ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

モロース

2014年01月29日 | 日記
 今週は、ロシアのウラル山脈の麓にある名前の可愛い町ペルミは、ついに-39度まで観測したらしく身の毛もよだつほどの寒さでした。
 ロシアは-30度を超すと、低学年の子は自動的にお休みになるという決まりがあるらしいのです。けれど-39度行った日は、初めに低学年への登校なしの号令、それから中学年へそれから高学年へとお触れが出て、結局学校は教師だけのお休み状態になりました。私の日本語コースもお休みにこそなりませんでしたが、目に見えて出席率は悪かったです。


旅の醍醐味

2014年01月06日 | 日記
 今回のアイルランド旅程で非常に心に残っているのが、ナヨミと地元の人たちが行くパブに紛れ込んだことです。メイン通りを少し離れたパブに立ち寄ったら、ぞろぞろと水色のお揃いのTシャツを着た地元の人たちが入ってきて音楽が始まりました。
 こじんまりしたパブですぐに席が埋まり、相席をいいかと聞かれました。
 何かのクラブチームの会合後の帰りだということです。
 一緒に飲み始めた二人連れはお父さんと娘の婿らしいのです。「今日はどこへ行ったんだ?」とか「明日はどこへ行くんだ?」「ホテルはどこに泊まってるんだ」などと会話している間にも珍しい東洋人の二人連れの私たちのところへ地元のおじさんたちが挨拶に来ます。

 演奏されている音楽をみんなで聞き、「あれはイギリスに対する反抗の歌なんだ。俺らは自由だぞっていう」私たちに歌の解説をしてくれます。
 「『ダニー・ボーイ』はアイルランドの人たちはあまり好きじゃないの?」という質問をしました。昔、どこかで「日本ではアイルランド音楽の代表に挙げられる『ダニー・ボーイ』だけど本場アイルランドではそんなに好まれていない」という記事を読んだ記憶があったからです。その記事の通り、手を上下に揺らす仕草をしながら「It’s ok」との返事でした。
 演奏されている音楽をみんなで聞き、「あれはイギリスに対する反抗の歌なんだ。俺らは自由だぞっていう」私たちに歌の解説をしてくれます。
 
 旅の醍醐味は地元の人と出会うことです。美しい建造物を見るのもいいけれど、土地の人に出会って接することこそかけがえのないものはありません。 

「年上の人の歌を若い人たちも熱心に聞くっていう光景は日本ではないよね」とナヨミが言いました。そう言われてみればそうだと思い、歌と一体になれるアイルランドの人々の国民性を素敵だと思いました。


高慢と偏見

2014年01月06日 | 日記
 ナヨミがドイツへ旅立った夜、ダブリン最後の夜を、イギリスの女流作家ジェーン・オースティン著の『高慢と偏見』の観劇にあてました。『高慢と偏見』は英文科の卒業論文に選んだ題目なので、私にとっても非常に思い入れの強いものです。ロシアでの劇場通いが日課になっている今、ぜひアイルランドで英語のしかも『高慢と偏見』を見られるということで胸が高鳴りました。お値段は3000円ほどだったので、1500円前後で感激できるペルミの価格の破格さを再確認しました。

 さて、アイルランドの劇場の内部もかなり興味があったのですが、いたってシンプルでした。入り口を入るとそのまま奥にバーがあり細長い構造になっており、壁は白が基調とされ、絨毯はブルーグレーで品がよかったです。客の年齢層はかなり高く、40代後半や50代の夫婦が多く、あまり若いカップルは見かけませんでした。私も彼らに交じり、昼間工場見学をしてきたばかりのJamesonをひとり優雅に傾けました。今、思い返せば、旅先で現実の時間がなくなった瞬間にだけ味わえる極上の一時です。

 劇は、エリザベスをはじめ、5人の姉妹たち。お金持ちに目がないお母さん。呑気なお父さん。むっつり顔のダーシーさん。その他の登場人物が出てくるたびに、本で読んだ彼らと結び合わせ「そういえば、こんな性格だった」と思い起こし楽しかったです。

 構成もコメディタッチで無駄なく作られており、最後のクライマックスシーンでエリザベスとダーシーが結ばれるところなんかは、キスシーンと共に照明も落ちるという絶妙な演出で、観客席から笑いが起こりました。いい劇を見させてもらった、という気持ちで劇場を後にしました。



