昨日久しぶりに高校時代からの親友から電話がきた
彼女とは高校卒業後一緒に上京して
私はデザイン学校 彼女は洋裁学校とそれぞれの道を選んだのです
当時飛行機はほとんど利用せずに汽車と青函連絡船を乗り継ぎ24時間かけて上野に着きました
その後 彼女のお姉さんが埼玉の大宮に居てそこに1週間ほど居候させてもらってそれぞれ学校に近い場所にアパートを見つけたのです
彼女は代々木。。私は原宿に落ち着いたのです
そんな頃の話を昨日話していてそう言えば夏休みに帰省したとき
また東京に戻るときに二人で旅行しながら帰ろうってことになったのです
二人で決めたのは時刻表も持たず 計画もなく行き当たりばったりで鈍行列車を乗り継いで行く。。というものでした
1日目は釧路を発ち帯広で乗り継ぎ広尾まで行き1泊しました
広尾からバスでえりも岬まで。。
当時こちらでは「カニ族」と呼ばれ大きなリュックを背負って旅をしている学生が多かった
その中で私たち二人はボストンバックに長い傘を持ちお揃いのウィンドブレーカー姿で相当目立っていました(笑)
鈍行列車にはカニ族の若者がたくさんいて自然に話をしたりしたけれど多くの人がそんな出で立ちの私たちに感心があるのか必ず
「どこから来たの?」
「どこまで行くの?」
と言う言葉をかけられました
そんな時私たちは「あっちから来てこっちかなあ」
と言っては笑ってました
えりもからはまたバスで様似まで行き様似からは札幌まで鈍行列車
なにしろ時刻表を見てないので田舎だし乗る汽車も何時間も時間があったりしました
だけど一つも退屈もせず時間を過ごせたのは若さのせいだったんでしょうね~
札幌では大通公園で時間をつぶし さほど観光もせず夜行列車で函館に向かいました
これにはここだけちょっとした計画が。。
それは青函連絡船は昼に乗りたかったからです
それまでは上京するたびに連絡船はほとんど夜中でした
昼間の連絡船に一度乗ってみたかったからです
朝方函館に着きいざ連絡船に乗込みました
函館にしても青森にしてもなぜかみんな桟橋を走ります
きっと2等席の場所の確保のためなんでしょうけど。。
まあ。。私たちは走りませんでしたけど(笑)
雄大な津軽海峡
見えてくる青森。。
記憶の中で鮮明に・・そして鼻の奥では青森に着いたときのあのりんごの甘酸っぱい香りが蘇ってきます
青森からさあ・・どっちに行こうか・・
山形行きと仙台行きの列車がホームをはさんで左右にありました
私たちは持っていた長い傘を立て「倒れたほうだね」と倒してみました
ところが最初は進行方向に倒れてしまいお腹がよじれるだけ涙が出るだけ大笑い
箸がころがってもおかしい年頃・・・だったようです
結局傘は仙台行きに倒れて乗込みました
目的がないから行き当たりばったり。。
乗込んだ列車の中で「そうだ!花巻温泉に行こう!」と決めたのです
花巻駅からバスに乗り花巻温泉に着いたときはもう日も暮れたころでした
さすがにどうしよ・・って二人で呆然としていたらどこかの旅館の人らしいおじさんが声をかけてくれました
「宿きまってるのかい?」って
私たちは一応宿泊料金だけ聞いてそんなに高くなかったのでそのおじさんに着いて行きました
温泉に入って食事が運ばれてきてなんだかこの旅で一番贅沢だね~~とまた大笑い
ただ。。だされた食事は「鯉こく」・・
これは食べられなかったことが今はとても残念でした
花巻温泉ではなんの花だったんだろう・・
あちこちで綺麗な花が咲いていた記憶があります
花巻温泉からはまたバスで花巻駅まで行き今度は仙台に向かいました
仙台ではちょっと観光をした記憶が・・
それからは確か夜行に乗って上野に辿りついたと思います
学生だった私たちができた旅だったけれどとっても楽しかった
そんな話を昨夜話して懐かしくもあり そして旅が好きになった原点だったかもしれません
今 彼女は横浜に住んでいます
高校時代はいつも何処行くのも一緒で。。
離れていても時々こうやって思い出話に慕って当時を思い出します
彼女も上京してからずっと都会暮らし
今日まで波乱の人生を送ってきました
そして数年前に癌を患い。。それからちょっと精神的にまいってるようです・・
昨夜の彼女はいつになく元気でちょっと安心したけれど昔話を本当に懐かしがって話していました
病気は快復に向かって命に別状があるわけではないのだけれど精神的なことから早く立ち直ってほしいと思う
電話の最後は宝くじを当てまた二人で旅行をしようね~
