渡辺被告、、、留置場で出会った人たちによって、
本当の人生を取り戻せたことに気づいた。。。
人は人でしか救えない、、、。
「気づき」ってやっぱり何気ない愛。...
相手をちゃんと受け止めて見つめてあげることなんだな、、、涙。。。
(最終意見陳述より)
裁判資料を読み直していて、自分が逮捕されるまで所属していた派遣会社の役員さんの供述調書に「今まで何回か食事に誘ったことはあるのですが、酒は飲めないと言って断られ、1度も食事に行ったことはありません」という言葉を見つけて愕然としました。自分は確かにその役員さんから「酒を飲むか」とは何回か聞かれました。自分は酒を全く飲みませんので、その旨を答えました。自分が食事に誘われるなどということは自分の常識にありませんでしたから、それが自分への食事のお誘いだとは思いもしませんでした。
そのように考え始めると、自分は今まで膨大な量の人からの好意や親切や勧誘をそれと認識できずに拒絶し、結果として自覚のないままに人生において巨大な機会損失の山を積み上げていたのではないかと思い至りました。そのような考えを巡らせていた頃に取り調べを受けていて、
「渡邊さんは自虐的な物言いが多いですね」
と刑事さんから言われました。これは自分にとって衝撃的な一言でした。留置場に戻ってから留置担当官さんや他の被収容者にそれとなく聞いてみると同じような返答でした。自分は全く以て普通に話していたのにです。
自分は逮捕されてから4ヶ月間以上、髪を伸ばしたままにしていました。うなじや耳が完全に隠れるまで髪を伸ばしたのは生まれて初めてでした。自分は母親から、
「お前が髪を耳にかかるような長さにしたら、見苦しくて汚くて見るに耐えないからすぐに切りなさい」
という意味のことを子供の頃から30歳を過ぎてからも言われ続けていたので髪を伸ばすことに強い恐怖がありました。留置場で髪を伸ばしたのは「もうどれだけ見た目が汚くなっても構うものか」という自暴自棄によるものです。すると留置担当官さんから、
「髪が長くなって随分と見た目が優しい感じになりましたね。外でも基本はその髪型だったんでしょ」
と言われました。自分はそれまで信じていた世界観が全て崩壊したような気持ちになりました。
自分は誰からも嫌われていると思っていました。
自分は何かを好きになったり、誰かを愛する資格はないと思っていました。
自分は努力しても可能性はないと思っていました。
自分は異常に汚い容姿だと思っていました。
どうもそれらが間違った思い込みに過ぎなかったと理解した瞬間に、今まで自分の感情を支配していた対人恐怖と対人社会恐怖が雲散霧消してしまいました。
これらは自分の認知の狂いにより生じた事態でした。認知とは既に申し上げました通り物の見方や感じ方です。つまり心のセンサーです。このセンサーが客観的な数値から異常にネガティブな方向にずれており、それにずっと気がつかないまま自分は生きて来てしまったのです。例えるならば車は東京駅前を走っているのにカーナビは大阪駅前という位置情報を示していて、それを信じて運転していたようなものです。これでは車はとんでもない場所に行ってしまいます。あるいは色相と明度と彩度が反転する色眼鏡をかけて、そのことに気がつかずに絵を描いていたようなものです。これで色塗りが上手く行くはずがないです。
この認知の狂いがいつ起こったのか?結論はすぐに出ました。いじめられた小1の時からでした。細かく特定すると自分が「ヒロフミ」であると思い始めた時からでした。この認知の狂いは小学校の6年間でどんどん悪化しました。
自分の認知の狂いは留置場でリセットされて原点に戻りました。すると今までの自分の人生はまさに「生ける屍」の如きであったと思えて来ました。「ヒロフミ」であることをやっとやめられて渡邊博史としての人生が再スタートしました。