ダブリンの街角で

2014年01月06日 | 日記
 2日もツアーへ行ったしまった私たちは、ダブリンの街をほとんど観光していないことに気づきました。明日はもうナヨミがドイツへ帰る日です。
 最後に訪れる場所としてナヨミと私が選んだのは、Jamesonウィスキーの工場見学です。こちらも街中にあるので大変便利です。けれどこちらもギネスと同様、あまりのアトラクションチックなため、ディズニーランドのホーンテッド・マンションを思い出しました。
一番よかったのは、スコティッシュ・ウィスキーとアメリカはジャック・ダニエルとアイルランドのジェームソンの飲み比べをさせてもらったことです。スコティッシュはスモーキーな香りで渋く、ジャック・ダニエルは強く男性的な味がしました。一番好きだったのはアイリッシュのジェームソンで少し蜂蜜がかった甘い香りがするのです。

 すべてのツアーが終わり、ジェームソンの工場を出たら、とうとう私たちの別れの時です。空模様は雨で私たちの別離に銀の拍車をかけているようです。映画のワンシーンのように、センスのいいダブリンの街角で、左と右に別れました。
 急にお腹が空いてきた私はケバブやさんを探し始めます。





アイリッシュ・ナショナルギャラリー

2014年01月06日 | 日記
 アイリッシュ・ナショナルギャラリーへ行きました。カラヴァッジョの『エマオお晩餐』
の絵もあるし、ロンドンのナショナルギャラリーが大好きな私はぜひともアイルランドのナショナルギャラリーへも行っておきたかったのです。ところがアイリッシュ・ナショナルギャラリーを探し当てるなり、言葉では言い表せないくらい地味な文字で『ナショナルギャラリー』と書いてある建物を探し当てました。一度そこを通っていたのですが、あまりにも目立たないため通りこしたのです。そしてアイルランドの規模に比例し、ナショナルギャラリーも非常に小さく、「えっもうこれで終わり?」というくらいの規模でした。

 私たちが日本語で絵の批評をしていると、一人の学芸員のおじさんが近づいてきました。アイルランドの人々は人懐っこいです。彼は、彼女が日本人ということで、つい最近日本へ行った旅行話をしたかったみたいなのです。日本へ行ったことのある外国人の例にもれず、彼も「日本は素晴らしい」と心から言っていました。「日本のどこに住んでいるのかい」と聞くので「彼女は大阪出身だけど今はドイツに住んでて、私は東京だけどロシアに住んでる」と言うと、目を真ん丸くし「ロシア!?」と聞き返してきました。そして近くの同僚に「この日本人の女の子はロシアに住んでるんだってよ」と言った途端、その同僚のおじさんも「ロシア!?なんでまた?」とまったく同じ驚きの反応を見せました。それを見ていたナヨミが「あの人たちのロシアって言った後の反応ったらすごいわ。ドイツに住んでるって言ってもあんな顔されたことないのに、ロシアって言った途端。こんな北の経済破綻起こした小さな国に住みたいっていう人だって少ないだろうに、その人たちにびっくりされちゃってるんだから、ロシアに住むなんてよっぽどの物好きに映るんだろうね」と言って笑っていました。


キルケニー

2014年01月05日 | 日記
 本日はツアー第二回目ということで、ダブリンからさほど遠くないキルケニーという地へやってきました。前日のモヘアー・クリフより近いため、9時出発の夜6時着という緩めのツアーです。途中立ち寄った失われた楽園に建てられた墓地は素敵でした。アーチをくぐった小道の先には、墓地があり、大小それぞれの墓石が無造作に建てられているのです。昔、ノルマン人がやってきてこの地を征服し、その記念に建てた高い鉄塔もありました。大学で勉強したイギリスの歴史をおぼろげに思い出します。今回の旅は、歴史を勉強したいと強く思いました。

 キルケニーの街には有名なお城があります。昔、ロンドンからやってきた何とかという一族が貴族に成り上がりお城に住み繁栄をしたと、昨日の厳しいガイドから一変、本日のもっと朗らかなガイドが話してくれました。これからガイドと一緒に町の名所周りをしたい人と、個人行動したい人と別れ、ナヨミと私は自分たちだけでお城の中に入りました。キルケニーのお城は今まで見たヴェルサイユの煌びやかさやトリノのサヴォイア族の王宮やウィーンのシェーンブルン宮殿よりも壁紙は野の花のように素朴で明るい黄色が基調になっていたりと田舎風でした。ただし、それは内部の話で、アイルランドの代表とも言える黒いライムストーンが使われた外壁はとても暗い黒色の城壁を作ります。修道院も教会もお城も人々の住む家もライムストーンでできているものが多くみられます。それが必然的に全体的に暗い雰囲気を醸し出します。
 ライムストーンで埋め尽くされたアイルランドの地を見て、どうして作物が育たずに幼い姉弟が家族と離れ離れになってアメリカへ旅立たなければならなかったのかの理由がわかりました。

