、家でも二人で笑いあっているときに、この良い知らせが来ました。私は、「これがタイミングなのかな」と思いました。それはまるで、探すことをやめて家に戻ったとき、幸せの青い鳥はそこにいたという、メーテルリンクの青い鳥のお話のようで、永住権もお金もない不安定な状態でも、十二分に幸せだといえる心になれた私たちへのご褒美のようでした。

(間 美栄子 2008年 12月15日 )


第二十八話. 夜の特別講義

2009-02-11 16:40:29 | イギリスでの暮らし

* 秋も深まってきましたね。ここ数日の霜でAsh(トネリコ)の木は葉っぱをいちどきに落として公園の道につもらせています。
ぷくんと膨らんだスカートのように見える、フーシャは、まだ花を咲かせています。花の季節が半年もあるこの花木はこちらではとてもポピュラーで、うちにも赤、白、ピンクと3本の木があり、毎年たっぷり楽しませてくれています。

第二十八話. 夜の特別講義

ロンドン大学の大学院でアートサイコセラピィを学んだときは、週二日の大学での講義、ブリストルの精神病院での二日間の実習、症例研究の論文書き、さらに必須の自分自身のサイコセラピィ、そして週末のアルバイトと、ぎっしりの一週間で、二年を過ごしました。
毎週毎週、朝五時の長距離バスでロンドンに通うのが、寒くて眠くてつらかった。

シュタイナーハウスの掲示板に、「太極拳のレッスンとの交換で週一泊の宿求む」と広告したところ、ある男の人がそれに応じてくれました。
その人のアパートにはペンダントの明かりはなく、電気スタンド。お茶を沸かす水はお風呂の蛇口から。料理は電気トースターで。どうやってもいけるもんだと、慣れた頃、大学院のクラスメートでハーフ香港人の人が、「わたしの母のところに泊まったら」と言ってくれました。 

訪ねていくと、そこはロンドンの高級住宅地の一角で、家中ふかふかのベージュの絨毯が敷き詰められており、吹き抜けの階段の手すりは金色に輝いています。キッチンは赤で統一されて、テーブルも椅子もカップもお皿もやかんもタオルも、みんな赤。私が泊まらせてもらう部屋は水色でまとめられていて、大きなお風呂もついている。キングサイズベットや豪華な家具。

そのお母さんはクリスチャンで、以来二年間、わたしは真夜中まで続く、神についての特別講義を毎週聴くということになりました。ちなみにこのファミリーは郊外にも家を持っていますが、広いお庭で、門から建物までの道が長かった。この財産は香港人のお父さんが一代で築きあげたものだそうですが、娘もそのお母さんも、それは神から与えられたものとして見ていました。
                     
(間 美栄子 2008年 11月1日 )


第二十話.  心の中の炎

2008-10-05 18:13:38 | イギリスでの暮らし

*夏至の季節、北の国であるイギリスは、夜10時になってもまだぼんやりと明るいのです。我が家の庭では、3年前に草むらから掘り起こしたバラが、板塀や家の壁に10メートルにも伸び、まるで桜のように満開に咲いて香りを放ち、明るい夏至の夜に不思議な雰囲気をかもし出しています。

第二十話.  心の中の炎

わたしは学生ヴィザでイギリスに滞在しているので、週20時間しか働けません。アートセラピーの実践をしたいと思っても、学生ヴィザでは個人経営はしてはいけない法律になっているし、と状況が限られて、自分ではどうにもならないという閉塞感。でもその中で考えたのは、このいきづまった状況が学びの時なのかもしれないと。一見与えられている様でいて、じつは自分で選んでいる状況、ともいえるのではないか、と。

以前に紹介した、ポジティブサイコロジーのテッサ、の夫ファビオはイタリア人で、わたしに「心の中の炎」ということを教えてくれました。
彼は外国人としてイギリスに暮らすことをポジティブにとらえていますが、それは、もしイタリアの小さな町にずっと住んでいたら、なにくそ、と思うことがないからだといいます。イギリス人の外国人に対する馬鹿にしたような態度。それにへこたれることなく、それをもすら燃料として、強さが養われていき成長していきます。そんなファビオはロンドンに住む何人かの架空のイタリア人の日常や内面を描いた小説を書いているところです。

わたしのPhDのスーパービジョンでは、いつも超難解な単語を使って話す新米指導教官の一人が、私が書いた原稿があんまり文法的に貧しく、幼稚な表現なので中身がまるで読めなかったといってくさったけれども、「あと何年かして、もっと英語ができるようになったときをみて御覧なさい」
と、心の中でひそかに炎を燃やすのでした。

