リモートの「世界」に移行する前に予測しているのが、「離婚するほどの大喧嘩が多発する」です。
これは、多分、この3ヶ月以内にあちこちで見られるようになり、一部では社会問題として認識されるようになると思います。
これも「男性性社会の変化」のひとつでして、「仕事と家庭を分ける」生き方は今後は終了する流れなのですが、この流れに抵抗して「仕事をやってるんだから家のことはその間できない!」というライフスタイルを維持しようとする方「この人は仕事をしているんだから、気を遣っていかないと」と自分を押し殺そうとする方は、漏れなく、近いうちに「ターニングポイント」を迎えることでしょう。
実は、この先に訪れることになる「女性性社会」は、「ひとりひとりが幸せをベースとする」となっていくような世界でして、めちゃめちゃ住みやすい状況になるのですが、そこまでの移行期間までに起こることは、家庭によっては「地獄絵図」となりまして、でも、実は、それらも含めて無意識がずっとずっとずっと求めていたことへの変化でもあるのです。
もう少し、さらに《実は》のお話をしますと数年前から起きている「本音を出そう!」「好きに生きよう!」「嫌なことを手放そう!」を本当の意味で理解して実行して来た方々については、こういったことはそこまで起きないと予想しています。
ここから「女の役割」「男の役割」は、どんどん曖昧になっていき、「ひとりのなかに両方」を目覚めさせていかないと、どんどんと追い詰められるようなことになるでしょう。
これは「ノンジェンダー」になるのとも、実は少し違います。
「両性が目覚めた女性」「両性が目覚めた男性」のあり方は、やはり「男女の違いの傾向」は存在するのです。
【女性性の時代】とは、「女が活躍する」というのとは単純に言い切れるものではなく、「優劣や上下関係(男性性)」から、「曖昧、調和、共存(女性性)」への移行ですので「女と男が共存する」という時代です。
そして、「先(願い)が女性性」ですので、「女性性の目覚め」ということを2014年辺りでは、僕もフォーカスしてお伝えして来ました。
さらに「受け取って叶えるが男性性」ですので、そろそろ女性性集合的無意識が、男性性社会(外側社会)の影響から「内なる声(女性性)に従って生きる」の大切さを自覚するようになった今こそ、実は「新しい時代の男性性」が、ようやく姿を表すことになります。
男性性には「願い」はある意味では存在しません。
それは女性性の内側に存在するからです。
ある意味では「女性性の幸福が喜び」が男性性の本質ですので、そういった意味での願いはあります。
「男性性(外側)社会」では、フォーカスは男性性も外側に向いています。
つまり、国造り。志を立てる。経済を回す。外に出て、限界になるまで身を捧げて尽くす。
これは「男性性の時代の男性性」の理想像であり、これから、それが脆くも崩れ去っていく、これを持続しようとすると、ポッキリ折れてしまうような出来事が多発することになるでしょう。
そして、新しい時代の男性性は「愛する存在」が「目の前にいた」ということに気づくことになるでしょう。
【国造り(外側の大きな目的)ファースト】ではなくなり、【目の前の大切な存在が誰かを決める】ことが、自分の潜在能力を開花させるということです。
そう、実は男性性自身が、これまでの時代に気付いていなかったこと、「愛する存在を器に乗せると、どこまでもサイズを拡大しつづけることができる」のです。
これは、目的志向、未来志向といった男性性のエネルギーとは違います。
身近、内側、愛、感覚といった女性性のエネルギーがベースです。
つまり、新時代の男性性もまた、ある意味では「愛に目覚めよ」ということになります。
そして「女性の中の男性性」「男性の中の女性性」という【両性の目覚め】がこれからあちこちで起きるようになります。
これが、「女性性(両方の共存)の時代」のスタートで、まずは「家庭か経済か」といった面は「家庭も経済も」「社会か家族か」といった面は「社会も家族も」といったように、「共存させる新しい世界をデザインする」という流れがどんどん加速することになるでしょう。
表面的には「女性は強くなる・目立つ(男性性の目覚め)」「男性は弱くなる・裏方に行く(女性性の目覚め)」という姿が多発することになり、【男性性社会の価値観】から見ると、随分と情けない姿に映ったりもするでしょう。
それと「アイデンティティ(外側を固める男性性)の喪失」ですね。
すなわち、会社、組織、肩書き、役職、職種によって「自分を表現」がどんどん通じなくなり「自己が存在しなくなっていく虚しさ」と向き合う方も増えていくことでしょう。
これもあちこちで起きまして「その瞬間瞬間の自分を表現する(女性性)」で生きた方が楽だなーという方がどんどん増えていくことでしょう。
確固たる自分を存在させようとする(自分があるという男性性)から、その時の自分の感覚を大切にする(自分がないという女性性)へと移行する大きな流れのひとつです。
「目の前の相手」も「繋がった、この瞬間の感覚」で捉えていくようになるでしょう。
いずれにせよ、すべては《流れ》ということになりますので、大なり小なりそこに乗るというようになっていき、最終的には「ずいぶんと住みやすい世界になったよねー」という状況になることでしょう。