Clif of Moher

2014年01月04日 | 日記
 今日はいよいよ、Clif of Moherというアイルランドの南西へ一日ツアーで行ってきます。朝6時半集合、夜8時解散という少々強行軍ですが、アイルランドの素晴らしい自然が見られるということで楽しみです。前日にダブリンのツアー会社で申し込みをし、値段はお手頃な48ユーロです。バスの運転手兼ガイドという危なっかしい仕組みでもありました。

 ライムストーンでできた古代の遺跡や古い修道院を訪ね、最後に壮大な崖にたどり着きます。大きなバスに観光客が満員です。途中から雲行きが怪しくなり、空は灰色で雨が降り出しました。

 バスの運転手兼ガイドの彼が非常に仕事熱心で、皆のお昼休みに社内をモップ掛けしたりと働き者だったのですが、ひどく時間に細かく神経質な性格なので、窮屈でもありました。耳に心地よい非常にいい声を持った彼でしたが、それも台無しでした。それにこれはこのツアーの掟なのだと思うのですが、ほぼ全時間しゃべりっぱなしなのです。今考えてもよくそんなに話すことがあったと思うほど、各所で作られたパワー電力発電の話や、町の歴史、動物たちのことなどひっきりなしです。横で眠っているナヨミと私を始め、他の観光客たちも全般に朝早い集合もあり疲れている雰囲気でした。

 けれどもやはりツアーの目玉のモヘアーの崖に着き、崖の上から見下ろす景色は壮大でした。体全体に強い風が吹き付け、目の前に広がるのは大海原だけで、希望以外の何も考えなくていいような解放感がありました。

 日が傾き、一面紫がかった濃いピンク色の空も胸に強く残りました。自分が現実とは遊離した世界にいるのかと錯覚するほどの綺麗なメルヘン色のピンクです。この空の色は、あまりにも美しかったので今でも思い出します。

ギネスビール工場見学

2014年01月03日 | 日記
 はるばるアイルランドはダブリンまで来て私が真っ先に行っていたのは、ベッドカバーおよびシーツ、フォークなどの日用品の買い出しです。「ダブリンでベッドカバーばっかり買うとは思わなかったわ」と横でナヨミが笑います。可愛いものが満足に買えないロシアのペルミから来た私にとって、ベッドカバー選びはこの上なく楽しい作業でした。
トランクがベッドカバーでいっぱいになるくらい買ったので、とりあえず一旦ホテルへ戻り出直します。

 相変わらずナヨミとの旅はゆったりしていて、お互い忙しさを好まないので快適です。
けれどほとんど一日、一歩、歩けばお店の中に入り、物品視察、買い物ばかりに気をとられていたので、本日のギネスビール工場見学というたった一つだけの観光目標もあまりのゆったりさで間に合わない可能性が出てきました。このままではまずいと悟った私たちは少しピッチを上げ、午後5時の最終時間にどうにかギネスビールの工場に間に合いました。工場は中心街から少し離れた30分ほど歩いた郊外にありました。

 全部で5階建ての建物は、一階から順繰りに各自で上がっていきます。ビールを作る緑の風船蔓の葉っぱだけのような植物があり、昔イタリアのトリノで見て、横にいた彼に「この植物はなに?」と聞くと「ビールを作るためだよ」と教えられ、この可愛いらしい草がビールにどう繋がるのかが想像できなかったことを思い出しました。

 大学の時にアイルランド文学のゼミ仲間と八ヶ岳のサントリーの白州の工場見学をしたことがあります。そのときのツアーは実際に作っている各現場を見せてくれ、そのあとの醸造していないウィスキーと8年、10年、12年もののウィスキーの違いなどの試飲が安い値段でできて非常に楽しかったのを思い出し、それと比較するとこのギネスビールの工場ツアーは作られたアトラクション見学みたいでいま一つ物足りなかったです。

 最上階のバーただで飲める無料券があったので、どうせならと夜景の見える席に座ったのですが、ネオンの数が圧倒的に少なくてナヨミと「ダブリン、アイルランドは本当に小さい国なんだね」と褐色のクリームを含みながら話し合いました。



アイルランド料理

2014年01月02日 | 日記
 今回のアイルランド旅行は行き先を決めた時点でナヨミが「料理が美味しくないけどいいの?」と念を押してきてくれたぐらいなので、覚悟はしていのですが、そこはやはり人間、いくら期待していないと口では言っても僅かな希望を湧かせてしまうものが性というものです。ナヨミと再会した初日の夕飯に、コック・ナヨミが調べてきてくれていたシーフードのお店へ足を運びました。店内に入るとビールだけ飲んでいるひともざらで、シーフードらしきものを食べている人も見られ、私たちもシーフード盛り合わせを頼みました。それと各自、トラディショナル・アイルランド料理と書いてあるような肉料理も頼みました。
 