(間 美栄子 20087月1日)


第十九話 長屋のくらし

2008-10-05 18:12:15 | イギリスでの暮らし

* 鳥のさえずりが響き渡る季節となりました。ひときわ美しい歌を高いところから聞かせてくれるBlack Bird は、日本語ではクロウタドリというのだそうです。Black Bird の親が、一生懸命地面をほじくって得たみみずを、後ろでぼーっとつっ立っている、羽毛がふわふわなだけに親より大きい体の雛にあげているのは、なんだかおかしくて笑ってしまいました。

 第十九話 長屋のくらし

イギリスの家は、たいがい壁を接してずらーと繋がっています。友達から「それはテラスハウスでしょ」と言われ、ああそうか、と思ったけれど、「やっぱりうちは長屋なんだよね」と思う時もあります。声や匂いまで筒抜けで、左隣のインド人の人の壁からはカレーの玉ねぎの香ばしい匂いが漂ってきます。

右隣の家の夫婦は明るく気のいい人たちで、ガレージの屋根の上にパンなどを置いておくので、カケスやカモメや鳩やカラスたちが、大喜びで食べています。ストラウドの時の隣人は外国人が嫌いで、きれいに花をうえ、白雪姫と七人の小人なんかしつらえて、完璧、人工、という庭でしたが、鳩が小鳥のえさを食べたりすると、「あっちいけ、この鳩やろう」とどなって、いじわるでした。という具合に人柄を隠せないのが、長屋なのです。

私たちの前にこの家を借りていたグレンさんは「本物の自然」愛好家で、庭の芝生を一回も刈ったことが無く、伸ばしっぱなしで8年を過ごし、ついに追い出されたのでしたが、髭や髪の毛も伸ばしっぱなしという伝説の人で、残された数々の石を見るとわたしと似たような趣味をしていて、会ってみたいような気もします。

当時の隣人のベルギー人のおねえさんは鮮やかな色のバラをたくさん植えて、大輪のバラの花一つ一つに念入りにスプレーをして凝るタイプの人でしたが、近所の子供によると「グレンさんの自然王国から這い出してきた蛇を、怒って切り刻んで鳥にあげちゃったんだよー」ですって。
まあ、長屋には私たちも含めて、いろいろな国のいろいろな人が住んでいるものです。

(間 美栄子 2008年 6月15日)


第十七話. 岸辺のアルバム

2008-10-05 18:10:58 | イギリスでの暮らし

*お元気ですか。私は昨日、永住権申請のための、Life in the UK test というのを受けてきました。テキストによると、イギリスでは両親がそろっている子供は65%、片親と暮らしている子供は25%、そして義理の親を含めた家庭(stepfamily)の子供は10%、ということで、このような数字を暗記してテストにのぞんだのでした。

第十七話 岸辺のアルバム

「岸辺のアルバム」は30年も前の、ジャニスイアンのWill you dance? が主題歌、八重歯の国広富之が高校生の息子、中田喜子が米人兵と付き合う女子大生、杉浦春樹が冷たいお父さん、八千草薫がお母さんで、竹脇無我がお母さんに思いを寄せるサラリーマンを演じていた、当時は衝撃的であった山田太一ドラマですが、イギリスでは「岸辺のアルバム」のように、みんなバラバラな家族をよくみかけます。

おかあさんにもおとうさんにも、それぞれほかのパートナーがいて、せっかく大きな家を持っているのに誰も住んでいないで、高校生が一人でいたり。
なずなが小さい頃の同級生の親は別居をしていても、それでも子供が小さいのでまだ交代で面倒を見ていましたが、高校生ともなると、お金だけ与えてほおっておくこともできるわけで、体は一人前でもまだ心は危ういのに、かわいそうと感じることも多々あります。

でも、昔の夫も今の夫も、義父兄妹も、全員一緒に食卓を囲んだりしているのを見ると、あっけらかんとしていて、いいなとも思います。夫も妻も相手を所有しているのではなく、気持ちが離れてしまったら、そして他の人を好きになったりしたら、その気持ちに素直になることもよい訳で、子供たちもそれを受け入れているようです。
シングルマザーもここではほとんど普通、と言ってよく、私には大変暮らしやすい社会であるわけですが、一人一人が生きたいように生きれるようなんとか工夫する、いろいろな家族の形があって、いいのかもしれません。

( 間 美栄子 2008年 5月15日)


