ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

British Library♡♡

2018年02月24日 | 日記
 さっきからここに来て2時間くらい経っています。。
することをしたら気持ちも楽になると思うので、今からやはりサッサとし始めて、そして終わらせようと思います。

今夜は、数少ない貴重な友人とパブに行く約束をしたので、ワクワクです!♡!

M

2018年02月24日 | 日記
Mという名前の男の子に会いました。
同じ寮に住むフラットメイトで6人住んでいる中の一人です。
アメリカ人の男の子でブリティッシュイングリッシュを聞く機会の多い今の環境で
彼の話す英語はフニャフニャしています。
中性的な容貌に小さな顔と私の子どもといってもいいくらいの年齢の彼と話すことが
不思議と疲れて帰ってきた夜の気分転換になったりします。

彼が共有キッチンで煮ていた透明のトロトロしたシロップのような水飴についての説明を
その角のない英語でしてくれたり、私が煮物用にくり抜いていた桜型のニンジンを
Wow you change my life!!とそのアメリカ人特有の大袈裟な物言いで褒めてくれたり、
一番嬉しかったのは、寮に備え付けてあるランドリーの使い方を懇切丁寧に教えてくれたことです。

今のランドリー制度は目を見張るものがあり、事前にアプリを使って登録すると、そこからお金も出ていくし
ランドリー室に行かなくても今何番のマシーンが空いているかも把握できるし、洗濯物を放り込んで
部屋で待機しあと何分で洗い終わるかも確認できるという優れものです。
ただしその登録がけっこう時間がかかり手間取ります。それを懇切丁寧に、Mは日曜日の朝に共有スペースで
私と会ってしまたのが最後、コーヒーブレークの時間も掻き消えてずっとつきっきりで教えてくれ
更にはランドリーの場所まで一緒に行って、QRコードのかざし方や下と上のランドリマシーンを間違えないようにや
洗濯ものを放り込んだあとのバックを部屋に持ち帰らずにそのままランドリー室に置いておくようになどのコツを
教えてくれました。

ヨーロッパの冷たさを感じることも少なくなかった私はすっかりほっこり温かさに嬉しくなり、翌日のバレンタインデーに
日本の小梅ちゃん飴を彼にあげました。
そしたらMはまたしてもその滑らかな英語と大袈裟な物言いで、Wow you're so sweet!!と言いました♡


異国でいただくきな粉餅。

2018年02月24日 | 日記
 晴天の昼の光の下、いただくきな粉餅朝ごはん。
異国で食べるきな粉はこれまた格別です。
ロンドンでも世界の食料品を扱っているお店でお餅は売っているのですが、
それが激高で6切れで1200円ぐらい。食指が伸びません。
一時帰国をし友人が1キロもするお餅を持ち帰ってきてくれました。
彼女はこれからロンドンにずっと住み続けるし、持ち帰りたいものもたくさんあっただろう中、
彼女の優しさに感謝です。

ロンドンの空。

2018年02月24日 | 日記
 ロンドンは今日も晴れ。

学校はピケが張られているので、初ブリティッシュライブラリーへ行ってみます。
図書館司書の友人がいて、旅行先で必ず各地の図書館を訪れる彼女がブリティッシュライブラリーのことを世界でも屈指の図書館と言っていました。
そこで真剣に勉学に没頭できるなんて贅沢ですねえ。
来週発表のプレゼンがあるので、今日はそれをサッサと終わらせようと思います。

本日は晴天なり!

ピケを張る

2018年02月23日 | 日記
 ストライキ中の図書館でピケが張られ、音楽が奏でられ、先生は授業を中止し、生徒は自主学習に追い込まれ、私は文化の違いに興奮し・・・
それぞれの国の違いを考えさせられました。
だれに迷惑がかかろうが、学費を払っている生徒のことは二の次にして、とにかく年金が減らされそうな自分たち大優先の主張が一番大事な民主主義のヨーロッパに対し、誰かの被害を一番に防ぐことを考える日本は、30年前の赤軍が色濃く残っていたころはまだストもあったのに、どういう変遷で今はまったくなくなったのか、そういう話も他の学生としました。そして自分たちの主張なんてほどほどにしないと弾圧されかねない恐ロシア。あの国に自分たちの主張という概念はあるのでしょうか。黙って運命を受け入れるロシア人という印象です。

 文化の違いをまざまざと見せつけられて、高い学費のことなんて念頭になく、こういうのが他の国に住むことの醍醐味だと私は一人興奮しています。

ストライキ

2018年02月23日 | 日記
 昨日から3週間のロンドン大学全体のストライキが始まりました。
大学ユニオンの方のストライキの名目は、大学院職員の年金変革についての抗議です。
そのために授業は三週間無くなり、student unionはその分の学費返金を大学ユニオンの窓口と掛け合い、
先生は働かない分無給、大半の生徒は大学の図書館にも入れず自主勉強に追い込まれました。