 絶対舌感を持ったコック・ナヨミとロシア料理に辟易し続けている私は、僅かな希望がどんどん膨らんでしまい、「アイルランドは海に囲まれた島だからシーフードも美味しいよね」と口走っていたそばから、私たちの前に現れた料理は・・・。やはり期待は禁物です。シーフードの盛り合わせは、蟹、帆立、サーモンとあと一種類がお皿に載っていたのですが、すべてく原型からくり抜かれて蒸されて、真ん中に適当なソースがありました。ナヨミが「新鮮な魚をフライにしちゃう国だからしゃあないわ」と言いました。


パブでビール、笑いと音楽と人々と高揚と

2014年01月02日 | 日記
 再会した私たちはさっそく夜のパブへ繰り出します。
 ダブリンの町並みは小さな可愛らしい建物が軒並みに並び、特に町の中心街であるテンプル・バー近くの何本かの通りは、そこら中にパブが見られ、電光が瞬き、本当に楽しくなってしまいます。どの店もよさそうなのですが、ナヨミと私はモスグリーン色のお店に入りました。店内はアイルランド音楽の生演奏があり、陽気にギネスビールを傾ける人々で溢れています。
 さっそく再会を祝して二杯のギネスビールを注文します。ギネスを注ぐ様子を見ていると、一旦ビアグラスに8分目まで注ぎ、それから2分ほど置くのです。それから最後の仕上げとしてゆっくりビールを注入していきます。そうするとこの上なく極上のキメ細かいクリーミーな泡の出来上がりです。
 1年ぶりの再会を祝して、乾杯!

ダブリンの街角へ

2014年01月02日 | 日記
 ホテルは、オコーナーストリートが細い道に分岐したパラレル・スクワエ近くのフレデリック・ストリートにありました。仕事の合間にネットで見ては待ちわびたcharlesstewertというホテル名が書かれた青い看板が、微かに風になびいて揺れていました。
 ドアを開けると右側がすぐに受付になっていてフロント人と挨拶を交わします。部屋が整うのが午後2時過ぎだということで、私はトランクをロビーに預け、「友達が来たら4時頃戻るからと伝えてほしい」と告げてダブリンの街を繰り出しました。

 ダブリンの町は予想外にサングラスが必要と思うくらいの冬のあの独特の黄色い光線のような強い日差しで、空気が澄み切っています。朝5時にホテルを出てからまともな食事をとっていなかったのでとりあえず腹ごしらえと思いケバブ屋さんを探します。
 私は海外へ行くとケバブばかり食べていて、特にこれといって美味しい食事がない国へくると昼も夜もケバブを食べ続けます。今回もイギリスおよびアイルランドの旅ということで食事は最初からまったく期待していません。いまだに好きになれないロシア料理のことを察して、ナヨミも「食事が美味しくないアイルランドでいいの?」と念をおしてくれました。だけど今回は大学の時に読んだアイルランド小説の地へ来たかったのです。
 ナヨミとの1年ぶりに再会の前にケバブで腹ごしらえです。


アイルランドへ

2014年01月02日 | 日記
 今日はいよいよアイルランドへ出発する日です。ドイツに住むナヨミとも一年ぶりの再会です。ロンドンからわずか1時間半のフライトで値段も1万円ほどです。ただし、安いフライトは要注意で、私の使ったアイルランドの飛行機会社Lingus airは、機内に預ける荷物の料金を取るのです。初め、チェックカウンターの係りの人が何を要求しているのかまったくわかりませんでした。まさか荷物代を支払えなんて言われているなど夢にも思わず、ひどく悔しい気持ちがしました。

 初めて降り立ったアイルランドは高い冬の空がすっきり晴れ渡り日差しがとてもまぶしかったです。空港からわずか20分足らずで行けるバスに乗り、市内へ向かいます。青、赤、黄色の小さな建物がカラフルに立ち並びます。空港から市内の近さといい、規模の小ささといい、すぐにとても小さな国なのだと気づかされました。街の中心通りのオコーナーストリートで降り、アイルランドの国の大きさに似合わせない大きなトランクを掲げてホテルを探し回ります。町散策のツアーバスの運転手に道を尋ねると、丁寧に教えてくれた後でもちろん宣伝もされました。「君は学生だな。学生料金でいいよ」とウィンクし、「あの赤いバスには乗らないように」とライバル社を指さしました。アイルランドの人々は階級社会のイギリス人とは違うとは知っていましたが、空港に降り立ったときから想像以上の愛想の良さに驚きです。