本当に二人でまた旅をしたいです
彼女とは高校卒業後一緒に上京して
私はデザイン学校 彼女は洋裁学校とそれぞれの道を選んだのです
当時飛行機はほとんど利用せずに汽車と青函連絡船を乗り継ぎ24時間かけて上野に着きました
その後 彼女のお姉さんが埼玉の大宮に居てそこに1週間ほど居候させてもらってそれぞれ学校に近い場所にアパートを見つけたのです
彼女は代々木。。私は原宿に落ち着いたのです
そんな頃の話を昨日話していてそう言えば夏休みに帰省したとき
また東京に戻るときに二人で旅行しながら帰ろうってことになったのです
二人で決めたのは時刻表も持たず 計画もなく行き当たりばったりで鈍行列車を乗り継いで行く。。というものでした
1日目は釧路を発ち帯広で乗り継ぎ広尾まで行き1泊しました
広尾からバスでえりも岬まで。。
当時こちらでは「カニ族」と呼ばれ大きなリュックを背負って旅をしている学生が多かった
その中で私たち二人はボストンバックに長い傘を持ちお揃いのウィンドブレーカー姿で相当目立っていました(笑)
鈍行列車にはカニ族の若者がたくさんいて自然に話をしたりしたけれど多くの人がそんな出で立ちの私たちに感心があるのか必ず
「どこから来たの?」
「どこまで行くの?」
と言う言葉をかけられました
そんな時私たちは「あっちから来てこっちかなあ」
と言っては笑ってました
えりもからはまたバスで様似まで行き様似からは札幌まで鈍行列車
なにしろ時刻表を見てないので田舎だし乗る汽車も何時間も時間があったりしました
だけど一つも退屈もせず時間を過ごせたのは若さのせいだったんでしょうね~
札幌では大通公園で時間をつぶし さほど観光もせず夜行列車で函館に向かいました
これにはここだけちょっとした計画が。。
それは青函連絡船は昼に乗りたかったからです
それまでは上京するたびに連絡船はほとんど夜中でした
昼間の連絡船に一度乗ってみたかったからです
朝方函館に着きいざ連絡船に乗込みました
函館にしても青森にしてもなぜかみんな桟橋を走ります
きっと2等席の場所の確保のためなんでしょうけど。。
まあ。。私たちは走りませんでしたけど(笑)
雄大な津軽海峡
見えてくる青森。。
記憶の中で鮮明に・・そして鼻の奥では青森に着いたときのあのりんごの甘酸っぱい香りが蘇ってきます
青森からさあ・・どっちに行こうか・・
山形行きと仙台行きの列車がホームをはさんで左右にありました
私たちは持っていた長い傘を立て「倒れたほうだね」と倒してみました
ところが最初は進行方向に倒れてしまいお腹がよじれるだけ涙が出るだけ大笑い
箸がころがってもおかしい年頃・・・だったようです
結局傘は仙台行きに倒れて乗込みました
目的がないから行き当たりばったり。。
乗込んだ列車の中で「そうだ!花巻温泉に行こう!」と決めたのです
花巻駅からバスに乗り花巻温泉に着いたときはもう日も暮れたころでした
さすがにどうしよ・・って二人で呆然としていたらどこかの旅館の人らしいおじさんが声をかけてくれました
「宿きまってるのかい?」って
私たちは一応宿泊料金だけ聞いてそんなに高くなかったのでそのおじさんに着いて行きました
温泉に入って食事が運ばれてきてなんだかこの旅で一番贅沢だね~~とまた大笑い
ただ。。だされた食事は「鯉こく」・・
これは食べられなかったことが今はとても残念でした
花巻温泉ではなんの花だったんだろう・・
あちこちで綺麗な花が咲いていた記憶があります
花巻温泉からはまたバスで花巻駅まで行き今度は仙台に向かいました
仙台ではちょっと観光をした記憶が・・
それからは確か夜行に乗って上野に辿りついたと思います
学生だった私たちができた旅だったけれどとっても楽しかった
そんな話を昨夜話して懐かしくもあり そして旅が好きになった原点だったかもしれません
今 彼女は横浜に住んでいます
高校時代はいつも何処行くのも一緒で。。
離れていても時々こうやって思い出話に慕って当時を思い出します
彼女も上京してからずっと都会暮らし
今日まで波乱の人生を送ってきました
そして数年前に癌を患い。。それからちょっと精神的にまいってるようです・・
昨夜の彼女はいつになく元気でちょっと安心したけれど昔話を本当に懐かしがって話していました
病気は快復に向かって命に別状があるわけではないのだけれど精神的なことから早く立ち直ってほしいと思う
電話の最後は宝くじを当てまた二人で旅行をしようね~
本当に二人でまた旅をしたいです