私は、このストライキが決行されることのスゴさを思いました。
日本との文化の違いをまざまざと感じます。
初日に学校に行ってみると、建物はストライキを指示する学生と職員で塞がれ
好奇心から中を見てみたいと思い入ろうとしたら
私たちの主張を知っているよね
とやんわりしかし確固たる口調で抗議されました。
日本人であり、強い主張のない私は、これはとても突破して中に入れないとあっさり
引き下がり外で様子を見守りました。

しばらくすると太鼓を持った生徒たちが現れ、盛大に奏で始めました。
それが彼らの主張の仕方です。
誰かを傷つけたり、自分を傷つけたりの強硬手段を取るのではなく
あくまで楽しく愉快に人々を惹きつけ、なおかつ自分たちの主張を表現するという手法に驚かされました。
音楽は熱気に乗って楽しく、指揮を執ってる男子学生は飛び跳ねたり踊ったりしていました。
周りの者も自然に体がリズムを刻んでいました。

一通り音楽を奏で終わった彼らは、大きな太鼓を抱えたまま、次の大学へ移動していきました。
私はストライキの中味を詳しくは知りませんが、しっかり物事を正面から見据え自分の主張を持つ
彼らを素敵だなと思いました。

新天地

2018年02月23日 | 日記
今日、ロンドンにいる高校の時からの友達のところに遊びに行き
そして彼女とも共感し合ったのですが、新天地で慣れるのは本当に大変だということ。
若い時の方が経験がない分、どれだけ大変かの比較対象がないからまだ大変じゃないかなと
思ったのですが、そんなことはないのを今思い出しました。

IELTSのテスト時代に英語学校で出会った20歳のエリカちゃんは夢だったアメリカの大学に留学しましたが
彼女も大変そうです。
ときどき電話を掛け合って、若くて大人のエリカちゃんと遥か年上の私で留学の大変さを愚痴り合っています。
そんな時、IELTS時代も点数に到達するまで苦しかったし、今も苦しいけど、そのおかげでエリカちゃんと出会えたからいいか
と思えます。

ロンドンの友達もそうですが、友達っていてくれるだけでありがたいです。
彼女が日本に一時帰国をしていた期間、痛切にそう思いました。
今日も彼女が日本から持ち帰った和菓子を食べている時、
彼女が、こんな和菓子も日本のいる時は別に特別でもなんでもないんだけど
異国で食べると格別だよね、と言いました。

友達も家族も同じで普段はどうってことないんですが、ふとした窮地の瞬間にその大切さを
和菓子のように改めて思い出させてくれます。

今日を生きる

2018年02月23日 | 日記
ふわふわふわふわ揺られながらここまでどういうわけか来たら
イギリス生活も終盤の半年に入りました。
最近ようやく生活全般に慣れてきたような手ごたえがあり
だけどアジアからの留学生はマスターが終われば追い出される運命で
私に残された日々は、今日を生きる、こと。

ヨハンが韓国には‘今日を生きてるの?’‘明日のために生きるの?’という言葉があるそうで、
この二つの違いは、今日を生きるは、文字通り今日という瞬間の積み重ねを一生懸命生きる、という意味で
明日のために生きるとは、生活の安定のために生きるということらしいです。
この文脈の流れで当然、奨励されるのは今日を生きるという言葉のほうで、今日を一生懸命生きたら明日に繋がるらしいです。
だから、私もあまりとりとめのない将来のことばかりを考えずに、ようやく慣れて楽しくなってきたロンドン生活の今日を生きようと思います。




大英帝国。

2018年02月23日 | 日記
 こんなに大英帝国に戸惑うとも思っていませんでした。
社会主義の空の下にあるロシアを生き延びてきた私なんだから
見知ったヨーロッパの民主主義国家のおひざ元イギリスなんて
お茶の子さいさいだと高を括ってかかったら、
ところがこれがとっても大変、想定外もいいところで、
おまけに今回はアカデミックという、これまたもう一つ馴染まない世界付き、
自分の前の拡がる世界を直視できずに回避ばかりしてぐるぐるぐるぐる
自分でもどこをどう回っているのかわからないような
馴染みのない世界に馴染まずに
ふわふわふわふわ浮遊しながら歩きました。

大学院

2018年02月23日 | 日記
 今までで大学院が大変じゃなかったと言った人に一人も会ったことがないように、
今大学院に通っている私も同じ言葉を反復できます。
勉強が大変だったとか、英語についていけないとか、それ以前に
本当にこの道でよかったのだろうか、とか知らない国の生活に慣れるのに手間取ったり、
とにかくこの半年、新天地の新しいアカデミックという世界に慣れるのに必死でした。
慣れない、慣れない、と焦っているうちに時はどんどん過ぎて行き
慣れなくていいや、と思えた時から徐々に心も楽になって行きました。
 
 人の輪が大事。
ペルミの時もそうだったけど、心許せる友人に出会えるのも半年を過ぎてからでした。
それまでは孤独で挫けそうで、もうだめだーとか、すべてがどうでもいいような気持になったり
そんなことの連続でした。