 

イギリス産インドカレー

2014年01月01日 | 日記
 夜は、インドカレーのお店へ行きました。
その前にConvent Gardenへ行ったのですが、さすがにヨーロッパのお正月ということでお店は全部閉まり、町は綺麗な電飾で彩られているだけでした。ここは昼間は大道芸人などで賑わい、お洒落なお店もたくさん集まっているのですが、キラキラ光る冬の光に照らされた街を歩きながら、ヨハンのお兄さんはお父さんが決めた韓国の天然美人と結婚し、そのお嫁さんは義理のお父さんに向かって「結婚する時に家を買ってくれるって言ったのにいつ買ってくれるんですか」と堂々と口走るという話を聞き、噂では聞いていたけれども実際やっぱり韓国の文化はいろいろとたいへんだし、結婚するのはとっても大変だと思いました。義理の娘は本当の娘のようになるらしいのです。いつまでのお客様扱いの日本の文化とも違い、だからこそうまくいけばとても幸せなのですが、金銭面で揉めると悲惨らしいのです。私も一度韓国人の女の子が10人ぐらい集まった韓国料理の会に行ったことがあるのですが、若い韓国の女の子たちは、非常にパワフルで、言いたいことはズバズバ言い、気さくで楽しい分、まるでオバタリアンみたいでした。あのパワーには圧倒されました。同じアジアでも日本人の気質とはまったく違います。今でも楽しいカルチャーショックとして強く印象に残っています。

 インドカレーといえば、日本にいたときに会ったマシューというイギリス人のことを思い出します。ある日、彼が料理を作るといって張り切って買っていた食材がインドカレー用です。「イギリスではインドカレーやさんがとても美味しい」とも言っていたので、そのときに、イギリスは食文化が本当にないんだな、と思ったのを覚えています。

 それもあって一度イギリスでインドカレーを食べてみたいという気持ちも微かにあり、ヨハンとインド料理がずらーっと並ぶ一角にやってきました。1月1日は誰も来ないとみえ、どのお店も空いています。必至で呼び込もうとする客引きにも何にも呼び止められたのでアジアの香りを思い出しました。これもロシアでは起ころうはずもない活気あるものの嬉しかったことの一つです。
 インドカレーの味は美味しかったけど、普通でした。


新年

2014年01月01日 | 日記
 明けました新年、今日も一日ヨハンが付き合ってくれるということで、ちょっと遅めに待ち合わせした私たちはかの有名なウェストミニスター寺院へ行きました。ウィリアム王子とケイト妃が結婚式を行ったところで興味があったのですが、入場料が22ポンド(3000円)ということで目が真ん丸になりました。ロンドンの物価は高い。そして都会で暮らすということは、お金が必要だと改めて実感しました。20代の女の子のお給料がだいたい20万ちょっと。これでこの物価の高いロンドンで暮らすということですから、いくら素敵な店や物がたくさんあっても気安くは費やせません。ある程度のお金を持って暮らさないと都会生活は謳歌できないと改めて思いました。
 
 これだけの入場料を取るのでオーディオは無料ということで、手渡してくれた黒の祭服を着た若い男の子に「日本語」と告げると、「日本のトイレはすごいよね。全部オートマなんだもん」と話しかけてきました。こんな厳かな雰囲気の寺院の中でトイレの話をするので可笑しかったです。
 
 初めは入場料の高さに躊躇したウェストミニスター寺院でしたが、やはりそこは歴史と伝統の詰まった宝庫、イギリスの歴史を彩る要人達が葬られていて歴史をちゃんと勉強しようと思いました。文学好きの私にとって一番楽しかったのは、卒論で書いたジェーン・オースティンやカンタベリー物語のチョーサーやキプリング、詩人テニスン、俳優オーレンス・オリヴィエが祭られているのを見れたことです。何でも知っているヨハンもこちらの文化のことは詳しくなかったみたいで、それぞれの作家の寿命にばかり着目していました。『ジェーン・エア』の著者、長女のシャーロッテ・ブロンテ、『嵐が丘』の次女、エミリーブロンテ、『ワイルドフェル屋敷の人々』の三女アン・ブロンテ姉妹はそれぞれ、38歳、30歳、29歳という若さで亡くなっています。ヨハン曰く、これは血だそうです。その証拠にヨハンの家族はみなが90歳以上生きる長寿の家族らしいです。