第十二話 映画Piano (邦題ピアノレッスン

2008-10-05 12:59:05 | イギリスでの暮らし

* BRISTOLにあるWatershed、港を再開発してできたウォーターフロントの映画館は、新潟でいえばWIND、のような変わった映画をやるところで、先週は日本の普通の人たちの映画特集が満員御礼でした。(私たちは入場できなかったのです)
むかし新潟で冬にアジア映画祭があって、アジア各国のあったかいスープを飲んだりしたなぁ,なんてふと懐かしく思い出しました。

第十二話 映画Piano (邦題ピアノレッスン)

映画ピアノの主人公エイダは夫を目の前で落雷によって失い、おしになってしまいます。そして、話せない代わりにピアノを弾いて辛い感情を表すのです。
そのピアノの曲は激しく、悲しく、ちょっと狂っていて、砂浜に置き去りにされたピアノと海の映像とともに、胸に迫ってきます。

主人公に幼い娘がいたこともあり、ずっとじぶんの思っていることが英語で表現できずにいたわたしは、そのピアノの曲を自分自身のテーマソングのようにして、いつもいつも聴いてきました。

こちらに来た直後は、気持ちがオープンで、どんどん英語で話しかけていたのですが、時とともにそれがなえてきます。私のように、批判家は、うまく話せないことを恥じて、口を閉ざしてしまうのです。もう何年もイギリスに学生として住んでいるのに、とイライラしたり、あせったり。
日本企業戦士の奥さんなどは、かえっておっとりとしていて、いいみたい。それと気持ちの丸い人は、自分を責めたりしないし、ボーイフレンドができたりして、英語の上達が早かったみたいでした。

5年もたち、都会のブリストルに移った頃から、話せないなら頭も悪い、というように人に見られることに、もう、ほとほといやけがさし、かなり落ち込み、ついにわたしはおしになってしまいました。電話は大嫌い。もうぜんぜん英語で話したくなんかない。

それでも修士論文を書き終えた頃、やっと少しずつ回復してきて、ひらきなおりがはじまりました。ふときづくと、なずなに、そのピアノの曲を弾いて、と頼むこともあまりなくなりました。いまでもまだ時々、一人でこっそりCDで聴いてはいるけれど。
  
        
(現代作曲家のマイケル=ナイマンによる そのピアノの曲の題名は 'The heart asks pleasure first')

 

間美栄子 2008年 31  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第十一話. Let’s dance!

2008-10-05 12:58:12 | イギリスでの暮らし

*日は長くなってきていますが、まだまだ寒いですねー。10年ぶりに星野道夫さんの本を取り出して、汽車を待つ間に読んでいます。アラスカの大自然の中で暮らす星野さんからのお手紙のような本、「旅をする木」です。
大自然=小自然、とはいかないまでも、身近でも感じられる季節の移り変わり、植物、などもまんざらでもないものですが、やっぱり大自然はいいなぁ。

先日すごーく久しぶりにケイリを汗だくで踊ってきました。それはストラウドの緑の党のファンドレイジングで、環境問題を考え、行動する昔の友人知人にも久しぶりに会うことができました。踊りの合間に、柏崎原発のことも、話してきました(誰もこの夏の地震のニュース聞いてなかった!)。
                      
                 
第十一話 Let’s dance!

寒くなると思い出すのが生バンドで踊りまくる、アイルランド&スコットランドのフォークダンス、ケイリです。ストラウドに住んでいたときは、これが季節もので、冬中毎月一回は行って真夜中まで踊りました。パートナーと速くくるくる回るスピンの部分が憂さを晴らすという感じで好きでした。

ストラウドは商店街は一箇所なので、どこを歩いていても知っている人に会ってしまうという小さな町でした。緑の党からでていた町長さんもいつも自転車を引いて坂道を歩いていました。路上で冬でも夏でも一年中キーボードを弾いていた名物おじさんは10年経った今でも相変わらず弾いています。

この小さな町にはLETS (Local Exchange Trading Systems)という、労力交換のグループが発達していて、私は太極拳を教えていました。そうして得たLETSの地域通貨と交換で手に入れたものには、喫茶店での食事、焼き物のお皿や花瓶、ドイツ語のレッスン、大きなものではピアノといったものがありました。

ある寒い晩、チェルトナムまで車を乗り合わせてケイリに行きました。LETSのメンバーのひとり、80歳を超えたおじいさんアズマも一緒で、速くは踊れないけれど楽しそうにしていました。終わって帰るとき歩道も凍っていてつるつるで、アズマが転んだら大変と、ひやひやしたのを覚えています。アズマは今は天国にいますが、彼からLETS で交換してもらった観葉植物エレファントイヤーズは巨大に育っていて、ときどきストラウドでの楽しかった事を思い出させてくれます。

(間 美栄子 2008年2月15日)